ターニングポイントさん!?

BUMP OF CHICKEN「イノセント」の歌詞の意味を考察した

この曲考察するつもりなかったけど、このブログの検索ワードの中に「イノセント 考察」とかあったから考察する。
考察のリクエストとか誰もしてくんないからこういう所から探してくるしかない。
お前らな、記事を一本読んだらコメントだの「いいね!」だのしろ。ちゃんと反応しろ。南極何号だお前らは。二号か。
広告のせられてぇのか(脅迫)

まぁコメント来たところで返信しないだろうけどな。(コミュ症)
だから、返信が来ない前提のコメントをしろ。

以上が愚痴。

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イノセントの歌詞はこちらから

この曲は、なんか分かったつもりでふんふん聴いてたけど、考察し始めたらよくわかんない曲だった。
「よくわかんない」と思いながら考察進めていったらすげぇ良い曲だった。

※おことわり※

以下の解釈は、一般男性会社員が歌詞から感じた事を元に書かれています。
だから、「これが正解」って感じのものではないよ。
「こっちの解釈のほうが自然じゃねぇの 記事書いた奴は文盲か?」って思ったらそれはコメントするチャンスに巡り合えたんだと、神の導きだと思うようにしてください。光あれ。

子供じみていて恥ずかしいよと 馬鹿にしたけど 恐らく自分より 素直で勇敢なだけ

いきなりよくわからない。一回だけ聴いて意味が理解できる曲ではないな。

<前提>
・まず「主人公」がいる。
・題名は「イノセント」である。意味は「無罪」とか「純粋な」とか。
・だから、この曲は「主人公は無罪だよ」という趣旨の曲だ。(安直)
・「罪」とは、「なんやかんや言い訳すること」とか「口ばっかりで行動しない事」とか「人を妬むこと」。

主人公は「成功している人」「人生が楽しそうな人」に対して嫉妬心を持っている。

「子供じみていて恥ずかしい」ことは例えば、YouTuberとかだろか。
アホな事をして動画収入を得て、人気になっている。
これが妬ましくて馬鹿にしてみるんだけど、彼らは別に悪いわけでは無い。妬ましいのなら自分もやってみればいいんだけど、素直じゃないし、勇敢でもないからできない。

努力はおろか行動さえ 起こせないのに

何か人生を楽しくするための努力や行動を起こせばいいのに、できない。
失敗すること、失敗を人に見られることが嫌だ。

周りの奴等は 狡いと決めて 恵まれなかったから 才能とチャンス それさえあったら

「周りの奴らは才能があったんだ。偶然にチャンスを得たんだ。」と決めつけて、「狡い」と言っている。
「自分にもしもそれらがあったら」と言っている。

だけど、例えばピアノが上手な人がいたとしても、「生まれつきピアノがうまかった」なんてことはない。
絵がうまい人は絵を沢山描いてきたから絵がうまい。努力の積み重ねで今の実力がある。努力が足りない人間は絵がうまくならない
主人公はそれも分かっていて、だから前の歌詞で「努力はおろか行動さえ 起こせないのに」と言っている。

自分が置いていかれたら 逆恨みして あいつは変わったと 欲に目が眩んだと

自分と同世代の人間が成功していくあの感じ、わかるだろうか。
例えば金銭的な成功をしている人間を挙げて「欲に目が眩んだ」だとか言っている。
対象は過去に仲よくしていた人だったり、応援していた人なんだろう。
「あいつは変わった」とか「欲に目が眩んだ」とか、本心から思っているわけじゃない。ただ何となく悲しくて、焦ってしまって、自分を保つための防衛機制が働いてしまっただけ。

一人で生きていくもんだと 悟った顔 一人でも平気な 世界しか知らない

「周りに人が集まって大きなことをしている人間」と一人の自分を対比して、「一人で生きていくもんだ」「人間最期は一人だ」だとか悟ったようなことを言っている。
が、今まで(社会にでてから)ずっと一人だった、つまり、比較ができないのだから僻みにしかならない。

