※お酒の入っている記事だよ。ちょっと文章がモロモロしてるよ。

会社の飲み会があって、BBQだった。ビルの屋上で風の吹く中BBQ。それもなんだかんだ終わる感じになって、みんなダラダラ飲んでる中、飲み会の実行委員会的な人が一人で片づけをしていたんだ。

それを見た俺は「お店の人が片付けるんじゃないっすか?」と聞いたんですね。そしたらどうやら違うらしい。事前にゴミ袋とか渡されてたんだけど、それにゴミ類をぶち込まないといかんのだと。そういうことだったらしい。事前に言ってくれって話ではあるんだが。

俺は「ふーん」と思って普通に手伝って、スーパーキレイにして帰りました。

スーパーキレイ

で、片づけてる最中に社長に「片づけてくれてありがとーね」って言われたのね。

「いや、何でもないっすよ。こんなんで評価あがるんならなんでもやりますよ。」みたいな適当に流してた。その時に思ったんだけど、片づけてない人のほうが断然多くて、なんか「あれー」と思った。

別に何も考えずに掃除をやっていた。アルコール入っていたからなんか素直な気持ちだったんだろうか。

◆どうする?

はい。じゃあ、めんどくさそうな仕事をしている人がいて、「店員さんがやるんじゃん?」って声を掛けたらなんと自分らでやらなければならなかった。この時。

  1. 「あーそうなんすねー」とか苦笑いしながら、聞かなかったことにする。
  2. 「電車の時間が」とか言いながら逃げる。
  3. 「トイレに」とか言いながら逃げる。
  4. 手伝う感じをしながら、手とか汚れそうなやつは避けて簡単そうなやつをやる。
  5. 手伝う。

どれを選ぶんだろうか。

参考程度に、弱さ一覧。

  1. 自分がやらなくても他の人がやるんじゃないか。
  2. なんか良いカッコしいに見られるんじゃないか。
  3. 面倒。手とか汚したくない。
  4. そもそも話しかけなきゃよかったわ。ちくしょう。

こんな感じでしょうね。

結論から言うと、何も考えずに手伝い倒したほうがいい。絶対に報われない条件であっても、一人で片づけをしている人を放っておくべきではない。

◆自信

「自分を信じる」と書いて自信。自信がないってことは、つまり自分を信じられないということだ。あるいは、自己肯定できない。

逃げる系の選択肢のダメなところは、まず精神的にクソ面倒くさいところだ。自分が散らかして、代わりに人が働いているのってなんか、ムズムズするだろう。すんなりと腑に落ちない。ピンとこない。正しくない。誰かがやってくれるんじゃないか…?っていうその期待がもう、どういうことだよ。なんの時間だよ。

自信の逆、自疑(造語)はどこから発生するだろうか。自分への疑いも持ってないといけないものだが、悪質なタイプだと何もできなくなって硬直することになる。

疑いは即ち、裏切られたときに発生するものだ。じゃあ、自分が自分を裏切るときってどういう時だ?それが「見て見ぬふり」なんじゃねぇのかと思った。正しい状態、あるべき自分の姿を知っているのに、そう在れない。それはつまり自分の心を裏切っているってことじゃん。自分が他人を裏切ったときだってそうだろう。他人を裏切る自分を信じるのはなかなかに難しいものだ。

俺が自分に対してなんとなく感じている「俺は大丈夫」な気持ちは、そういう見て見ぬふりはしないアレとか他人を裏切らないアレで構成されているのかもしれない。俺はこういうやつだよっていうのを俺が把握しているし、うまく付き合ってる。

俺は俺に納得しているし、俺がダメなとき、俺は俺を随時矯正して治している。だからまぁずっと納得している。一人で片付けしている人を手伝わないのは俺じゃない。だから俺は手伝う。一生そうだ。俺が今後どうなろうとも俺の中で俺は俺のままだから。

逆に、ひたすら逃げる選択肢を、誰かを働かせる選択肢を選び続けていたら俺はどうなっていただろうか。俺の精神はどうなっていた。俺はどこに住んでいた。この記事の俺の文章はどうなっていた。俺の10年後はどうなる。輝いてんのか。どうなってんだ?

この先も、逃げたら逃げた分だけ俺は俺じゃなくなるだろう。自分を信じられる時しか見えない、選べない選択肢がある。誰も頼れないときに俺の精神を支え得るものは俺だ。他人にそそのかされそうになったとき、俺を引き留めるものは俺だ。

そういうことだろ。

つーかそこまで考えてなかったけど、これからも自分の気持ちを裏切らないように生きていけばいいんじゃないかと、そう思えました。(作文)