ターニングポイントさん!?

ギロナー

ENTPの話をこないだ書いたので、議論について話す。ENTPは「討論者」とか呼ばれてて、議論が好きなんだらしい。好きこそものの上手なれ。

(短いブログをサクッと書くテストにギリギリで失敗したか…!?どうだ…!?と思って読み直したらこれ大幅に失敗してるじゃんって感じのウェブログです。)

◆目的

ギロナー(議論する人)(造語)の目的は、結論を出すこと、あるいは結論が出ない領域であるという結論を出すだとか、妥協点という結論に落とすことである。

出した結論は多次元的に評価される。多次元的ってのはつまり、いろんな方面からみて合理的だったら良い結論と評価できるだろう。逆に、ある一面から無謬(理論や判断に誤りが無いこと)であったとしても、反対側から見てボロボロだったら評価Fです。

議論が下手な議論好き(うんちギロナー、うんギロ)は、最速で結論を出そうとする。自分の主張を通そうとする。理だけで詰めようとする。結果、一次元的に正しい結論になる。足元がお留守になる。

◆感情

正しさはどこにあるのか。それは全て人の心の世界にある。筋が通っていても人の気分を害したんだとしたら、それは「合理的ではない」って判定になる。なぜならこの世界には人の心以外のものが存在しないから。

犬の心とか猫の心とかもあるねって思ってもいい。「認知と反応しかこの世に存在しないと仮定しても問題ナッシングだよね。」って話。精神でしか物事を語るすべはない。つまりこの世には心、魂、精神しかない。

合理的ではない、言い換えれば感情を損なうような結論に落ちる議論とは?それつまり議論の体を為していないってことだ。単なるおしゃべりだ。関係各位の幸せな気持ちの平均が最も高まる点に落とすことが「合理」です。議論した結果として不幸であれば、議論の意味がない。

そもそも、議論しなくていいものをわざわざ議論にしちゃってるのは三流だ。

百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

† SONSHI †

議論で勝つのは、善の善なる者ではない。議論になる前に相手をぶちのめ幸福な気持ちにハメてしまうのが議論を超えし議論、超議論なのだよ。超議論ってなに?

◆討論会

討論会とか、もっと小規模なディベート大会とか見てても、議論っぽいことしてるんだけどなんか手芸大会くらいのものに見える。きれいなパッチワークができたね、くらいの。

パッチワークがきれいなことは人生における素晴らしいことのひとつとしてカウントされがちなんだけど、もっと実用に振り切った議論をしてんのかなと思ってたし。口じゃなくて脳みそ使ってディベートしてるんだろうと期待してたんだし。

誘われて見に行って「えーどこにも落とせてないじゃん。誰も心臓をえぐれてないじゃん。時間の無駄かよ。」と、驚いた記憶がある。手芸大会ならパッチワークが残ってかわいいねナデナデだけど、討論会で何も残せてないんだから手芸以下だ。焼肉屋でビールが来るまで乳首の毛について4分くらい語り合ってたのと同じ価値だ。

口で議論してるだけだから何にもならないところにしか落とせない。そこでやりきった顔してんのは、なぜ?身を切らない議論をする意味ある?芯を食わない議論をして何になる?相手に強要はできんが、せめて自分だけでもパンツ脱がないと議論らしい議論にはならん。なるわけない。

とは言え、わかんないじゃん。脱がねば議論にならないということを、存ぜぬ人間が多いのもしょうがない。だってそもそも脱いだことがないんだろうから。気持ちの柔らかい部分を出すのはいけないことだと教わって育つから。でもギロナーは脱ぐ。すぐ脱ぐ。大興奮。

脱ぐ気もないんなら、あんなん議論じゃねぇ。言い合い。半分寝ててもできる。半分寝ながら人を論破しかけて「ぉやべっ」って思って目を覚まして議論開始するくらいの脳の使ってなさだわ。

◆常に聞け

議論になってから相手の話を聞いてるんじゃ何もかも遅すぎてケツから欠伸が出ちまいます。アマチュアギロナーの烙印を後で食べよう思って仕舞っておいたプリンか何かに押されても文句言えない。

相手の声だけ聞いてるとかも残念過ぎる。「目は口程に物を言う」って諺があるように、話していることや口調だけで相手の主張を聞くことはできない。初めて会話した人間であっても、目ぇみたら「あ、コイツだめだわ」って事前予測できたりもするだろ。そっからどういう議論を完成させていくかって脳で考えなきゃいかんのですよ。口だ耳だでやりあってもしゃあない。めみみはなくち脳を使えよ。

