※露悪

クソほど叩かれてたんで読みに行ったんだけど「ふっふっふっふっふっ」って思いました。読みながら改めて考えさせられたところもある。

メスすぎる。一般的な女性よりか乙女メンタルしてないか。それ自体が悪いとは言わんけど、問題の10割を相手に見出してたらそりゃ俺みたいな性格悪いゴミに見つかってブログ書かれますよねって。

◆男に見られたいとはなんだろうか

まず1ページ目から「なるべく男に見られたいな」という記述があって、変に感じた。変に感じたんで改めて考えなおしたところ、性自認って何だろうかと今更ながら思い始めている。

自分を野原ひろしだと思っている異常者」がいたとして、「自分を男性だと思い込んでいる女性」と、どう噛み分ければいいんだろうか。あくまでトランスひろしはフィクションに過ぎないんだけども、無いことは無いじゃない。虎に見られたいと思って全身を改造しちゃう人も居るわけだし。

ストーキング・キャット – Wikipedia

探偵ナイトスクープに猿に見られたい子供からの依頼もあったけど、それは猿自認なのか?そして、世間は少年をトランス猿として扱うべきなのか?

法的に自意識が未熟とされている子供について、その性自認はどれくらいの精度が出るのか。その上での「男に見られたいな」とは実態としてどういうことだよ。俺は女の子とでも折り紙とかお絵描きとかして遊んでたし、立体的なシールが好きだったので交換したし、なぜか女子の交換ノートのサイクルに組み込まれてた。男のする遊びも当然してたけどそれが男性的かどうかで選択して取り組んだことなんてない。

自分は男性であると信仰することは良いんだけど、精神的に正常では無いと漫画を読んで改めて思った。正常である必要もないし逸脱は幾らでもすればいい。でも、その逸脱は逸脱として自覚してないとコミュニケーション齟齬が発生して無駄に傷ついちゃうんじゃないの。なんで誰彼の内面が無条件に社会から容認/保護/配慮されるべきと無邪気に思っているのか。

ネクロフィリアもペドフィリアも、内面として有り得るけど認めるとか認めないとかそういう話にはならないじゃん。まして「自分はペドフィリア自認だからトランスペドフィリアだしペドフィリアらしく振舞おう」とかって人も考えられない。加えて、ペドフィリアは己がペドフィリアであることを世間から隠さねばならんことについて苦痛に思ってたりするのか?

いやまぁ苦しんでいるペドフィリアもいるのか。好きなことを異常と言われるわけだしな。

とにかく内面がどうあろうと、自分の見られ方を周りに強制するのがタチ悪い。性別に限らず自分が見られたいように見られてる奴なんて稀なんじゃないの。100人いたら100通りだしコントロールしようもない。逆からしたら「私は生物学的な女性は女性として扱わねば苦しい」という、生まれつきの反トランス自認である人とあなた争うんですかね。相手の素の思いを否定して行動規範を定義していいんだっけ。互いに抱えている違和感なり苦痛の大小を測定してデュエルしますか?

◆男扱い

教室長に対して会話で擦り合わせを図ったのは良いわ。でも男性として扱われることについて甘く考えすぎっていうか、いいとこどりしたいだけになっちゃってますがな。

「男だと思ってほしいくらいです」と要請したよね?そもそもそれ自体が男らしさという概念の強要であって、活動家の語彙を借りれば加害に他ならない。

そして教室長から

自分のこと男や言うんなら下半身どうにかしてこいよ

と、最大限の男扱いされたね。そして泣いちゃったね🥺。可哀そうではあるんだけど、自分の描いていた空想上の男扱いと現実の男扱いが違ってビックリして泣いちゃったって、それは悲劇とは言えない。花火で遊んでるところにフラフラ入っていって火傷して泣いてるようなものだ。

