2023/3/13以降、マスクの着用は個人の判断に委ねられることとなった。だからまぁ着けなくていい。

マスクの着用について|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

◆冬の喉やられ

新型コロナウイルスが蔓延する二年ほど前のはなし。

上京してから冬場はいつも喉をやられていたんで、のど飴をベロベロ舐めて何とかやりくりしていた。ヴィックスの色んな味をローテしながら大量消費しつつ生きていたところ、マスクを一日中着ければ喉の痛みが一切なくなるということに気づいた。寝るときも着ける。その喉ガード効果に加えて花粉症も緩和されるということにも気づいた。だから新型コロナの影響でマスクの着用を求められても別に忌避感とかありませんでした。

◆コロナ

コロナが猛威を振るって人が死んだり肺炎の後遺症が残ったり救急医療提供体制が逼迫したりで、感染対策のためマスクの着用を求められ、みんながマスクを着けるようになった。伴ってマスクの着用するしないでトラブルになった人もいたな。ホリエモンに授けられし「メスイキ野菜餃子ロケット」とかいう許されざるゴキゲンな蔑称の餃子パートもマスクトラブルが元だし。

俺は逆張りの気持ちを持ってるんで、マスクでトラブルを起こしてる人に対して周囲に同調しろよみたいな気持ちは起こらなかった。マスクで感染が防げるかどうかというところがハッキリしてなかったから。提示されたルールに従えという気持ちだけ。

個人的にマスクには感染予防の効果がありそうだとは思ってる。人に伝染させてしまうこともある程度は防げそう。

そして「みんながマスク着けてるから外しづらい😷」みたいな言説は支持しかねます。周りからどう見られようとも外したいんなら外せばいい。誰の目も気にすることはない。

◆マスクしてないやつ

本題に入ります。

花粉症が引いて来たらマスクを外そうかなと思ってんだけど、ここにきて外しづらさを感じているんです。

何でかと言えば、マスクをしない集団に鈍臭の傾向が強く出ているように見受けられるから。どんくさいやつからマスクを外している。2023年5月現在が一番観測しやすいのかも。

鈍臭(のろくさ、どんくさ)という語彙は昔から使っている個人的思考用ワードなので、一般的に通用されている意味とは少し異なる。いつの日か気分が乗ったら鈍臭について説明を試みる記事を書くこととする。

いままでこの社会で生きてきて、周りをよく見ずに行動している人が世間に何割か紛れているということを我々は感覚的に認識してたじゃん?彼ら鈍臭たちが先陣切ってマスクを外し始めてるんすよ。もちろんそうじゃないひともいるんだけど傾向として。

さながらオンラインゲームで遊んでて「ゆうた」とか「キリト」みたいな名前のプレイヤーと遭遇したような感じ。今でいえば「炭次郎」とかだろうか。実態どうあれ名前を見ただけで身構えてしまう。ゲームなら身体的不快感を与えてこないし地雷プレイヤーであっても遊んであげるんだけど、現実社会であれば物理的な距離は確保しておきたい。

往来の歩き方がキショい奴はマスクを着けてないし、おまたおっぴろげで電車の座席に座ってる奴はマスクを着けてないし、髪型を変な頑張り方してるサラリーマンはマスクを着けてないし、スマホを注視し周りに注意を払えてないやつはマスクを着けていない。目がイッてるかイッて無いかの境界線にあるような人もマスクを着けてない。

目がイッてる人はコロナ前からマスクを着けていたりする。半々くらいで。ただし、マスクを着けていたとしてもマスクから鼻が出ている傾向にある。

マスクと愚鈍の関連性を自覚していなかった時も感覚的には理解してしまっていたから、マスクを着けていない人を目視したときに「こいつ鈍臭かも」「近づかんとこ」のセンサーが無自覚に起動してた。それまでは身のこなしとか髪型、服装、体型、姿勢、顔の動かし方(目線)等で総合的に判断していたところにマスクの着用有無という簡単な観点が見いだされていた。

気づいてしまったがゆえ、マスク外しづらい。周りにどう思われようが自分が納得できてさえいれば構わないという生き方をしておったつもりで、その実、見られ方を気にしていたわ私。小さい人間でした。トロくせぇ雑魚かもって見た目で人から印象付けられたくなかった。

一人だけマスクを着けていないシチュエーションには耐えられるけど、それとは別に、行動が不穏な人々の集合には積極的に属したくない。

◆マスクと鈍臭さが関連する理由

そもそも関連は証明されてないんで、その理由の説明とか怪文書でしかない。でも自分の観測圏内ではそうなってるんだもん。田舎とか都会とかっつって環境が違ってくればマスクの着脱にも違う傾向が出てたりするかもね。諸外国はマスクしないのが普通らしいし。意外とマスクつけてるとかも聞くけど。

マスクしてない人が鈍臭の傾向を持っている理由としては、ひとえに見られ方に感覚を持ってないからでしょう。マスクを外そうと思える閾値が人よりも低いから、過渡期に於いて先んじて外し始めているのは得てしてそういう人になるのかもしれない。客観的な視点をシミュレーションする能力が凹んでいたら、周りに合わせた行動をそもそも選べない。だからマスクをせずに外出することに対して微々たる躊躇もないし、電車の座席の座り方もどうだっていい。恥を感じるまでのラインが世間一般より高いうえに数分後に誰がどうなるかも予見できないから歩きタバコも出来る。ゴミの分別もしない。電気もつけっぱなし。スマホにかじりつく。…いや私生活までは知らないけど。

とにかく、見られ方に思い馳せられず同じ空間にいる人の感情も推察できなければそれは鈍臭行動として表出されてくる。

とはいえ「鈍臭憎んで人を憎まず」という格言も俺の中にあります。広い心で接しようよ。自覚できなければ鈍臭は治らないし、人から鈍臭を指摘されると鈍臭い人ほど怒るから。彼らのみならず全人類が知的障害スペクトラムの欠片を持ってるんです。程度の差はあれど全人類ガイジ。きっと俺も無自覚なクソムーブを誰かにふっかけてる。他山の石とせよ。人のふり見て(略

マスクどうこうについては、今だけ見られる現象かもしれない。これから暑くなってくれば普通の感覚を持っている人らもマスクを外し始めることが予想されるし、そうなれば逆にマスクし続けてる人のほうが鈍臭傾向強めになってくるのかもしれない。

◆結

伊藤食品の食塩不使用鯖缶が鯖の不漁による品薄で陳列されてなかったから鰯缶のほうを食ってみたんだけど、とんでもなく旨かった。1000円の高級鰯缶と言って出されたら納得しちゃうかもってくらい美味しい。鰯に対する認識変わりました。変わりましたよと思ってまた買いに行ったら棚から消滅してた。許せん。マルハニチロの食塩不使用鯖缶は売ってるんでそっちを買ってんだけど、伊藤食品には勝てない。返して。