わりと興味ないので、サックリとテキトウなことを言う。

森会長は「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。(中略)女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困る」と発言。さらに、「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げていうと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」と説明した。

しゃべり過ぎるのは女性ではない 森会長発言の誤りを示す研究結果魚拓

ちなみに、参照元記事にかかれている研究は「理事会における統計」ではないので無意味。紐付けられない。この記事書いた人は森の言いたいことを否定したいだけであるから、否定するための材料が見つかるまで探しつづけただろう。また、自分に不利となる研究結果は意図的に無視(知った事実の隠蔽)をするだろう。

◆女性蔑視発言であるか

違うよね。

「女性蔑視だ」と言っている人は

  • 深層で女性を蔑視している男性
  • 女性であることにコンプレックスを持っている女性

だろな。だってこの発言自体は女性蔑視ではないんだもん。傾向の話をしているだけだし。「男性は暴力的である」くらいの話であって、何を言いたいのかは文脈からわかるはずだ。

例えば、自身が男性であることをコンプレックスに思っている人は「男性は暴力的である」という発言を読み違えて過剰反応するだろう。本来は誰も気にしない。

足が不自由である人のことを、劣った人間として蔑まないでしょう。そいで「足が不自由な人は歩くのが困難であるから階段が混雑して困る。エレベーターを整備すべきだ。」という発言は障害者蔑視なの?

◆女性差別であるか

うむ。どっからが差別かっていうのが最近わからん。

例えば「女性は男性より劣っている」という発言は女性蔑視であり、差別だ。「女性を理事にするべきではない」「女性はぞんざいに扱っても良い」も差別だ。でも「会議が長引くよねー」って物言いはどちらにも当たらんのではないか。「ラーメンうまいよねー」に対して「まずいラーメンもある」って言われても困る。「男性って性犯罪しがちだよねー」「男性ってあおり運転するよねー」に「しない男性もいる」って言っても意味ないっていうか会話苦手かよ。

「それなー」あるいは「え?そう?」しか返せない話題だ。後ろ暗いところがあるから無駄に刺さるのだ。「撮り鉄の迷惑行為多いよねー」って言われて焦る撮り鉄と同じだ。自己を承認できていないから自分の属性に縋りつくことになる。属性をアイデンティティだと勘違いしているがゆえに、属性について人から語られるとキレる。

突き詰めていくと、個人の評価ですら差別になるんじゃないかって思う。であれば、森の考えたことや言ってることを感情的に批判し糾弾する姿勢が既に差別であり、言論の弾圧だ。

「憤りを感じる」とか、意味わからん。「猫を撫でてたら腹が立ってきた」くらい意味わからん。どういう理由で憤ったのかを聞きたい。「憤ったから憤った」んであれば、発言するべきではないと思う。なぜなら、思ったことを言っている時点で森と同じだからだ。お前の憤ったという発言で憤った人がいた場合、お前は糾弾される。これはガキの喧嘩だ。

▼見過ごされている差別

「女性理事の比率を増やすべきだ」は「男性理事の比率を減らすべきだ」と同義であり、男性差別だ。「女性のほうが女性の立場を理解できる」「女性独自の視点を持っている」というのは女性以外を差別している。女性的な視点を持っている男性はいる。男性の視野は狭いと言うのは差別だ。

…という上記の俺の発言は、クソほどどうでもいい。無意味だ。でも今して見せたようなどうでもいい陳述と同じようなことが世間に受け入れられてしまっている。どういうことだよこれは。

問題をわざと矮小化すれば、その範囲でだけ通用する筋の通った話が可能であり、思考する能力が少ない人間を説得することができる。でも意味はあまりない。あるいは問題ないことを重要な問題だとして前提に置けば、意味のない話で永遠に議論できる。弁論術みたいに使いこなして役に立てばいいけど、大抵は無自覚にレトリックを使ってしまっている人ばかり。真の問題について話していないからなにも解決しない。

世の人々はなぜか平等を捨てて女性のことばっか考えている。不当に女性の味方をしている意見ですら内容を精査せずにリベラルとして扱われる。他者へ不自由を強いる言動が、なぜかリベラルとされている。

