病的っていうのは、明らかに論として破綻してる意見を正しいとして理屈をこねてるのを見てそう思った。

トランスジェンダーを排除しているわけではない 石上卯乃魚拓

これは、まぁ言ってることがまとも。実状に即しているような気がする。気がするだけだけど、そうだろうねと思う。

で、上記記事の最後に関連記事として置かれているのが以下。

◆遠藤まめた

やっぱりトランスジェンダーを排除しているのでは? 遠藤まめた魚拓

病的。言うこと言ってるっぽいんだけど事細かに破綻してて、なんでこの主張が通ると思ったんだって疑問が湧く。言葉は通じそうなんだけど、病的。

ひとつ助言すれば、トイレ・更衣室・レイプクライシスセンターと風呂の議論は一緒にしないようにトランスたちは議論しています。前者を全裸で使う人はいません。風呂は災害時でもなければ自宅でひとりで使えます

いやぁ。主張の捻じれ具合が気持ち悪い文章だ。

こいつの論理で言えば「前者を全裸で使う人はいません」し、トランス女性(生物学的に男性)が男性用の「トイレ・更衣室・レイプクライシスセンター」を使えばいいじゃん。そこに齟齬はないじゃん。なんで女性用のトイレを使用したがるの?

※一部のトランス女性が女性用の施設を使いたいと考える気持ちはわかる。その話じゃなくて、こいつの意見が病的に破綻しているという話をしたい。

あと「風呂は災害時でもなければ自宅でひとりで使えます」って何を言いたいんだかワケわからん。言いたくなる気持ちわかるけど、つまりこの一文だけで「トランス擁護したいだけでフェアな議論したいわけじゃない」ってのが読み取れる。銭湯の話を無理に除外しようとしている。

「一緒にしないようにトランスたちは議論しています。」ってのもさ、お前はそうかもしれんけど、ちょっと調べただけで「風呂も」って主張してるやついるじゃん。「ちんちん取る手術を他者に強制するなんて差別だ」みたいに言ってるやつ。当事者ですらない、たまに興味でウォッチしにいく程度の俺がみたことあるんだからコイツが見たことないとは思えないんだが。

トランスジェンダーの活動家は、自分と異なる意見持ったトランスジェンダーと対話しようとしてなくない?避けてるよね?なのになんで議論しようとしてる人につっかかってんだろ。

公衆浴場を手術なしで使わせろとトランス活動家が主張しているというデマ・藁人形論法については「松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問」をご覧ください

自分の記事をソースにしてる時点で大分終わってるけど、「風呂も」と主張してるやつがいたし、今後いるだろどう考えても。問題になってるのは基準が無いということだ。そんなことも分からないんならそもそも議論に参加できるレベルじゃあないと思うんだが。

例えば「店のものをとったら万引きです」って条文の法律が作られたら、困るじゃん。「そんなガバガバ法律だと店の空気を吸っただけで万引きと解釈されうるんだが?」という当然の指摘に対して、「空気を吸っただけで万引きだと主張する店はありません」って言われても「は?」としか言えない。

話を読めていないのに長文で主張されると、とても邪魔だ。

定義について話してんのに実際について話されても何の役にも立たない。周りの人が話していることを理解できずに議論に参加しようとしているのは邪魔。大人が真面目に話してるんだからどっか行っててほしい。どの立場からしても足引っ張ってる。遠藤まめたが主張することでトランスジェンダーの足を引っ張ってる。

それ以前に、立場をハッキリさせてみて欲しいわ。あやふやな言い方ですり抜けようとしてね?「チンポついているトランス女性が公衆浴場で女湯に入ることに反対します」と主張するか?あるいは逆の主張をする?

トイレ・更衣室・レイプクライシスセンターを他人と一緒に使うことを制限された場合、その人の生活や生存に多大な不利益がでることは容易に想像されます。

おいおい。お前が藁人形論法を使ってんぞ。誰も使うなとは言ってないわ。やり方考えようぜ?としか石上卯乃は言ってない。

そもそも、お前曰く「前者を全裸で使う人はいません。」であるわけだからトランス女性は男性用の施設を使えばよかろ。解決だ。よかったね。

なお、海外では性暴力被害者支援の場でトランス女性の受け入れはこれまでにも行われており、なんの問題もないと現場のスタッフに指摘されています。

もともと石上卯乃が混ぜ込んで話してるからしょうがないんだけど、レイプクライシスセンターだけ切り出すべきって思うわ。更衣室とクライシスセンターは別物じゃん。

そして「センターで問題ない」を「トイレや更衣室でも問題ない」って誤認させようとする流れを感じるよな。気持ちわる。

参照しているサイトも極度に偏ってると思う。中立とは言えない。意訳すぎるし。ソースが無いデータを拠り所にしてはいけないってのはそうなんだけど、そのソースが政治的に偏ってたらそりゃ使い物にはなりませんわ。

