例えば

  • 言語の能力が発達したから論理的な思考ができるようになるのか
  • 論理的な思考ができるから言語の能力が身についてくるのか

という因果性のジレンマがあったとして、どちらが正しいのか。あるいはどちらも正しくないのか。あるいは相互に作用し合っているからロコフィットGLなのか。

そして別のラインで精神的な障害とかパーソナリティ障害が絡んでくる。パーソナリティが人として終わってる俺みたいなゴミクズであっても言語をある程度使いこなしてくることある。

…オイオイオーーーーイwwwww誰がゴミクズだーーーwwwwwwオイオイオイオイオイオイオイオイオイオーーーーイwwwwwww

◆何を見てこういうことを言っているのか

それまで興味なかったんだけど、EXIT兼近のTwitter声明の文章がめろめろすぎて少し興味が湧いた。

コイツ何様だっていう物の書き方で草が生えます。

やりとりが厳しい。ごく一部を読んだだけでもビシビシ伝わってくる厳しさ。ウナギに手話教えるくらい厳しい。

会話になってないし誤魔化せてもいない。誤魔化せてないっていうか、Yes/Noに閉じる質問に回答できてないから誤魔化そうとしてるんじゃないかと読まれても仕方がない。書いてあることを兼近が読めているかどうかすら判断つかない。これは論理的な思考ができてないのか、意図を言葉で伝えきれていないのか。どちらか。少なくとも書きっぷりは終わってる。

ありがとうございます!事実なんてみなさんはどうでも良いのです。

これは…どういうことなんだ?言ってることは分かるけど返し方として有り得ない。この発言に対するファンの応援も腐りきっててゾワゾワする。好き。

◆インターフェース

EXIT兼近は以下のどれに当てはまるのか。

  1. 論理的な思考が出来ていて言葉の入出力が壊れている
  2. 論理的な思考が弱い
  3. 論理的な思考が弱くて言葉の入出力が壊れている

入出力が壊れていたら知性も周りからして意味がない。我々が人間を観察するとき、任意の入力からそいつが何を出力してくるかでしか判断することはできない。人間そのものを見ることは出来ず、人間の出力を見ることしかできない。

まず入力しづらい人と付き合うことは難しい。手紙を入れたら自動でビショ濡れる郵便ポストは意図を届けるのに難しい。かたや出力が予想つかない人と付き合うことも難しい。ボタン押したら上から熱湯とか噴き出してくる電気ポットは難しい。だから使いやすいインターフェースが必要ではある。ある入力から常に一貫して同じ出力をする人間は付き合いやすい。

インターフェースは「inter」と「face」からなる英単語で、「面と面の間にあるもの」を意味する。AさんとBさんの情報のやり取り、入出力がインターフェース。

◆何が言いてぇんだよ

以下、悪人善人という語彙を使う。俺は個人的に悪人善人って区分けは存在していないという考えではある。

良い人とはなんだ?ということを考えた。兼近は現在悪人なのだろうか。スレッドを読み進めた印象でいえば、ただ文章の出力が壊れているだけかもなと見て取れた。そもそも興味ないから全部は見てないし判断付かないけど。

ただその、「誤解されやすい人」ってそれ善人なのだろうか。人に刃物を渡すときに持ち手ではなく刃先を向けてくる人間は善人でいいのだろうか。出力を簡単に間違うってそれ悪人と紙一重では。宮崎勤の出力はどうだったんだよ。

入出力が壊れている人とか、少なくとも信用はできないわ。信用できないっていうか信用可能性を高く見積もることができない。ベットしきれない。言葉の解釈に難のある人間もそう。物事の解釈の方法とか言葉の使用が困難である人に、そんな全面的に加担していいんでしたっけ。

EXIT兼近の影響力がなにも無かったんならこんなこと書かないんだけど、頭悪そうなファンみたいなよくわからん生き物がウゾウゾ群がってるのをみてグロテスクに感じました。同じく入出力が壊れたような方々が集まって交尾しあってるのを見てしまうと、すごいなんかしでかしてくれそうでこわひ。嫌な気持ちするけど薄目で見ていたい。確かにウンコ臭いんだけどちょっと嗅いでいたい。周囲にいられると残念な気持ちするんだろうけどTwitter越しならば。

◆入力が壊れてたら思考だって危うい

世の中の見方(世界観)みたいなのが壊れてたら出力も壊れやすかろうて。

入力解像度が低いカメラは出力もボヤける。そのボヤけた出力を通りすがりの人が見たとしたらそれちょっと批判の気持ちが湧いてきますよね。でも入力のボヤけた者同士ならそれぞれ仲良くできるかもしれない。細かいこと分からんから好きかどうか雰囲気で判断すればいい。

人間に入出力の質があるんだとしたら、それ即ち人間の質になるんじゃないか。人間の質が人間の価値ってこともないだろうけど。

そんなこんなで出力を批判されたとしても、入力が腐ってたら何が何だか分からないのかもしれない。「なんか分からない理由でとにかく非難された😭」としか思えないのではないか。細部が見えない人にとって細部は無きに等しい。心の機微も言葉のニュアンスも認知すること叶わず。見えないから認識できないし、まして掴もうとか、願うことすらもできない。あるいは細部というものがあるという情報だけ聞き及んでそれを掴もうとし、生ゴミに手を突っ込むのかもしれない。生ゴミかどうかわかんないよだって視界が曇って鼻も詰まってんだから。生ゴミの中にお宝が埋まってたりもするんじゃないのか稀に。

視力がボヤけていのたなら眼鏡をかけて矯正すればいいけど、感性がボヤけていても打つ手がないわ。そもそも視力検査のように感性を定量的に測れない。自分の入力がボヤけているかどうか判断する術がないのは末恐ろしいことだ。存在しない霧の中で生きている人がいるのかもしれない。感性メガネが存在したら景色が見違えて感動したりするんだろうか。っていうかそれってもう自閉症とかADHDの薬なのかもな。

雑な仕事の細部が見えずに良いものと誤認し感涙する。良いものの細部が見えずに興味を示さず時に卑下する。人との縁も然り。

だとすれば、その世界で論理的な思考は可能か?どのように正しく育てばいい?どうやって心意気を磨けばいい?

無理な相談では?

◆結

みたいなことを思ってました。こわ。怖いっていうか不憫。不憫っていうか俺は大丈夫なのかよ。

ともかく、快く入力され、一貫した丁度いい出力をする人間になれれば親しまれるんでしょうね。いや違うか。入出力が壊れた人間が市井に蠢いてるからもうどっちでもどうしようもないのか。