あなたは「トライアス歩ン(英: triathpon)」というスポーツ競技をご存じだろうか。
その字面から分かるように、競歩とトライアスロンを合体させた全歩行者垂涎のドリーム夢スポーツ運動である。嘘だけど。
◆水の克服
競歩技術はいまなお日進月歩で開拓され続けており、競歩学会は日夜記録更新合戦の様相を呈している。されど地味な印象は拭えない。
近年、競歩学会は競歩の地味な印象を他のスポーツと組み合わせることにより払拭しようと目論み、走る種目の走る部分を悉く競歩に置き換えたキメラスポーツをいやしくも乱造していた。
トライアスロンは御存じの通り水泳、自転車、マラソンを組み合わせたような耐久レース競技であったため、そのマラソン部分を単純に競歩に置き換えたものを「トライアス競歩ン」として恥ずかしげもなく発表し、大会を毎年開催していた。
トライアス競歩ンがその役目を終え、進化系とも言えるトライアス歩ンへと飛躍したきっかけは、3年前(2019年)の夏に発生したある事件だった。
競歩歴22年、生粋の高速歩行野郎であった糞山シコ太郎(25歳)は意中の人類である恵美子ちゃんを地元の花火大会へと誘うことに成功した。成功したのだが、その日シコ太郎は恵美子ちゃんに告白しフられてしまったのだった。「移動のたび歩く速さとフォームについてマウントをとってきたことが嫌だった」とか「競歩はくねくねしていて気持ちが悪いし近づきたくない」とかついでに言われた。
幼少から競歩を存在証明に据えていたシコ太郎はひどく傷つき、打ちひしがれ、若さに任せて軽率かつ無意味な自死を選択した。生まれも育ちも競歩だったシコ太郎は死ぬときも競歩していたいと、競歩に殉ずる腹づもりで競歩入水自殺を断行した。そして水面を歩くことに成功した。
そういう経緯で競歩は水を制し、まず二か月後には「濡れ競歩」、そしてその一か月後にはトライアス歩ンが競技化されたのだった。
◆のりもの
地球の表面70%を覆うところの水を競歩が克服したというニュースは、路上を歩行することしかできず硬直しきった競歩界に旋風を巻き起こした。競歩のもつ可能性に競技者こそ恐れ戦いてドン引きした。
それまでトライアス競歩ンの実行委員長を担っていたウォーカバウト鈴木は、競歩により移動できる乗り物の開発が急務であると認識し、ついに「ゼロ輪車」という競歩用の乗り物を開発した。
ゼロ輪車はシートベルトとヘルメットとハンドルから構成される。シートベルトとヘルメットを装着しハンドルを握ることにより搭乗する。その状態で競歩をすることにより強力な推進力が発生してゼロ輪車走行が可能となる。
あぶないときはクラクションを押すようなジェスチャーをしながら「ぷっぷー😡」っていう。
◆余談:空中歩行
水上歩行を達成したので、同じ理論で空中歩行も可能となった。競歩のフォームを崩さぬまま勢いよく絶壁から飛び出せばいい。「死ぬかもっ」という緊張が足裏に醸し出す魅惑の特殊地場がアルケルワイナ効果を発生させ水上/空中歩行を実現させている。
すごいっちゃすごいんだけど、競歩を凄いものと認めたくない反競歩団体が悔し紛れに空中歩行を「落ちん歩」と呼称しはじめたがために人気は出なかった。落ちん歩クネクネしてるとか言われるのは恥ずかしい。
◆世界大会
トライアス歩ンは、水面をクネクネパシャパシャ歩行する様子やゼロ輪車を運転する様子が最高にコメディだったおかげで常軌を逸した話題性を持っていた。SNSでも拡散されること目覚ましく、競技化から3年待たず日本で世界大会「アイアンレッグ2022 ~人類みな歩行者~」が開催された。
おおむね琵琶湖を横断するような道筋が想定され、度重なる調整を踏まえて最終的には以下のコースとなった。