懸念の強調がトランスのサバイバーをさらに窮地においこむ危険性についても指摘しておきます。

どっからが強調なんだ?「女子トイレにちんぽぷらぷらさせた人間が入ってきたら怖い」って感情、意見は、トランスのサバイバーを窮地に追い込むわけ?それは強調じゃないのかな。そもそも、窮地に追い込むから議論してはいけないって言いたいのか?シス女性がどういう感情でいるかということを聞こうとしないわけ?

なんで女性の感情を無視しながら「トランス女性の感情に配慮を」とか言えるんだろう。

議論しなければトランスのサバイバーは永久につらいままだと思うんですけど。「辛いからその話したくない~」「でも権利を主張します~議論なしで~」みたいなクソ浅はかな態度をとっている。

この遠藤まめたという存在自体がトランスにとって、社会にとってかなりキツイ存在だよな。無能により物事をややこしくしてる。仕事を増やしてる。

ジェンダー・クリティカルという言葉、みなさん聞いたことがありますか?ジェンダーという考え方自体がおかしくて問題なのは生物学的性にもとづく差別なのだとする考え方です。ジェンダーの廃止が重要と主張する人もいます。ただ実際には私たちは性器を露出して暮らしていませんし、そのような社会の到来をジェンダー・クリティカルなみなさんも望んでいないでしょう。

藁人形論法すぎる。相手に指摘しておきながら何故自分で書いてて気づかないんだ?関節を逆に折るレベルで相手の主張を捻じ曲げた解釈してますけど。気持ちが悪い。サイコパスかよ。どういう病気なんだろう。頭がよくないと言ってしまえばそれまでだけど、そういうわけでもないだろうし。パーソナリティ障害かなにかか?いやなんか違うようにも思える。認知の歪み…

「ジェンダー・アイデンティティこそが性別を決定づける」ことの影響に注視し批判もすると書かれていますが、実際にジェンダークリティカルの人たちはトランス男性に対して「あなたのセックスは女性なんだから、あなたは本当は女性だ」、トランス女性に対して「あなたのセックスは男性なんだから、あなたは本当は男性だ」と述べています。

言葉の意味を分かってないのか、論理的思考力が異常に低いのか。元のニュアンスを壊してるし。

「xの影響に注視し批判もする」ことに対する批判がなにひとつできていない。反論として例えば「xは安全であり批判の対象ではない」という主張をしてくれたんならそれは議論にできる。でもオメーはxについて何の話もせず「yはyである」と言っている。いや「xよりyのほうが危険である」と主張するんならまだギリわかるんだけども。

そのような姿勢こそが、トランスを否定する考え方、トランス排除的であると批判されているのではないでしょうか

あぁ…。yのほうが危険と言いたいの?うん…。それにしたって、「xの影響によりαが危険に陥るじゃん!」って相手の主張を「yの影響によりβが排除された気分になります!」って言ってもそれはそれで何も言い返せてないよね。

「βのためならαが危険でもいい」とあなたが主張したいんであれば、逆、つまり「αのためならβが危険でもいい」が成り立って然るべきですよね。

っていうかさ、こいつの言ってることは徹頭徹尾議論の外側にいるんだわ。ずーっと。独り相撲しかしてない。だれもいない場所で独り存在しない相手と闘ってる。なにがしてぇんだろ。

「少女、女性、生理のある人」と書かれた一節があったんです。これに対してJKローリングは「“生理がある人々”。昔はこの人たちを指す言葉があったはず。誰か教えて。ウンベンだっけ?ウィンパンド?ウーマッド?」とツイートしました。
「生理のある人」はトランス男性やノンバイナリーなど、女性自認でなく生理のある人の健康を守るために使われることのある言葉です。

これは「トランス女性を女性と呼べ」「トランス男性を男性と呼べ」っていう意味不明かつ何の利益も生まない感情論による他者への強制によって出来上がった「少女、女性、生理のある人」というキショイ文章に対してJKローリングが「お前ら馬鹿じゃね?(超意訳)」とツイートした。っていう話。

