「俺は世界一情緒が安定してるんで」と人によく説明している。今まで自分以上に情緒が安定している人間に遭遇したことがないから、憚らずも自称させてもらってます。

かたや、お前のその体たらくはどうしたことだ。ふざけんな。なんだその顔。ぶっ殺すぞ。というので、どうやったら情緒が安定するのかについて考えたい。おそらく参考にはならない。

◆しなないし

死ななくて済むことばかりなので、なんら動揺する必要ない。不幸があっても「それで死ぬことはないし」と思ってりゃなんとでもなる。

この世界には、死ぬほどのことになっている人、実際に死んじゃった人がそれなりにいる。それを知っておくことは時に効果的かもしれん。紛争地帯のはなしとか独裁政権下の残酷物語を読んでいると、まったく死にたくなかった人たちが抵抗むなしくボンボン死ぬ。だから読んだあと暫くしたら逆に心が落ち着くってこともある。いま俺は全然死ぬアレではないわと思える。

自分の抱えている困難が小さい。死なない。

個人の苦しさと比較してはいけないことかもしれないけど、事実として死にようが無い。とんでもなく生き残れる。困窮している世帯はあれど、それでも日本は果てしなくイージーだ。変な理由で連れていかれて意味もなく殺されることがないから。生活保護すらある。どういう天国だよ。考えられん。

親の庇護下にある人間は現状脱却が難しいかもしれんけどな。児童相談所に行け。

あとはまぁ「最悪殴ればいいし」みたいなのもある。殴り返される覚悟は当然必要だけど、いざとなったら思っきし殴るか、その場でジャンプしてスクリューしてドロップキックを見舞えばいい。逮捕されても別に。別に死なないし。

だから大丈夫。

▼まわりが死ぬこと

身近な人が不当な理由で死ぬことがある。それを防ぎたかったら科学を全力でやってください。科学が嫌なら家庭の問題を解消する事業をやってください。身近な人の死んでいく確率が有意に低下します。

慈善をやらないのであれば、自分の大切な人が傷つけられて死んでいくことは許容してください。誰かがイジメで死んだり病気で死んだり暴走車両に轢かれて死んだりガソリンぶっかけられて焼き殺されるのを見てきて、なぜか「自分には解決できない」とか言ってスルーしたじゃないか。スルーしたら自分のターンが巡って来るに決まってる。だからあなたの父母息子娘恋人友人には偶然を理由に死んでいただくことになる。あなた自身が「誰かの大切な人が死ぬ未来」を承諾し続けているんだから。

ババ抜きの大会に参加しているという自覚があれば、ババを掴まされても動揺せずに済む。ババ抜きを止めようと行動しなかったあなたが食らわなくて済むなんて、そんな道理はないよね。

◆断捨離

物が要らない。必要そうに思わされているものって結構いらない。周りにあるものが少なければ少ないほど考えることも少なくて済む。

生活や気持ちに問題があるとき、何かを足すことによる解決を考えてはいけない。「自分は足りているはずだから自分の外が足りていないのだ」という発想こそ足りていない。スッカラカンの頭蓋の内をまず満たせや。

最終的な目的が心の平穏であると認識できてさえいれば、身の回りに物を増やさなくて済む。逆説的に、頭が悪ければ悪いほど必要なものや欲しいものは際限なく増える。

何かを欲しいと思ったとき、欲しいというだけの理由で取得してはいけない。取得したのちに考え事が増えるから。モノが無かったら考えずに済む。気が散らない。

足りていない焦燥よりも、持っていてそれを失う心配のほうがたちが悪い。所有物が劣化していく心配は割に合わない。

物質的な充足は麻薬だ。酒やギャンブルと変わらん。いい塩梅でやれば楽しいが、過ぎたれば即ち毒になるわ。

◆自分の価値を外部に求めない

衣食住以外のことはオマケである。いろんな楽しいことあるけど、無くてもなんとかなる。

先進国の一般人が持っている価値基準は複雑性の上に成り立っている。世間から提供される価値には蛇足が多すぎる。上に乗っている余剰を払った後に残るのは衣食住でしかない。ピンとこないかもしれないけど、最後はそういう風になっている。