普段の様子をよく観察しておかないと、普段と違う雰囲気まとってる時の議論がこける。

◆論破

論破は、方法により説明できる。正しいから論破できるわけではなく、論破する手順を踏めば論破できる。

技巧によらずとも、自分の意見とそれに対する反論と、その反論が通らない理由まで全部を自分自身でテンポよく話し切ってしまえば相手に一言も話すタイミングを与えずに論破することだってできるだろう。口よりも思考のほうが速く動くわけですから。でもそれでは意味がない。議論になってない。

つまり、論破する方法なんて知ったうえで使わないようにするくらいしか用途が無い。あとは相手の論破法にクロスカウンター決めて殺害するくらいか。

論破法を使うと議論がダレる。論破できて喜んでんの?それはギロナーのスタートラインに立ててすらいない。スタートラインを探す必要があるってことに気付けていない。

◆相手の議論レベルに合わせろ

議論はスポーツではない。正しいことを言って相手をやり込めりゃいいってわけじゃない。話し合うことが議論である(トートロジー)。経過と結果が評価され、評価基準は議論に関係ある人の全員の感情。横文字で短く言えば、ステークホルダーの感情。

議論の参加者のうち、一人でも負けたら全員が議論に敗北したことになる。あるいは議論を温和に済ませるためにその場しのぎの答えを出したとして、後々でステークホルダーの感情を損なうんならやっぱりそれは議論の敗北である。

アホがまぎれると敗北しがちだが、アホまで包み切ることだって当然できる。超議論をしろ。

超議論ってなに?

相手が何を考えてんのかってところについて、全部を抽出しきらなければ真理なんて算出しようもない。抽出する方法について何も考えず、相手から恵んでもらった言葉だけで全部済まそうとするのはヌーブギロナーの陥りがちなパターンだ。

相手はギロナーではない。相手は自分の考えを言うのが下手だ。ギロナーワナビーであるお前が合わせろ。

例えばだが、「自分の議論強さが相手に露呈してしまった」時点で話がややこしくなっていることすら有る。議論に支障が出る。そっから始まっちゃってんだよ驚くべきことに。

5分で済む話であっても、15分かけなければいけない時だってある。同じ結論に至るにせよ、相手がうんうんと悩みまくっていることについてペロっと速やかに解決してしまってはいけない。

◆つぎろん

次の議論を見越した議論をせねばならない。

議論下手な人がいても、その人が頑張って話しているのを奪うようなことはしてはいけない。話し切ったのを「要するに」とか言って掻っ攫ってはいけない。要する必要あるんだけど、やり方考えろカス!

次の議論がよりよくなるように、新規ギロナーの必須栄養素まで含有した議論をしてこそのプロギロナーだ。

また、議論を牛耳ってもいけない。誘導しなければならないが、相手の決定まで誘導してはいけない。何も自分の手柄にしてはいけない。

相手と対等な立場で議論するのは当たり前だが、「議論づよさも同程度である」という誤解もちゃんと相手に植え付けておかなければならない。同じくらいの賢さであると相手に思わせろ。

◆脳内でまわせ

「言ってるうちにわかってくる」みたいなこともあるんだけど、甘い。積みこみが甘い。

▼レベル1

自分の意見を言っているうちに自分の言いたいことがわかる。

クソザコナメクジ。もはやギロナーと名乗ることはできない。

小学校のギロヌの授業(存否不明)を受けなおせよ。

▼レベル2

言おうと思ったことを脳内でエコーさせて自分の中で処理し、言うべきことを選べる。

ギロナーの端くれと言ってもいいかもしれない。少なくとも「思ったことが口からでちゃう」みたいな括約筋ゆるゆるアナルで脱糞常習泣かせるオツムなムーニーマン野郎!とか近所の老婆に会うたび呼ばれる段階は終えている。

そして、レベル2、オムツ外れる段階に至ってない人がしこたま多い。ほぼレベ1。言える立場であるとき、思ったことポロって言っちゃう。熱くなって言わんでいいこと言っちゃう。

あるいは勝手に「言えない」「言ってはいけない」とか思い詰めて自爆する。

▼レベル3

言おうと思ったことを脳内に構築した相手にぶつけ、反論を受けることができる。

相手の言うことを予め(あらかじめ)読んでおく。

▼レベル4

言おうと思ったことを脳内に構築した相手にぶつけ、表情とか纏っている空気感を窺い知ることができる。

▼レベル5

言おうと思ったことを脳内に構築した相手にぶつけて、相手がまだ出していない情報を知ることができる。

ここでやっとプロギロナーの2級程度です。

実際のところ、もはや脳内に相手の像は浮かんでいない。もっと頼りがいのある抽象的ななにかを駆使し短時間のうちに磨ききることができる。

相手が話しているさなか、その話がどの方向に流れるかっていうのを数パターン読み切り、その落ちた(落ちる)ところについて全て脳内応酬を済ませ終わって一息ついて脳内でお茶を淹れてたら「そういや大家からブドウ貰った」とか言われて「ブドウに緑茶ってどうなんだっけ?」とか思っているところで相手が言い切るくらいの感じ。