トランス男性は婦人科を受診することに抵抗を感じやすく、子宮・卵巣系の疾患が悪化しやすい健康上のハイリスク集団です。その人たちへの配慮表現をわざわざ「女でええやん」ばりに揶揄したら批判されても仕方がないでしょう。

自縄自縛というか。ひたすら馬鹿げている。些事に拘泥とはこのことか。

答え出てんじゃん。「女でええやん」なんだよ。これは表現が問題であるわけじゃなくて「異常に気にしすぎる人」が問題なんです。

だって「男性」「女性」は元来、肉体の性別を表す表現だったわけじゃん。そっちに倣うのが当然だ。精神の話をしたいんならそれ用の新しい表現を増設するほかにない。そして「トランスジェンダー」って表現が作られたんだからそれを使えばいいじゃん。なぜ理解しづらい表現を目指すのか。女性と男性をないまぜにしたがるのか。

ゴマ豆腐を豆腐って呼びたいがために、元々の豆腐を「ゴマの入ってない豆腐」とか言い始めるわけ?卵豆腐があるから「卵の入ってない豆腐」もあるわな?「ゴマも卵も入ってない豆腐」はまだいいわ。でも元々のゴマ豆腐はどうやって言い表せばいいんでしょうね…?

トランス女性もトランス男性も、この件についてはそもそも問題にはなってないんだよ。「生理のある人」とかいう馬鹿げた、absolutely fucking ridiculousな表現が馬鹿に支持されてることが問題。そしてネット上で馬鹿が煽られるのは言わば摂理。JKローリングが煽っても不思議ではない。

単にトランス男性と言えばよかったんだよ。「生理がある人々」とか言うのは、もはや煽ってるようにすら思える。トランス男性に対する侮辱じゃないか?

「生理のある人」のうち女性自認の人を女性と呼ぶことをトランスたちは批判していません。女性でない「生理のある人」を女性と呼ぶことを批判しています。

まずもって引用部に対する返答が何一つできてないのは、遠藤まめたが文章を読めない人間であるからだろう。そしてお前がトランスの意見を代表するのは無理あるわ。

そしてもう、言葉の定義を壊したわけだから真に意味の分からん文章になっちゃったね。これは後で自分で読んで意味を理解できるんだろうか?

「トランス男性を女性と呼んでもいいじゃないか」という「自由な言論の空間」は、ヘイトスピーチを表現の自由と呼ぶ考え方と大差ありません。

大差あると思いますけど。え?大差ないと思ってんの?豆腐を豆腐と呼んでいいかどうかについて、それ表現の自由とかいう文脈で語ります?

一般社会では豆腐を豆腐と表現するほかなくない?ゴマ豆腐についてはゴマ豆腐でしょうが。なんでトランス男性という最適な表現があるのにそれを男性と一緒くたに呼ぶ必要があるのだ。

この文章を馬鹿が読む可能性あるから注釈しておく。
トランスジェンダーの人に対して例えば「お前は生物学的に男性だから男性だ」「お前はトランス女性だから女性と呼びたくない」とか言たいわけではない。時と場合によって相手が自認している性で呼んであげたい。
でも「自分は一般的なトランスジェンダーである」とか嘯く頭おかしい人がいて「トランスジェンダーに対しては彼らが自認する性で呼ぶのが社会的に正しい」とか言ってるのがそれこそ社会的に迷惑千万ってのはそうだから、そこに対して文句を言いたい。言いたいがためにこういう書き方してる。

紙面に「女性」と書いてあったらそれは生物学的女性を指すに決まってる。「豆腐って白いよね」って話をしてるひとに「ゴマ豆腐は灰色ですが」とか言っていいはずないし。

最後に、こちらの文章を載せてしまったWANの「プラットフォームとしてのあり方」について一言批判をさせてください。

ふぁーーーーーーーーwwwwwww(昇天)

なんだこいつ。どこまで恥を晒せば気が済むのか。

◆岡野八代

「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの 岡野八代魚拓

これもなかなか香ばしい。疲れたからいちいち引用しておかしい部分は論わないけど。

日本語読む能力が無い人の寄稿を受け付けるのはリスクでは?