◆関係ない話をしているひと

話がこんがらがるから、話さないほうが良いと思う。

「森を批判すること = 女性蔑視を批判すること」ではない。そこに大義はない。でもフェアな視点で話せば(森を少しでも擁護したら)ノータリンから罵倒されるのもそうだろうから、あいまいな発言で留めておくのが一番賢い。

話の本筋と関係ない話をすると、そりゃ会議が長引くよね。会議を長引かせるタイプの人びとが、この話題を意味のない段階まで盛り上げて世界の足を引っ張っている。

◆森の言ってることは正しいか

前提として、正しいにせよ正しくないにせよ、言わんほうが良い。今は不寛容の社会だから。多様性を認めない社会だから。女性の傾向についてなにか言うと、不寛容な人々から感情的な言葉をぶつけられる。多様な考え方を認めない人々から差別される。なんちゃってリベラルとかいう多様性の敵が平然とのさばっている世界だ。

森の発言は、正しいとも思うし正しくないとも思う。女性って、会議の目的意識をあんまり把握してないし、論理的な話より感情的な話(なんか気になるから話したいこと)に興味を持っている。いまも感情的な話しか出来てないじゃん。問題の構造を把握してないし、何を解決すれば良いのかを考えないまま言いたいことだけ言いがち。「この人は何を話してんだろう」と思いながら黙って聞いている時間が結構ある。だから発言時間を定量的にコントロールするべきっていう提案も分かる。

いちいち言うのも馬鹿らしいが、上記が傾向の話をしているってのは読み取れるよな。一般レベルの読解力があれば。加えて、良い悪いの話はしていない。とはいえ、熟年女性との議論とか会議を複数回こなしたことがない人には実感がわかないかも。

「女性っていうのは競争意識が強い」っていう決めつけは違うように思っている。俺の見立てでは、男性と女性の興味が違っていることが原因。興味が違うからそれぞれ同性同士が話しやすいわけで、だれか女性が話し始めると他の女性も話しやすくなるんじゃないかね。俺個人がそう思っているというだけだけど。

そもそも、理事会というものに参加したことがあるひとがどれほどいるわけ?なんで「差別だ」とか無責任なことを言えるんだろう。理事会に詳しい人なの?

皮肉にも「会議が長引く」構図を体現している。些事に拘泥しまくってるし、その些事にすら建設的な発言ができずに滞ってる。悲しい。

◆辞めるべきか

ほんとに、驚くべき速度で短絡的に「辞めろ」っていう。

森が組織の中でどれほど貢献したのかという話を全く知らんくせに極めて無責任なことを言ってのける。辞めろって言ってもいいけど、じゃあ誰が次やれば良いんだよ。

そもそも、辞めなければならないほどの大きな失言だったのか?少しの失敗すら許されない社会なのか?今一度問い直してほしい。

◆なんであんなに燃えたのか

ノリでしょ。

◆世論は森会長の言葉を女性蔑視としているから女性蔑視だ

全世界が「黒人は奴隷だからぞんざいに扱ってもいいし差別的扱いをしてもいい」と言おうとも、俺はそれを認めない。「ユダヤ人は悪魔だから殺してもいい」と社会に詰め寄られようが、俺は自分の倫理観を信じる。全世界がお前の言ってることを違うと言っても、俺は俺の判断基準でお前の言うことを評価する。全世界がお前の敵になろうとも、俺はお前と対等に接する。

日本がどうであろうと世界がどうであろうと誰がどうであろうと俺は差別的な発言に味方をしない。俺は多様な考え方を尊重し、排斥ではなく議論をする。「自分の意見と違う人が社会から排斥されてスカッとJAPAN」みたいな世界を俺は許さない。「あいつは嫌い。苦しめばいい。」と俺は思わない。

※このブログはご存じ糞の掃き溜めであるので、糞が掃き溜められている。俺の思ってしまったことと俺の現実社会での態度は時に異なる。俺の感情と俺の倫理観は違う。

◆不寛容な社会

考えていることや思ったことを言うと、非論理的な論調で叩かれる社会だ。

非論理的に叩かれるとどうなるか。蔑視でも差別でもない発言で辞めさせられるとどうなるか。それは、思ったことを内面に隠すようになる。裏で物事が動くようになる。平和ボケした愚かな人民が下す不条理な罰を回避するために隠蔽/隠滅を繰り返すようになる。