誠意ある応対をしてもらったはずなのに、なんでそのことについてピーピー泣きながら仕事上関係ある人にチクってんだろうか。この程度で巨大なぴえんを発生させて泣いてるんなら求めていたのは男扱いじゃなくてお姫様扱いだわ。泣きながら電話で権威にチクる男は存在しない。いや広い世界を隅々まで探せばいるのかも知らんけど、まぁビックリ人間の類だ。その一芸でもってテレビ出られます。

「でもお前ちんこ無いじゃん」「ちんこつけろよ」とか、男らしい男なら初めから傷つかない。カップヌードルカレー味ほどの辛味もない。「つけようかどうか迷ってるんすよね」とか「つけないことにしてます」とか、あるいは憤慨するとか、そういう返ししか期待できない。なぜなら男性は理屈と自慢と問題解決と笑いを基準に置いて話す傾向にあるから。言われて傷ついて泣くというルートは、あり得るけど確率的には大分と低いうえに「男と思ってくれ」という野郎宣言をした直後の相手だ。想定しようもない。

ざっくばらんに会話できるデリカシー皆無のクソまみれプロトコルが男性同士のコミュニケーションを成しているわけだから。

それは男性の生きやすさだ。お互い言いたいことを雑に言い合える関係性こそ至高。逆にそこで丁重に傷つかないよう互いに配慮してお姫様扱いしあうような関係を望むのは侮辱だよ。腹に据えかねる。他人に無駄な負担を強いる紛い物の生きやすさなんていらない。そもそもプリンセス待遇を男性から男性に試みたら攻撃と見做されて即座に戦争なるわ。

このトランス男性からしたら理解できない部分もあろうけど、雑な世界は男からして生きやすい。言いたいこと言い合って喧嘩して許しあうのが男らしい男なんです。そこには良い面も悪い面もあるから「男性の加害性」「男性の生きづらさ」みたいな言葉に丸められるのは不本意。互いの内面にいちいち配慮して付き合うほうが生きづら過ぎる。行間読まされるわ誤解も生まれるわで自動的にギスギスするコミュニケーションは助からない。

配慮ゼロで過不足ないコミュニケーションが人間の基本。ただし、女の子は瞬発的な論理が弱い人のほうが多いし感情が揺れると泣いちゃう傾向にあるので、真剣じゃないなら手心を加えておく。それ以外のパターンは考えたくないっていう男性のほうが多いんじゃないの。

俺は対人時は基本的に配慮の姿勢をとっているが、それも(意識せず自然にやってるけど根っこの部分では)相手をコントロールしたいときだけ。男だと認めている相手にはもう配慮ゼロのうんこちんこSEXからなる暴ミュニケーション(造語)をする以外ない。

◆ロールプレイ

男性的であれば、自意識どうこうっていうか仕事では特にロールプレイをする傾向にあるんじゃないか。俺が女性の体を持ってるんなら、教室では女性のロールを全うしようとするはず。左打ちが求められて自分が左打ちなら左打席に立つ。

我を捨てずに働いてたら、何を仕事に持ち込んでんのってイタい奴扱いされない?テレビで見るような「バイト先のイタい先輩のモノマネ」ってどう見られたいかとかの我を捨てられてない人たちだし。

◆育ち

女性と男性の脳の構造は違う。そして、現代の日本ではそれぞれの生まれついた性別に見合った扱いをされて育つだろう。そういう意味で、主人公のクソザコおにゃのこメンタルには脳の構造と周囲の環境のどちらがより大きな影響を及ぼしたのだろうか。

俺は男として生まれたわけだけど、仮に姫の待遇を受けながら成人したんだとしたらどうだっただろうか。困難にぶち当たった時に偉い人に泣きながら電話してたのかもしれない。

◆固定概念

固定観念の間違いじゃないかね。

◆結

自炊してるときに有り得ない選択をすることがあって、それは概ね悪い結果となるが、失敗しようとして失敗することになんだか満足できたりもする。ほんで一昨日カレーを作ろうとしたとき、異常な判断として鳥の笹身(ささみ)を切らずにそのまま鍋にぶっこんで煮込んでみた。そしたらすげぇ美味しかった。びっくりした。食いごたえがあってしっとりしててイケる。おためしあれ。