石上卯乃の主張はタイトル通り「トランスジェンダーを排除しているわけではない」なんだよね。「議論したいんだけどトランスジェンダー感情擁護勢って議論してくれないよね。」って話が書いてあるだけ。

「こっちの気持ちを聞いたうえで活動してくれないか?」に対して「差別だ!」って言うばっかで何も進展してない。

ただこの岡野八代の文章は結構価値があると思う。さっきの遠藤まめたは壊れすぎてて読めなかったんだけど、こっちは「どのように思考が壊れてるのか」がわりかし読み解きやすくて参考になる。

「思い込みをまずやめてくれない?」っていう趣旨を含んだ提言に思い込み100%で食って掛かってるのは痴呆症なのかなぁ。無理のある主観と被害妄想が複雑に絡み合って最終的に論理として破綻している。そもそも論理が破綻する以前に相手の主張を掴めていない。論壇に立っていい人間だとは到底思えないんだが。

「トランス論者ってお話にならんよね」に対してお話にならんことをしているという最高の皮肉を自分で演じてしまっている。自己言及的っていうか滑稽きわまってんな。「誰もその話してないんですけどー」対象となる話を延々と続ける様子がもはや放送事故だわ。

トランス女性にとって、自身にとってまさにプライヴェートな空間に入ることが、誰かに「構わない」と許容されなければならないとしたら、それはどれほどの苦痛でしょうか。

じゃあ結果として男子トイレ入るべきだよね。この引用部分に限らず全面的になんだけど、自分で何言ってるのかすら理解できてないんだよな。理解できてないまま言ってんだよな。自分の論理がどうなってるのかって把握できてない。クソ無様なことしてんのに諭すような態度されて、なんか怒りが湧いてくる。

断絶を生んでるのはこいつらなんだよ。建設的な話に入る前に「差別です」って言って議論打ち切ってくれちゃって。マジもんの害悪だ。

◆言わなきゃいいこと

アカデミックな発言したがるLGBT、フェミニストの方々がおおむね頭悪く、また精神的に難題抱えてて不安定な人物であるってのは、そうなんだと思う。割合として言ってること狂っている人物が半数以上占めている。

「まともなひともいるはず」と思って探せば、いるのはいる。意味ある活動を着々と進めている人がいる。でも狂ってるLGBTのほうが声でかすぎて頭悪すぎて叩かれすぎてて。個人的なネット上の印象としてはもはや9割が頭おかしいとすら思える。現実社会で遭遇するまともなLGBTとのギャップがひどい。そもそもLGBTにそんな遭遇せんけど。隠してんのかね。

なんで彼らは狂ってんだろう?っていうのは、そりゃ彼らを否定すると社会から叩かれてしまうから。論理が破綻していたとしても彼らを認めないと差別者のレッテルを貼ってくる。論理の破綻を指摘することがリスク高すぎるしそもそも会話通じない。ゆえに無敵。彼らは狂ってても地位を保てる。

逆に彼らの立場からしてみれば、反論してくる奴に差別者のレッテルを貼って頭悪いことほざけば勝てるんだからイージーモードっすよね。

あほくさ。誰も助からないんだわそれ。

精神的に安定してるLGBTの人は、自分を自分で認めながら普通にうまく世渡りしてる。つまり、少しの我慢と少しの不安に寄り添いつつ特に問題なく生きてる。LGBTじゃないひととなんら変わらん精神状態で生きている。そりゃそうだ。普通の人なんだから。

そのなかに精神的にガックガクのクソバカ低能LGBTが当然ながら紛れるわけで、そういう人らが意味不明な論をぶち上げてくれる。LGBT以外の文脈で例を挙げればワクチンで5Gがどうこうとか、水素水とか、マルチ商法とか。「え?そこにそんな過敏に反応するの?」「思い込みじゃんそれ」とほかの人が思うようなことに執着して自分の人生を感情に振り回されながら生きつつ他者に迷惑かけるゴミ。

それらが混ざり合っているから難しいわ。頭おかしいね病院行きなって言われるべき人が、ジェンダー論という被差別主義(造語)を盾にしているから否定されづらくなる。

「ワクチン5G論を認めないのは差別」って価値観が主流じゃなかったのは不幸中の幸いだったね。

理解の推進とすり合わせだけで済む(あとは世代が変わるまで待つしかない)話なのに、頭おかしい人が「よかれ」で頭おかしいこと言って断絶を進める。権利主張により時代を後退させる。

◆結

つまるところ、差別的思考を持つ人らが差別に反対しているって構図でした。遠藤まめたと岡野八代については、自分のしている差別にまず気付くべきだわな。難しいんだろうけど。「何かに恐怖を感じる自由」を押さえつけていることに気付いてほしい。