主体性が無い人間は死ぬ。
いや死なない。運が良ければ生きる。
◆ガウェインの結婚
良くわからないものを称賛してるやつらを見かけた。
高校の世界史講義録「ガウェインの結婚」で扱われた問い「すべての女が求めているのはなにか」が考えさせられる…「1999年にこの授業か」と驚き
本文は以下
いやキッツイこれ。
「すべての女性がもっとも望むことは何か」
(中略)
「自分の意志を持つこと」
これなぁ。
まず本題と関係ないこと言わせてもらうが、「自分が思う女性の理想を体現する女性こそ女性である」みたいなことをやっているよね。
つまり、「自分の意志を持ちたくない」と思っている女性は女性ではないって言ってんだよ。「何も考えずに生きていきたい女性」は女性じゃない。我にとって都合の悪い女性は女性に非ず。みたいな。
女性の画一化を図らないでくださいますか。
◆自分の意志を持つこと
そもそもにしてそんなに巧いこと言えてない。原文がどう和訳されてるんですかね。
使っている語彙がおかしいし、全体的に誤解を生じさせうる文章である。かつ、どんなに良く捉えようとしても偏った思想だ。スローガンとしての有効性はあるけど、これが書かれた時代の背景について触れないまま、違う文化で生じた散文の価値観を称賛している。尻切れトンボです。誤解の余地を大きく残しています。いい教育とは言えない。
あとまぁ家庭内暴力について授業前の話で触れちゃうのもどうかなとか。俺は構わんのだけどよ。エッて思う生徒もいるんじゃないの。
例えば「自己決定権を持っていない人の望みは、大抵の場合に於いて自己決定権を得ることである」という言い方であったんなら全面的に同意する。でも意志という言葉を使ってしまっているし、「すべての女性」とか嘯いて十把一絡げにし、彼女らの望むものを身勝手に決めつけている。
「自分の意志を持ちたい」という意志を持っているということは、それすでに自分の意志を持ってしまってる。達成おめでとうございます。
意志を奪われた人間は意志を持ちたいとか思ってない。お前が勝手に「この人に必要なのは意志だ。つまりこの人は意志を持つことを願っているのでは?」とか妄想してるだけです。
「彼女ら」が望むものなんてない。女性がひとりひとり存在して、ひとりひとり望むものは違う。それに向き合うべきじゃねぇのか。違うか。
そして一番問題なのが、まるで「他者の承認(許可)により意志を持った」ような描写をしてしまっていること。解呪のきっかけがおかしい。意志とは他者の承認を必要とするものではない。
意志というものについて誤解を与えるような駄文だよ。
あえて意味をずらして「自分の意志が社会に受け入れてもらえること」と解釈したんだとしても、それってなんか違うよな。許可前提の意志なんて意志じゃない。自分が思ったそれを、誰が何と言おうとも実行せねばならなかったんじゃないかね。
自分で何も思えないし実行したいことが無いと言うのであれば、そこで初めて「意志が無い」状態になる。先述の駄文とは関係なく、意志がない状態は本人にとってよろしくない事象を発生させやすい。運が良くないと不幸に陥るし、死ぬときは死ぬ。
◆アッコちゃんは世界一
このアッコちゃんには意志がない。自身のありようを選択できない人間は良いように搾取されて不幸になる。人々の奔流に揺蕩う(たゆたう)だけのクラゲ人間になる。
アッコちゃんが悪いとか言いたいわけではなく、親ガチャを怨むほかない事例だ。自主性は親からの許可がなければ得難い。親ガチャを引き当てないと幼児期に脳がうまく育たない。
終盤、主人公であるナスは「アッコがどうしたいかを聞かずにアッコの人生の選択を強制する」ことになる。ナスには意志があるから、自分が望むようにアッコから奪うことが出来る。
これも良いとか悪いとかじゃない。アッコちゃんは今のところ、搾取されなければ二進も三進もいかない。
◆短期意志と長期意志
作中に出てきた男性の性欲は「意志」であるか。っていうか意志とは何ぞや。
意志は根本的には欲望から生まれる。欲望のことを取り敢えず暫定的に意志といってもいい。
「魂の三分説」ってのがありまして、大昔にプラトンっていう変な臭いオッサンが魂(プシュケー)を3つの性質に(略
じゃあ欲望とは何か。性欲が欲望なんだとしたら、メダカが交尾をするのはメダカの意志によるものであるか。性欲は脳に走る電気信号により発生するわけだから、メダカの背光反射もそれは欲望によるものとなる?膝の腱をたたいた時にピョンってなるやつも、意志によるものなのか?エロ本買うためにアルバイトするのは意志?