その中で相手が「ひとつも言ってないこと」について「ありがちなアレ」は5、6パターン出ているわけだから、そのどれか、あるいはどれでも無いという前提のもとで次の言葉を出せるようになってくる。相手が気づいていないことすら予見できている感じになる。

◆調速

▼一番いい出汁が滲み出る速度で議論しろ

爆速でチンポしごいても良質なザーメン出てくるわけねぇだろ糞馬鹿が。相手にとって丁度いいチンポテンポで議論したげねば、美味しいやつは全然出てこない。相手に考える猶予を与えずに自分だけ急いたとして、好い結論が出てくると思うかね。妥当を導出できたとしても、つぎろんが濁る。

相手が遅かったんなら離れず待ってあげるべきだし、相手が速いんなら並走しつつ「まぁまぁ」って宥めて、なんなら関係ない話をしてでも調速しなければ。

▼相手の反論を加速させろ

相手の反論を聞いててそれを捕まえた感覚があったら、そっから全部ひっこぬけ。相手の反論の正しさを余すところなく出し切れ。相手が気づいていない相手の論述の正しさに言及しろ。自分で引っこ抜いておきながら「なるほど」とか言って相手の手柄っぽくしておけ。

◆メタ議論

その議論をする意味についてメタ議論をしておけ。

というのは割と知れ渡っているギロナーの必修メソッドである。が、それを短絡的に運用したらば何が起きるんじゃいって「その話する意味ある?」とかいう発言による不和っすよね。

そんな初歩的なミス皆さんはしないでしょうけども。

完遂させる気がないままメタ議論を転がし、出目がよかったらそれを採用する。そういうことが可能ではある。議論にならない。そもそも拒否っちゃってるわけですし。

◆当事者がいない場に於いて結論は出ない

当然。当然なのに、本人のいない場で物事が決まる。

◆我欲を捨てろ

相手があっての議論です。議論をしてくれる相手に感謝し、議論に殉じます。

っていう標語、ギロナー教室に通ってたお子様は良く耳にしたことと思う。帰りの会が終わったら友達とふざけながらギロナー教室に行って、下駄箱に靴入れて出席のシール貰って、時間が来たら教室のみんなでこの標語を読んで…みたいな。あったでしょ?うちの地元だけかな。

とにかく、自我を捨てろ。自分を含めた全てを対等に扱いつつ議論だけしろ。

「自分を捨てろ」というワードで自己犠牲を思い浮かべたかもしれんが、簡単な問題に対して自己犠牲で答え見つけた気になってはしゃぐのは知能がエゾモモンガくらい低いです。そうじゃなくて、綿密で周到な議論の結果として自分の犠牲が一番妥当である場合にだけそうしてくれ。

◆気遣いすんな

気遣いをする必要はない。相手のために頑張る必要はなく、自然体で議論せねばならない。気を遣うとそれが相手にばれてしまうから。ばれると「気遣ってもらっちゃってる」って思って相手が遠慮したりする。遠慮されると議論が遅延する。結論を掘り起こすことができなくなる。

一切の気を遣わず会話をしていても相手は遠慮し始める。ギロナーとしては困る。

世の中の人は簡単に他者を嫌って離れてしまうもんだから、誰しもそれを恐れて遠慮をしようとする。そういう雑魚と一線を画した態度をとるのが時に有効。「断ったり嫌ったりするかもしれないけど少なくともキレたり怒鳴ったりお前から離れたりすることはしないので安心して全部吐きなさい」という態度でお願いします。

◆あげておろして

議論している内容について、10段階くらいぶち上げた議論をしなさい。むろん脳内で。

「幸福になりたい」以外の全ての問題には、更に上位の問題が存在している。例えばお金が欲しくて悩んでいる人がいたんなら、その問題に沿って歩いて起源を辿り、ルートを検証し、議論に導入せねばならない。

  • お金が欲しい
  • なぜなら、丸太を買いたい
  • なぜなら、壊れた橋を修理したい
  • なぜなら、川の対岸に渡りたい
  • なぜなら、川の対岸に会いたい人がいる
  • なぜなら、生まれすぎたハムスターを譲りたい

つまり金を稼ぐ方法について議論するのは違う。金を欲しがっているひとを見つけたら、ハムスターを対岸に届けるための議論をするべきだ。

「ラジコンの船にハムスターを積載して航行させる」「ラジコンのヘリに紐でハムスターをぶら下げて飛ばす」「投石機にスポンジ巻いたハムスターを乗せて飛ばす」とか、そういう話をせねばならなかったはずだ。

金やらなにやらで困ってる人には、より根源的な問題がある。議論の浅瀬でパシャパシャ水遊びしてるんじゃどうにもならない。上に上に辿って最終的に手元に残ったなんか変な光ってて硬くて握りやすい石みたいなやつを相手にぶつけ…

そうすね。ぶつけるべきではない。

とはいえ、手に入れたその石みたいなやつを諦める必要もなくて、いまどきは加工技術でなんとでもなる。眩しさとか尖りとか、思えばそこは別に本質じゃないわけだし削ってから渡してあげればいいじゃん。例えばハサミを渡すときだって持ち手側を相手に向けるでしょ?