欲しがるように調教されながら生きてるんすね我々は。あるいは自分を調教している。

SNSとか見ていて自分より幸せそうな誰かの自慢をみるかもしれんけど、構造を知れば素直に羨ましがれない状況であるとも言える。あからさまに自慢っぽい自慢をするひとは、自分に価値を感じていないから焦って外部に価値を求めてしまっているに過ぎない。「自分の周辺に高価値が揃っているから自分も高価値なのだ」と思い込みたがっている。

人間的に満たされている人には、熱心にSNSをやっている時間とかない。自分と自分の好きなことで忙しいから。

自分の身の回りのことに使える時間を割いてSNSをやっているわけです。悪くはないけど、n年後の糧にはならない。精神の安定にも繋がらない。

◆人と比べない

急に月並みなこと言うけど。人が持ってる何かを見て羨ましがることない。日記をつけているだけの人に勝手に嫉妬するのは認知が歪んでいるからです。日記見るのをやめろ。

金がかからなくて楽しいことって、めっちゃある。金のかかることも金のかからんこともどちらも楽しめる感性が豊かさの正味だ。金がないから自由がないと思っているのは、根本的には心の問題。縛りは自分で外せる。工具不要。

少なくとも日本ではそう。世界を見やれば、財産と自由とが真の意味で直結している地域もあったりはする。

人が楽しんでいるさまをみて羨ましがるのは、自然な心の動きなれど何にもならない。自分が何かを楽しめるかどうかは自分にかかっている。面白いことを体験しに行くっていうか、まずは日々に面白さを見出すための目が必要なんです。

目の前の納豆についてよく考えてもない人間がビフテキ(死語)を羨ましがってどうなる。目の前の納豆を全部やってから次の鶏むね肉を食えよ。

◆立ち止まる時間がない

例えば原動機付自転車に轢かれたとして、その場で「轢かれた!」って喚いてしゃがんで泣いていても何も解決しないんじゃないか。

という意見を理解できる人は多いだろう。でも、理解できている人であっても現実世界でそういう真似をしていたりする。

悲しいとか痛いとかピーピー嘆いていれば通りすがりの人から「病院に行けば?」と言われる。「足が痛いのに病院行けるわけないじゃん!」と怒る。赤ちゃんなのか?

自分の判断で立ち止まっていたとしても、その間は不安だろうよ。不安から逃れるためには、精神を安定させるためには進むしかない。社会に対して文句をぶつけても不幸はなくならない。

行動を起こしている間は大丈夫だし、どういう状況であろうと行動を起こすしかないって分かっていれば不安がそもそも発生しないで済む。

不安だなぁと思ったら前進する。ネットで骨折について調べていても骨折は治らない。「私を骨折させた原付は禁止すべきだ」って主張しても治らない。病院に行け。病院に向かっていれば安心でしょう。病院で「治りません」って言われたら別の病院を当たれ。

行動しても不安が消えないんなら、進んでいる方向を見直すべきだろな。

◆一切合切を己の責任とする

何か嫌なことがあったとき、それが誰かのせいだった時は気持ちがグラグラする。自分のせいだったときは「ドンマイドンマイ!😅」で済む。

すべては自己責任である。自己責任じゃないなら、人生の幸不幸を誰かからコントロールされている状態に陥っているってことよ。生殺与奪の権を他人に握らせている状態。

自分を無力と認識しているひとは文句しか言わない。当然の権利のように怒ってる。だって自分の直面している課題を解決するすべが自分の中にあると思ってないんだから。

自己の責任を認めたくないのであれば、甘んじるほかない。環境に対して文句を言うことがおかしい。職場が嫌であれば辞めたればいいし、日本が嫌であれば日本から出ていけばいい。これは極論とかじゃなくて現実的な提案だ。「きっと再就職できない」とか「英語を話せないのに日本から出ていけるわけない」とか「年齢が」「性別が」「金が」「時間が」とかって、まったく通らない理由をでっちあげて行動することを先送りにしているのは弱すぎ。

