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ターニングポイントさん!?

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「死にたいなら独りで死ぬべき」のはなし

今日はZOZO CHAMPIONSHIPモーニングショーやってなかったから、別のチャンネルを見ていた。グッとラック!っていう番組やってて、立川志らくが出演していた。その顔を見ていたら「死にたいなら独りで死ぬべき」の話を思い出したから、書いておく。

前に書いた京アニ放火の話とちょっと被ってるんだけど一応。

あ、タイガーウッズ優勝おめでとうございます。50万円くらいくれ。

◆死ぬなら独りで死ぬべき

議論のもちあがった理由は、ちょっと前(2019/5/28)にあった神奈川県川崎市の通り魔事件であった。

ニュースサイトのまんま引用するが、立川志らくがこんなこと言っていたらしい。

「死にたいなら1人で死んでくれよって。(略)なんで子供の弱い、そういうところに飛び込んでくるんだ」

「死にたいなら1人で死ぬべき」論争が拡大

これの何がおかしいかって、そもそも期待しているのがおかしい。

無理じゃん。病気なんだから。病気によって周りに被害を及ぼしながら死んでしまったにすぎない。独りで死ぬという判断ができないくらい精神が変質したひとに、「独りで死ね」と怒るのはおかしいでしょう。無茶だ。

結核の人が1人いて、その人に「独りで死ね」って言うの?感染するっていったって病気なんだからしょうがないじゃん。独りで死なすわけにはいかないだろう。それと同じことだ。

この通り魔事件については、精神の病気が原因だった。それを社会が放っておいたから、当然ながら症状が現れた。その症状は人を巻き込むものだった。大抵の場合、独りで精神病を治すことは叶わない。

でもさぁ、いくら精神が病気であったとしても通り魔なんてやんないじゃん。それでもこういう事件が発生する理由は、通り魔をやってのけた本人が苦しんでいたからだろう。社会から取り残されて、明日が不安で、お金がなくて、だけど周りの人間は幸せそうな顔をしてのうのうと生きている。立川志らくなんかテレビにでて沢山お金もらって言いたいこと言ってる。幸せそうな家庭をもって、いい小学校に子供を通わせる親ども。憎い。涙が出るほど羨ましい。殺してやりたいほど妬ましい。

誰も彼を助けてくれない。

「独りで死ね」派の人に足りていないものは「自分が彼だったかもしれない」の視点だ。なにゆえに事件が発生したのかを考えたら、独りで死ねなんて言い方はできない。なぜなら、今この瞬間に狂うほど苦しんでいる人がいるからだ。それを今この瞬間に放っておいているのはお前だ。だから次の事件ではお前が死ぬことになる。

当然の理屈でしょう。

ほぼ全てのひとが「誰かの精神病を放っておいても自分は死なない」「苦しんでいる人を放っておいても自分は殺されない」っていう賭けをし続けている。日々、トリガーを引いている。そんな救いのない賭け、いつか負けるに決まっている。負けるに決まってるし、実際に負けた人がいる。

そして、運よく当たらなかったサバイバーが「死ぬなら独りで死ね」って喚いている。なんか滑稽だよな。意見にすらなっていない、鳴き声みたいなもんだ。次に死ぬのはお前なのに、ロシアンルーレットを止めようっていう発想がないんだもん。

自分の為に全てを使うってことに、リスクがあると思っていない。お金をいっぱい持ってて発言力があって長く生きてる誰かが梃子かなんかで上手いことやってりゃ、この事件は起きなかったぜ?そんななのに被害者のことを思って涙を流したりしている。いや(笑)

加害者はどうすんの!?これで終わりだと思ってんの!?