際限なく問題を上にあげ続けると、大抵の場合は途中でとても冷たいものが出てくる。その冷たいものを冷たいまま相手に投げつけるのは間違ってる。10段階ぶち上げたとこから、今度は逆に1段階ずつ現在地点まで降ろしてこなければならない。

議論得意とか頭いいとか自分で言いたいんなら、ハサミの持ち手を相手に向ける手間はテメーで負担するのが道理だろ。面倒くさいと思うんであれば、お前の議論づよさなんて所詮その程度なんだよ。プロギロナーならもう脳に回路通ってっし、思考リソース使わなくても回路を通すだけで綺麗になって出てくる。自分も相手も大切にしたまま正しいことを伝えられる。

そうなれ。お前も。結論を導いたのであれば、次は議論と感情の流れが最適になるように組んで全うしろ。

◆感情2

最後に、もっかい感情について。

理解いただけたと思いますけど、ギロナーたるもの、個々の議論は感情、気持ち、ひいては幸福という最高価値に対して奉じなければならない。つまり、人によって言うことを変えなければならんし、相手の体調によって言うことを変えなければならない。情理を尽くせ。

ある人間がある精神状態のとき、耐えられる言葉と耐えられない言葉がある。そこを無視して言いたいこと言うのは甘えだ。相手に甘えている。頭がいいんなら相手を傷つけることなく偽らざる真理を伝えることなんざ造作もないことだ。議論で相手が傷つくのであれば、つまり貴様の頭が悪いということ。頭が悪いんだから人に偉そうに高説を垂れて良いわけねぇだろバカが。バカはタピオカでも貪ってろ。

俺はバカなのでタピオカドリンクをよく飲んだけども、GOMAYA KUKIっていう店のゴマのタピオカを飲みたいねとひっそり思っていたらアレいつの間にか閉店してた。おいおいwwふざけんな!!!!死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!

逆に、相手の心ない言葉でいちいち感情を揺さぶられてんのもギロナー落第です。そういうこと言うやつだって見破れていないのも浅はかだし、口調一つで怒ったり悲しくなったりさせられてるのは脳内議論の精度が低い。相手がその心無い言葉を紡いでしまった背景について考えられてないんだよ。それは自分のことばっか考えてるから。フリーの時に「あの会話は何で壊れたんだ?」とか、頭を動かしておかなければならない。

焦点が議論に合ってさえいれば、怒鳴られようが人格否定されようが「議論が遅延する苛立ち」以外の負の感情は発生しない。議論へ没入していないと萎縮したり悲しんだりすることになる。

議論するのが無駄な相手だとして、単に捌ければいいってんならそれはパターンを適用すればいいだけだ。自分の立場を残しつつ相手の感情を納得させればいい。議論無駄な相手から犯罪行為されたんなら証拠を押さえて警察に通報。なんて簡単で明朗な社会なんだ。

▼荒ぶらせてもいい

穏便に済ませりゃいいってわけでもない。すべてを手中に置きながら相手を怒らせてもいい。怒らないとダメな人もいるし泣かないとダメな人もいるし。敵役のやり方にもコツみたいなのがあるけどもう書くの疲れたので帰れ。

幸福という結果のためであれば、人から嫌われてもいい。相手や自分が幸福であればいい。

◆結

まずなにより、議論に勝たなければならないという思い込みを捨てましょうよって。相手を論理でボコっても議論づよいことにはならない。

気分が良い感じになるための議論をし、ギロナー試験に合格できるよう頑張ってください。応援しています。あばよ。

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3件のコメント

  1. ペン丸

    Power Automate desktop の記事でブログを知り、色々拝見しております。

    私はギロナーレベルでいうなら1だと感じています。
    頭の中でメタ理論を回す
    という項目についてば掴めたような掴めないようなという感覚なのですが、
    あげておろして
    の部分の説明がよく汲み取れませんでした。
    頭の中で10段階上げたような議論
    とはどういったものでしょうか。

    読みづらい文章で恐縮ですが、ご返答いただけますと幸いです。

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