自己幸福コントロール権を行使してから文句を言えバカタレ。行動しない理由をガラクタ頭脳から探してきて盾にして後ろからブツクサ恨み言を呟いている人間の、その精神が安定していると思いますか。

精神を安定させたいなら自己の責任を受け入れろ。

ただし、自分のせいであるという事実があったとしても自分を責めるべきという話には繋がらない。自分を責める時間は無駄すぎる。誰かを責める時間も無駄。いつだって求められているのは行動なんです。

◆主導権が自分にないと思わない(二重否定)

主導権あるから。自分で全部を選べるから。逆に選べなかったんだとしたら全人類が不安でしょうがないっすよ。相手に負担を強いること以外はどんな極端な行動でも選べるよ。俺でよかったら手伝うし。

例えばTwitterで権力批判とかしてる人は、主導権が自分にあると思えていない。国に生活を握られていると思っている。

実際に国民が飢えるほど搾取している国もあるけど、日本がそれに該当すると思っているのは世間知らずも甚だしい。どんだけ助けて貰っているかを認知せずに、己で解決すべき実生活の不安を誰かのせいにしようとする。

周りが変わってくれないかなっていう希望には際限がないし、物事を自分次第にできない。相手が変わることとか望むべくもない。説得してもいいけど、変わることは期待できない。

自分の主導権は自分にあるから、つまり相手の主導権は相手にある。相手に何かを強いることはできない。相手に行動しろと迫ることはできない。政治家に文句言うんじゃのうて、政治家を目指せよ。なれっこないなんてことない。なれっこある。

文句を言い続けてずっとイライラしているよりも、現場を目指して進んでるほうがきっと楽しい。

◆聞く

相手が言ってるときに「言いたい」「それは間違ってる」とか他の事を考えてると不幸な気持ちする。ハナから全部聞くつもりで会話に臨んだほうがマシ。相手を遮ってたら自然と自分も攻撃的な感じになってハラハラする。

だから口論っていうか、詳細を聞き出すことにより相手が自然と自分の間違いに気づくような話し方しろよ。自分の会話している相手がどういう病状なのかって見極めてから意見を言い始めろ。

慣れが必要かもしれんけど、一切言い返さずに結果的には論破できるようにもなるはず。口論なんて熱くなって責めてるほうが不利なんだから。

人と争いそうになったら、相手と自分は同じレベルなんだなと頭に思い浮かべてください。上位は下位と争わない。

◆愛する

万人を能動的に愛せよ。人から好かれる必要はない。人から好かれている人を羨ましく思うことはない。

我々は、何人から愛されているかの試験を受けているわけではない。何人を愛せるかという試練の中にいるんです。どの範囲の人まで愛を持って接することができるのかっていうのが人生の質を決定づける。

誰かが愛を供給してくれるのを巣で待っていてもしょうがない。貰っていても欲しくなり続けて、いずれは量が足りないとか文句を言い始めることになる。渇き続ける。

自分から愛している間はその渇きが来ない。愛せる範囲が全人類であれば無敵である。特別な誰かしか愛せないんなら人生がそこ一点になってしまうし、愛せないと諦めた誰かを許せなくなって自分の中に暗い気持ちが発生する。

◆正直に生きる

嘘や誤魔化しをすると面倒なことになる。自分が信じられなくなる。

前に書いたから省略。

何この読みづらいクソ駄文…(ドン引き)

とにかく、隠し事とか嘘とかを一切しないように生きている。なぜなら嘘をつくたびに嫌な気持ちしたから。隠している間中ずっと不安だから。

自分が不利になることを恐れて隠すよりも、フェアネスを優先したほうが自分を信頼していられる。嘘をつく以上の敗北はない。誰も裏切らないと誓っているんだから、自分は自分を裏切らないと思える。精神が安定する。

◆結

そういった気持ちで俺は安定してます。自分の中に全部の原因があって助かるわ。人間は単純かつ便利にできている。

何よりも幸福と安寧を目指して行動すれば安全。

ということで、分かったんならどこにでも行けばいいだろうが。失せろ。もう帰ってくんなよ。