頼まれたわけじゃないのに 生活は全部 そんな感じで

自分と他人を一つ一つ比較していっても、誇れるものがない。結果、毎回妬んだり僻んだりする羽目になっている。
誰に頼まれたわけでは無いのに。

誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ 君の側に

急にどうした。大丈夫か。

えーと。まず「君」っていうのは主人公の事だと思われる。
主人公が他人に対して言っている言葉ではないだろう。

これは・・・「主人公を俯瞰している何かが歌っている」って感じで。

とにかく、主人公の側には唄がある。誰が歌っているかはどうでもいい。
このへんは後の方で解説する。

語彙が豊富です 造詣が深いです 機械の力です

否定的な事ばっかり言っていたが、自分のいいところに言及し始めた。
が、それも「機械の力です」と言ってしまっている。
最期がオチになっている軽いギャグだな。

水掛け論が得意です あまりよくないあたま

「得意なこと」を挙げようとしてみたら、「水掛け論が得意だな」と思ってしまった。
頭が良ければそもそも水掛け論にならないだろう。

芸術に関しては 見る目がある気がする あれは駄目であれは良い 趣味のお話

芸術に関しては見る目がある気がする。センスがある気がする。駄目なものと良いものを見分けられる気がする。
が、それも「能力」ではなく、自分の主観的な感想でしかない。

本当はもう解っている 猫に小判なんだって事ぐらい

得意なことを探してみたって無駄だ。例えそれを見つけられたとしても無駄だ。
なぜなら、それを生かすための行動をとることができないから。
解っているんだけど、探してみている。

君がどんな人でもいい 感情と心臓があるなら 君の力になれるように 気付かれなくとも 唄は側に

さっき出てきた「言葉と音符」は、主人公の力になれるように置いてあったものらしい。

まだ詳しくは解説しない。そのまま読み進めてね。

「感情と心臓があるなら」っていうのは人間ならって意味なんだけど「人間なら」って言ってしまうとあんまりだから言い換えているんだろう。
「心臓があるなら」だけじゃなくて「感情と」っていうのを付け足しているのがいいっすね。

信じなくていい 手は挙げなくていい 認めなくていい 全て君が正しい

まず、(サビと)ここからの歌詞は「主人公を俯瞰する何か」が歌っているって事を頭に入れておいていただきたい。

「信じなくていい」ってことから、「主人公は何かを信じたくない」んだということがわかる。
それは例えば「何か努力すれば未来を変えることができる」だとかだろう。
「手は挙げなくていい」っていうのは、「何かを始める」必要はないってこと。大勢の人がいる中で自分から何かをやってやる事を「手を挙げる」と言い換えている。クラス委員を決めるときのアレみたいなイメージ。
「認めなくていい」は「自分が認めたくない成功者」を認める必要はないってこと。
全て君が正しい。

これは主人公に皮肉を言っているわけでは無くて、本当に「全て正しい」。
なぜなら、あなたの人生だから。
今感じていることが正しい。のちに考えが変わったんだとしたら、その瞬間からそれが正しい。

「くよくよすんなよ!今からでも遅くないぜ!頑張れ!」的な曲を仮定した時、「イノセント」はそこから一歩進んだ曲であろう。

言っとくけど「この記事を書いた人の解釈」だかんね。鵜呑みにしちゃいかんよ。自分でもよくよく考えなね。

地球は綺麗事 君も僕も誰でも何でも 君の嫌いな ただのとても 綺麗な事

君が正しい。この世界は全部が綺麗事だ。

からの

「君の嫌いな ただのとても 綺麗な事」

っていう。

「綺麗事」はマイナスの言葉なんだけど、スムーズに「ただのとても綺麗な事」っていう逆転をしている。
主人公はもちろん「綺麗事」が嫌いである。それと同時に「綺麗な事」も嫌いだ。
なぜなら、汚い自分が自覚されて嫌になるから。