ふざけてるわー

そう思ってた。今もそう思ってる。

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自信

  1. まる

    あなたの文章を読んでいて、自分の考えが整理されるような心地がしました。

    わたしも基本的に同意見です(あなたと似たようなことを身近な人に言った経験があります)。

    たとえば、ある事件で被害にあった人が”厳罰化を”と望んだときに「罰されて改心するのが人だろうか?」と考え込んでしまいます。

    当事者としてそう(罰を)願うのはわかります(この事件の場合は、罰と言うより人に迷惑をかけない配慮の要求ですね)。周りまでが同調する必要があるのか疑問に感じます。

    加害者側に回る可能性のある(あるいは再犯の可能性のある)人に寄り添うことが、結果的には未来の被害者を減らすことに繋がるのではないかと想像します。具体的には、罰ではなく支援を与えるということです。

    さて。

    こう、、男性性って人の痛みに寄り添うようには出来ていないように感じるんです。共感したり相手の状況を察したりすることはどちらかというと女性の領域内に思えます。

    このことが冷たいと言ってしまえば確かに冷たいのですが、立川志らくさんは父性としての立場を表明したに過ぎないのではないか…ともとれました。

    もう少し具体的に言うなら”承認する立場”です。母性的な立場が痛みに寄り添ったり状況を察したりすることだとするなら、「こちらを選べば認めてやる」と表明して効力を持てるのが男性だと思います。承認もまた人を動かす動機です。

    かなり強い押さえつけだとは感じます。

    人を傷つけることが制止されたとき、じゃあ一人で死ねるかというと死ねない人もいます。誰かを巻き込もうと考えるのは弱さです(弱いことは悪いことではありません)。そこで一人で死ねないから仕方なく助けを求めるなら結果オーライですよね…
    立川志らくさんがそこまで考えて発言しているかと言うとそうではないかもしれません。ただ父親としての勘のようなものは正しく発揮されているように感じました。

    人の痛みに配慮する人は、自分もまた配慮されることを信じることができます。

    自分が苦しんでいて配慮されないことを”受け入れた”からこそ他人を傷つけることに躊躇なかったとしたら彼の指摘は妥当です。

    この加害者の抱えている痛みは、バンプ的に言えば炎に化ける可能性があったわけですよね。
    状況を変えるために一石を投じることだってできた。

    いや、あなたの言うようにできなかったのかもしれない。だとしたら加害者を救えなかった痛みというのもまた、何か行動につながるものだと思います(けれど、無理解は敵ではないような気がわたしにはしました)。

    ここに足りていないのはどちらかというと女性性に思えます。子どものような立場と父性的な立場をつなぐ母親としての役割を果たす難しさを、わたしも子どもを育てているので感じます。

    体感的に思うのは、人の痛みはパートナーである女性が(男性へ)教えるものだということです。

    男性の方が女性と比べ文章ベースの学習が苦手な傾向があります(体験によって覚える物事が多いです)。文章は一度に広く伝えられますが、体感的な経験を授けることができません。それを一対一でできるのはパートナー同士が妥当だと考えます。

    異性同士のコミュニケーションが活発になることを望みます。そういう国(北欧やヨーロッパ)は比較的、弱者に対する配慮が行き届いているように感ぜられるので。

  2. まる

    何度もすみません。

    “立川志らく”さんをよく知らなかったので、無知なまま書いてしまったかもしれない(言葉の印象だけで想像をしたけどもしとんでもない人だったら…?)と思い、すこし興味をもってみました。

    すると、”表現の不自由展”に対する彼の発言がネット検索でヒットしました。表現の不自由展に対して「やっていいことと悪いことがある」と発言したそうです。

    「国家権力に従えということか!」というような反応も(見る限り)あるようですが、周りが彼の発言を深読みしてるようにわたしには見えました。

    個人的には、本当の”悪いこと”は、表現の不自由展自体ではなくそれに向けられた脅しだったり危険な振る舞いだと思いました。

    ただ思うのは、政府に反発することは”偉い”んですかね。わたしにはよくわかりません。”自らは(強者に対しての)弱者である”という印象を強めるだけにも思えます。

    国民が政府をしっかりと監視しまた信頼を寄せている(納得のもと納税している)…スウェーデンはそんなありかたではなかったかと記憶を手繰り寄せます。そのくらい強い(つまりは対等な)振る舞いであってもいいと思うのですが…