~すごい省略~
つまり「理想の将来像をもってそこに向かう」という欲望を意志といって差し支えなかろう。リスがドングリを地面に埋める習性を意志とは言わない。
そしてその「将来」は5年後だったり10年後だったり1分後だったりする。長期意志(造語)と短期意志(造語)があり得る。
ナスが男を殺したくなるほど怨むのもしょうがなくて、(長期にせよ短期にせよ)意志を行使しているのは作中では男性ばっかなんだよな。義母も悪者っぽく描かれてるんだけど、彼女は何も将来像を持っていない。アッコちゃんと同じく、状況に合わせた行動をしている虫にすぎない。
例えば女にめちゃ虐められたり性的虐待された男がいたとしたら、女性という大雑把な括りを恨んで殺してやりたいと思うのはしょうがない。知能が低かったんだとしたら、世の中にある特定の属性を諸悪の根源と誤解してしまうのもしょうがない。
◆縁
意志が無いにせよ、良い縁があったら大分救われていただろう。親ガチャはしょうがないが、良い友達、良い先生、良い彼氏と出会えていたらまた違った人生が有り得た。
あるいは今は情報化社会ですから、世の中にいる人の情報を手元で知ることができる。それもまた縁。運。遠くにある縁を自分に繋ぐことができるかどうかは意志のあるなしに依る。
ネットにおいて真に価値がある情報は音声でも動画でもなく、文章の形式をとっている。国語の成績が悪ければ落ちている情報の重要性を掴み損ねる。
運でどうにか命を運んでいくことは可能だし、縁により意志が芽生えることもある。実測として、人間関係の変化によって急に自我を得た女性がいた。ふらふらしたこと言ってたのが急に具体的になったり、急にドラスティックな跳ね方したりするのでみんなビックリする。
アッコちゃんは良縁をアイテムスロットに所持していなかったんで、そりゃある程度の不幸には陥ることになる。しゃあない。
◆意志を持つ我々はどう生きるべきか
選択しないことを選択しつづける爬虫類脳な人間はスイッチ入るまでそのまま生きてりゃいいんだけど、我々は不幸にも意志を持つように親に育てられてしまった。どうすればいいのか。
その場合、ある程度は奪って生きるしかない。奪いたくないとかいう考えは通用しなかった。奪わず生きるのはコスト高すぎるし幸せに繋がらない。世の中に意志を持たない人間が大勢いる以上、意志を持って行動すればいずれ誰かから奪うことになる。
目の前にいる相手に幸せになってほしいと思うことすらエゴであり、余計なお世話なのだ。どれほど動機が善であっても、初めから自分の身勝手を自覚しながら相手に接するべき。そうじゃないと「優しくしてあげようと思ったのに嫌な顔された😡」とかいうこれまた身勝手な怒りが発生する。
ナマの意志はどうあがいても独りよがりなものであり、ちょっとすれば自分の欲望や根拠なき思い込みが反映されやすい。
とはいえ、意志があるんなら遠慮するこたねぇよ。人を殴りたいなら殴ればいいし、駄菓子屋で水色のあのよくわからん棒状のゼリーを万引きすればいいし、盗んだバイクで走りだしてもいいし、泣かせの効いたラブ・ソングなんて捨てちまってもいいし、愛する人の前を気付かずに通り過ぎてもいいし、明日の朝国会議事堂へ行ってションベンひっかけて口笛吹いてお家へ帰ってもいい。
という話に絡んでくるのが、倫理観。あるいは損得。
▼倫理観と損得
話が飛びすぎてる。まぁいいや。
高度な倫理観を持っていれば、好き勝手に生きて人を幸福にすることが出来る。そして自分も幸福になりやすい。逆に倫理観が低ければ人を不幸にしながら自分も不幸になる。
例えば「頑として正直でありたい」という倫理観に殉じる人間がいた場合、人生にもそれなりのボーナスがつく。縁にバフがつく。
「正直に言っただけじゃん」みたいな感じで「正直」という言葉を都合よく利用することもできる。それは実際の正直さとあまり関係がない。