でも(君や僕を含めた)世界は君が見ているそれよりも単純で、綺麗だ。と言っている。
けど、主人公を批判しているわけでは無い。
この人は、積極的に主人公を揺さぶろうとしているわけでは無いし、歌いかけているわけでもない。
「気付かれなくとも唄は側に」からも分かるだろう。
でも、主人公が幸せに向かっていこうとするのならば、その時は助けになってあげたい。

めっちゃ良い奴だけど誰なんだコイツ。(もしかして:藤原基央

恵まれていたとしても 才能とチャンス 活かせただろうか

ここからは主人公が思っている事。

例えば才能とチャンスを持っていたとして、こんな「何もしたがらない自分」はそれを活かすことができるんだろうか?
と疑問をもった。

この曲では主人公が今後どうなっていくかについて触れてはいないが、この主人公の転換期の曲なのかな。

その「気づき」がこの部分に表現されているような気がする。
「これは嫌いだ、あれも嫌いだ、自分のことが嫌いだ」ってちょっと熱くなっていたんだけど、それも落ち着いて、ふと何か考え始めた感じ。

自分を嫌えば許される それは間違い 自意識が過剰 そもそも嫌えていない

これも主人公が言っているんだろう。
「自分を嫌えば許される」っていうのは、これも防衛機制だ。
自分が好きで、自分の嫌な部分を見たくないがゆえに、自分を嫌うことでなぜかちょっと楽になる。わかる?え?わかんない?アスペか?

つまり、「避けてると付きまとわれるから飛び込む」みたいな。

・・・

えぇと・・・

①自分の嫌いな部分を見て見ぬフリする。
②見て見ぬフリをしても消えるわけでは無いので、嫌な気持ちになる。
③自分の嫌いな部分を自覚することで、開き直ることが可能になる。「自分は駄目な人間だ」っていう恍惚に浸ることができる。あるいは「自分は自分のダメなところを自覚しているから優れている」みたいに変な理屈をこねることもできる。

わかった?

そして、それは間違い。
自意識が過剰で、そもそも自分の事を嫌えていない。
「自分を嫌えば許される」が間違いかどうかにはあえて触れず、そもそも嫌えていないっていうことだけに言及しているのが非常にテクい。

言葉のイメージからして悲観的な事を言っているように思えるが、そうではなくて、ちょっと笑っちゃうような話だな。
「あぁ、俺は俺の事嫌いだと思ってたけど、そんなことねぇじゃんか。俺って自意識過剰だし。」
みたいな。

「自分の事を嫌えていない」っていうのが深いわ。
「自分の事を嫌おうとして、嫌っていると思っていた」けど「自分を嫌うことすらままならなかった」「自分の事嫌いじゃなかった」っていう。なにか救われたような残念なような、良くないような良かったような絶妙な表現。

この曲とは関係ない話だけど、字面とか言葉のイメージだけで話を聞く人いるよね。
それで勝手に「攻撃された」って勘違いして味方を攻撃し始めたり。
かわいそうだなぁって思うよ。

まぁいいや。どうでも。(無関心)

誰の声か どうでもいい 言葉と音符があるだけ ただ力になれるように 愛されなくとも 君の側に

君(主人公)が何を考えようとも、どんな方向に進もうとも、僕はただ君の力になりたい。
気付かれなくても、愛されなくても、君の側にいてあげたい。

Q:「誰の声かどうでもいい」ってどういう意味?
A:この声は「主人公の助けになってあげたい僕の唄」なんだけど、そんなことはどうでもいい。君が幸せになってくれるのなら、僕のことなんて永遠に認識してくれなくていい。僕じゃない他の誰かが歌うことで君が幸せになるなら、それでもいい。そのくらい君のことを想っているんだ。って意味。