    さて。

    そういえば落語家さんは下積みがきついというか、結構上下関係がはっきりしていますね。自分自身がじっと堪えてきたからこそ思うところがあったのではないかと想像をしました。

    とくに、このイザコザについてお金の問題が取り沙汰されていましたが、お金をもらえるという事はひとつの承認の形です。
    ここでまたしても立川志らくさんは、道理に反したことをやっているのだから承認してはいけない(国からお金をもらうなんてとんでもない)という態度をとっています。

    (※道理に反したこととは、人の姿を燃やすような芸術作品があるということです)

    芸術は多少アナーキーであってもいいと感じますが、「まずはそういうところから正さないと危ない行いをしてきた相手にも何も言えないだろう」という順番なのでしょうか。

    お金(という承認)よりもっと大切なことってあると思います。思いやりであったり助け合いであったり。けれど、このこと(承認より大切なものがある)に”なぜ”という問いが出されたときはっきりと語れる人がどれだけいるだろうとも思います。

    “人からは認められないと何もしてもらえないんだぞ”と父性を信じきってる人がいるという、もし自分がそんな不自由な立場にあったら…という相手の視点に立った考え方が不足しているのかもしれませんね。

    不自由が急に自由に転ずると人は荒れます。バンプの「太陽」の主人公が、人を信じられない世界から君の温かさを感じる状況に追いやられて思わずライトを壊してしまったように。

    だとしたら、やっぱり、女性性が足りてない。
    そもそもが不自由を感じさせすぎです。
    そしてなおかつその不自由を肯定する(承認でまかなおうとする)きらいがある。

    あるいは一方では、だからこそ日本は犯罪が少ないようにわたしには見えます。
    これは長所でもあります。

    良いところを見て、ほかを伸ばせていけたらというのは理想でしょうか。

    エーリッヒ・フロムのいうところの、愛が必要な気がします。

  3. まる

    何度も何度もすみません。

    長々とわたしは一体何が言いたいんでしょう。
    最後にもう一度、表現に挑戦します。

    amazarashiというバンドがファーストミニアルバムを発売した頃から胸に残りつづけている何かがあります。「アノミー」・「爆弾のつくり方」という2つの曲が素敵なのです。

    とくにアノミーの”救ってよ”と受容を求める様子は本当に美しいと感じます。このブログ記事、このコメントにまさにな内容の歌で。

    わたしも精神病を患った経験があります。進学校に通っていた時代の偏差値は高かったですが、丁度そのころおかしくなったので学歴としては中卒です。今健康ですが人並みに動けてる(あるいは思考できてる)かというとそういうわけでもなく。かといってとくに困りごともありませんが。

    「爆弾のつくり方」を口ずさんで超えた夜があります。困難に耐えかねて気が狂うということを知っています。知りもしない人を傷つけたい衝動を抱えた記憶は鮮明です。

    でもなんだろう、違うって思った。
    あなたの文章を読んでいて「違う」って言いたくなって思わずコメントしてしまった。

    何が違うって、白黒つけて守られると黒いものばかり視界に増えてたまったもんじゃない。正義を主張して誰かを批判してあなたは味方ですか?信じたいけどきっと違う。
    これが客観的な意見じゃなく私的な感情だと気づいたときには長々と語った後で(やっちまったという感じ)。

    あなたにはあなたの、吐き出したい理由があったであろうはずなのに邪魔してしまった。

    でも楽しかったです。

    また遊んで(=こうして話させて)ください。

    考え方が素敵だと思います。一番新しい記事読みました。会社でうまく話せるといいですね。

    矛盾するようですがこの記事を読んでいてすこしの勇気をもらえました。かりそめにも自分を肯定できました。”感謝”とは書きません、頼った感覚だけが残ります。

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