「頑として正直でありたい」 っていうのは気分の問題。嘘をついているときの感覚が受け入れ難いっていう性癖や気性の話であり、それは表面的には倫理観と呼ばれている。己に嘘をつくことをしたくないし、財布を拾ったら警察に届けるし、おつりが多かったら店員さんに返すし、杖ついたババアがいたら席を譲るし、朝は元気よく挨拶するし。それをしない自分がどうしても許せないからそうする。
倫理観は「自分はこうありたい」という人間のありかたを定義する。意志が未来を向いているのと違って、倫理観は常に今の自分に向いている。「たこ焼き屋さんになりたい」という意志があったとき、その意志に芯を通すのが倫理観。
高度な倫理観を持ち合わせていれば、持っている意志を極自然に全ぶっぱするだけで人生は明るいだろうよ。他者を利用する(搾取する)ときも相手の利を考慮するだろうよ。自分だけが利を得ることを己の倫理観が許可しない。
かたや、損得勘定MAXで生きたって良い。なぜなら、最大幸福を得るためには人と助け合って生きるほかないから。誰かから一方的に搾取して生きると、その因果がチマチマと見えないところで連鎖してクソほど面倒くさいことになる。嘘を積んで生きると感情を激しく汚損して自分が信じられなくなる。そこまで含めて打算的に生きれば、誰かを不幸にすることによるデメリットなんて享受できない。
「倫理観がない」かつ「損得を長期的に考えられない」人間が下手に意志を持ってしまうと、怒りのデスロードを爆走しながら周囲にウンコをポイポイばら撒くマッドマックスになることもあるわな。
◆反動
意志を持ってそれを突き通すことには、それ相応の反動が発生する。反動を勘案しつつ意志を突き通すかどうかを判断する。
そして過去、死ぬほど(殺すほど)に意志を突き通してきたのは概ね男性だった。「死んでもそれをする」「投獄されてもそれをする」をやってきた人間に男性が多かった。意志を突き通すことによる責任を負いつつ生存してしまったから、男性のほうが権力を持ってしまった。
両性ともにその自覚をしておいたほうがよくて、男性からしてみれば女性の意志を突き通す能力を大きく見積もるべきではない。常に意志が見えるように行動している女性ばかりではなく、急激に感情が沸騰する人も多い。「自分なら嫌な気持ちになった時これくらい文句言う」というのを、相手もそうだと思ってはいけない。
女性は女性で意志を突き通せばいい。何がどうなろうとな。反動に対してゴタゴタ考えるのは本来違う。どうあろうと主張には責任が伴う。責任を負いたくないというのであれば意志もそれなりだよ。
徒党を組むのも違う。仲間を集めるのも違う。むしろ意志を持つということは孤独の極致だ。同じ意志を持つ人間は、よっぽどちゃんとやらないと集まらない。大抵の場合は似た意志を持つ人間ばかりが仲間として集まってくるものだ。
自分の行動が社会に受け入れてもらえるかどうかなんて考える必要ない。意志を達成しようという内燃には味方なんていらない。誰かの理解なんていらない。人を殺しちゃってもいいんだよ全責任を負う覚悟さえあればな。世界は自分のものだ。The world is yours! イェーーーイ!わあーーーーお!!
…ってくらいには自由な世界だ。だから負うべき責任から遁走して周りの目を気にして自分に手錠を嵌めて、それで「意志を奪われた」とか被害者ヅラして居座ってんのは通行の邪魔。どけ。お前が全責任を負いさえすれば何やってもいいんよ。それは宇宙の始まりから今に至るまで物理的に保証されている真理だ。
人間が輝くのは、その意志を、究極の我を突き通しているときに他ならない。全部を納得したうえでリスクが高ければ高いほど強く輝く。輝けばいいってもんじゃねぇけど、ひとの意志に一方的に焼かれながら生き続けるのもどうだろう。
◆結
考え得る限りのなんでもを、したいだけするがいいさ。
どうなったっていいんだって。
さ、 間違いだって起こしちゃおうと誘う、坂道。
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