▼コース
まず太平洋側、三重県四日市市からスタートし琵琶湖に面する滋賀県彦根市の彦根港までゼロ輪車により65km歩行する。
彦根港から琵琶湖の霊夢山見塔寺、沖の白岩を経由し、対岸の滋賀県立びわ湖こどもの国まで16kmほどを濡れ競歩により歩破。
こどもの国から山口県下関市の角島灯台まで630kmを競歩。
そのまま日本海へ突入。長崎県対馬の比田勝港国際ターミナルまで130kmを濡れ競歩。
比田勝港国際ターミナルから鰐浦漁港まで9kmを競歩。
鰐浦漁港から、大韓民国は釜山港国際旅客ターミナルにある折り返しの目印コーンまで60km濡れ競歩をしつつ歩き、コーンをぐるっと折り返す。そこからは同じルートを戻って三重県四日市市中央陸上競技場がゴールとなる。
◆開催
大会概要を深夜に考えたせいで盛り上がりすぎて、およそ1850kmに及ぶルートを五日ちょい不休で競歩し続ける過酷な大会となった。過酷さは実行委員会の度重なる高度なテヘペロにより許容された。なんなら愛された。
素人競歩では早々に脱落することが目に見えており、前提として右脳と左脳を半分ずつ寝かせながら歩く半球睡眠歩行法の習得が半ば必須であったため参加者は競歩の競技人口からして多くなく、3万5000人規模の大会となった。
給水所は110か所用意され、各ポイントには点滴のバッグと大会スポンサーであるP&Gから提供された洗濯洗剤アリエールが用意された。大会参加者は点滴を自分の腕にぶっ刺して栄養と水分を補給しつつガートル台をゴロゴロ引きながら効率的競歩をする。という予定だったが、流石にそれは歩きづらいかもという苦情が2件来た。それゆえ、対象人物を自動追尾する飛行ドローンを利用した点滴バッグホルダーが関東競歩研究所の尽力により開発された。快適。また、ゼロ輪車のヘルメットには側頭部に左右それぞれドリンクホルダーが備え付けられているため、そこにペットボトルをセッティングしストローでちゅうちゅうすることもできた。
競歩協会の尽力により無事大会は開催されたが、釜山に入るところで誰もパスポートを持っておらず全員失格と相成った。また、山野に飲まれたり海に飲まれたりする参加者も1899人と当初想定より5名多かったが、大会終了から二か月間で全員が無事に競歩しているところを保護された。これは点滴ドローンに組み込まれたGPSと衛星通信機能により実現した。
◆トラブル
下関沖60kmの海上で先頭集団が歩行中、突如海面が隆起し、そこから健脚王カチヨリウスの霊体が顕現するという珍事が発生した。かつて『カチヨリウスの玉歩』により『アルキッス島の歩行者地獄』を引き起こし島を沈没させたとされるカチヨリウスであるが、海底深く眠っていた荒魂がトライアス歩ン選手の歩行圧を受けて覚醒したようだった。これはひとえに世界から集まった有数の歩巧者による弛まぬ疾歩が生んだ奇跡である。
奇跡であるにせよ大会参加者に危害が及ぶと懸念されたため、関東競歩研究所の馳夫博士が責任者判断により超合金歩行実体ダイウォークを緊急出動させた。ダイウォーク現着後、カチヨリウスの左足の小指目掛けて速やかに純銀製の桐箪笥を激突させることにより対象を鎮静化することに成功した。
※カチヨリウスの小指…聖歩カチヨリウスが自宅でカレーうどんを作った際、リビングに持っていく途中でタンスに足の小指をぶつけて転んでカーペットに全部ぶちまけたという伝説から、強者の弱点を意味する慣用句となった。
類語:「アキレスの踵」「弁慶の泣き所」
◆結
そんなもんで大会は大盛況であった。競歩界の未来は明るい。
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