君がどんな人でもいい 感情と心臓があるなら いつか力になれるように 万全を期して 唄は側に 君の側に

例えば君が自分で自分を嫌っていようがいまいが、どんなに捻じ曲がった性格だろうが、僕の事を嫌いだろうが、どうでもいい。君が苦しんでいるのなら僕は力になってあげたい。

君が道を進もうとする時、「誰かの声」に君が気付く時のために、僕は歌い続ける。
どんなに長い間、君がこの唄に気付かないんだとしても、僕は歌い続ける。
いつか力になれるように、その時のために、万全を期して、僕は歌い続ける。

ホントすげぇ良い奴だな。誰なんだろう。(藤原基央

「感情があるなら」っていうのが凄い優しくて好き。

主人公は、誰かに想ってもらっていることにまだ気づいていない。俺たちはどうだろうか。気付いているだろうか。
生まれたことを恨むのならちゃんと生きてからにしろって偉い人も言ってたし、自分の幸せをしっかり考えながら生きていかないと駄目だと思いました。(作文)

腹立てたり落ち込んだりするのも程々にしないとな?

結論

いい曲。

【津軽弁】「うぬうぬど けんどわだれば ひがれるろ」とか「なだだば」とか「ふらいんぐうぃっち」の話

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4件のコメント

  1. 匿名

    この曲の主人公は藤原さん自身なんじゃないかなーと考えてみたり
    主人公の考えや長所などが一般化するにはちょっと特殊な感じがします
    もちろんこの唄を届けるのはBUMPですからリスナーに向けて歌っているんでしょうが、藤原さん自身誰かの唄に力を貰った経験があってそれを元に作ったんだろうなぁと聴いていて感じました。

    • 匿名

      主人公の考え方が特殊だと感じるのであればきっとあなたはこれまで幸せな人生を生きてきたんだと思います。
      私も幸せだと感じてはいますが、生きることや自分自身に対して深く絶望したことがあります。
      もちろん藤原さん自身の経験や、過去の自分に対してのアーティストとしての立場、一人の人としての立場両方から自分に向けた歌、というのも間違いではないと思いますが、それに加えて自分と同じように苦しい思いを抱えた人、自分に嫌悪して、変わろうとしてないのに変われない自分が嫌で、でも行動できなくてつらくて…そんな気持ちを抱えた人に寄り添える、そんな歌を作ってくれたんだろうなと私は感じています。
      目立つ曲ではないけどとてもいい曲ですよね。不器用でわかりにくいけどとても優しさがこもっていて、この曲大好きです。

      筆者様も考察ありがとうございます。

  2. 匿名

    この文章見てて、なぜか泣きそうになった。
    この曲(イノセント)の意味をより深く理解できたからだろうか。
    自分のことを言われているような気がして、そしてそれすらも認めてくれる藤くんに感動した。

  3. 匿名

    今更ですが、aurora arkの最後のMCでも藤くんが言っていたような内容のことだったので、心が動いてしまいコメントを残したくなってしまいました。
    イノセント、COSMONAUTのアルバム曲であり最後から2番目の締めくくりに近い曲。昔⇔今の対比をした上で、悲観的に人生を俯瞰して、それでも生きていこうじゃないかと優しく声をかけるようなこのアルバム、その全体の説明曲としての位置付けな気がします。君の人生は優等生じゃなくて、他人を妬んでばかりの人生かもしれないけど、こんな唄たちが君の側にいるよって。aurora arcでいうと流れ星の正体のような、アルバム全体を綺麗にまとめて僕の側に置いておいてくれるような曲のように感じました。「誰の声か どうでもいい」なんていう藤くんの照れ隠し的な、謙虚さが現れてるこの歌詞も、悲観的な気分の時にはほっこりするというか、どこか落ち着きますよね。

    駄文で感じたことをただつらつらと書いただけで申し訳ありませんが、aurora arc/arkを聴いてまたこの曲がグッサリ心に刺さったのでコメント失礼しました。

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