例えば一貫性なく感情で子供を叱れば、同じことが起こるだろう。「駄目だから駄目」みたいなアホまるだしの言い分で叱れば正直さが損なわれる。裏で悪事を働くようになる。

「駄目だから駄目」勢の問題は、前提ありきで理由を後付けしてくるところ。お前の学校にもそういう先生がいたでしょう。自分の言ってることに裏付けという責任を持たず、人に責任を求める人種がいたでしょう。今回で言えば「女性蔑視である」が前提になっていて、女性蔑視である理由を後付けする。女性蔑視か否かを、平等な視点で評価することが出来ない。両方の立場に立つことが出来ず、批判したいからという理由で批判する。批判で誰も幸せにならないとしても批判する。

感情的な世論で感情的な政治がなされたり、不透明な政治の力学が働くことに俺は反対する。だから俺は森をちょっと擁護させて頂く。失言のない人間よりも、能力の高い人間に政治をして欲しい。

◆どういう態度で臨むべきか

失言に対して「良くないと思います」とか「あなた辞めたほうが良いと思います」みたいな小学生レベルの発言してはいけない。腹がたったのは分かるが、そこを起点にするのは大間違いだ。誰も幸せにならん可能性が高く、不幸を生む可能性が高い。

今回で言えば、批判する前に質問が先立つだろう。でもみんな批判しかしないから、森は当然守りに入るしか…入ってないな。普通の受け答えをしてる。さすがというかなんというか。

―五輪精神に反する話もされたが、そういう方が組織委会長をされることは適任か。

 「さあ…。あなたはどう思いますか?」

―適任じゃないと思う。

 「そういう風に承っておきます」

森喜朗氏、会長職に適任ではないとの詰問に「そう承っておきます」…記者会見一問一答2魚拓

うんうん。世論に迎合しない受け答えだ。筋の通り具合という尺度では妥当な回答であるし、妙な発言をちゃんとおちょくってるし、個人的には信頼できる。「さあ…」としか言えないわな。誠実な受け答えが求められるんであれば、森の発言が「五輪精神に反する」かどうかを記者に理詰めせねばならん。そして記者は答えられなくなるだろう。でもそういう大人気ないこともしていない。

必要なことは、みんなが幸せになるための合意と仕組みだ。怒るのは意味がないし、怒る気持ちもよくわからない。共感できない。本人に自覚はないんだろうけど、単に不寛容だから怒りが湧いただけじゃろ。自分と違う考え方が存在するという事実を受け入れられてないだけであって、「黒人風情が俺と同じ水道使いやがって!」と怒るのと変わらん。怒る意味がわからん。

自分と違う人間がいても、違いを認めなければ。違う意見の人がいても、その言い分は冷静に聞かなければ。腹が立ったとしても、殴り合うんじゃなくて会話しなければ。

じゃないと戦争になる。相手への敬意がなければ、会話ができなければ戦争になる。だから、少なくとも自分から人を見下すようなことをしてはいけないし、会話を放棄してはいけないはずだ。でもみんな会話を早々に切り上げて、森を叩くのに夢中になってるよな。森がどういう発言をしたのかは関係なく「女性を蔑んだっぽい気がする」で叩いている。

一般論に落とし込んだら、以下のとおり。

  • 目的が何なのかを把握する。目的を達成するために建設的な発言をする。
  • 敵と味方を読み違えないこと。森は男女平等の敵ではない。
  • 男女平等を主張したいなら、歴史の勉強をしろ。
    • 勉強しないと過去の失敗を繰り返すことになるから。
  • 言葉の意味を理解しろカス。国語辞典を引いて意味を理解してから使え。

感情的に人付き合いしてても幸せになれるわけないし、単語の意味がわからないのに意思疎通できるわけ無いじゃん?「わかっとるわ」と言いたいだろうけど、それ本当ですか?

◆結論

どうでもいい。お前ら、どうでもいいことをずっと話してる。

短く済ますつもりが長くなっちまった。時間返せ。