食器洗いが嫌いなわけを理解した。背が高いからだわ。
◆高身長あるある
身長180cm以上の人に聞いた「高身長あるある」 意外とトホホな内容が多くて大変そうだった(魚拓)
これについてはあまり同意できない。同意できるものも5、6あるけど、嘘松の類かなと思ってる。低身長の人が急に高身長になると思ってんのか?俺が何年高身長やってると思ってんだ。ヤンキー座りだって普通にできるわ。
というのはどうでもよくて、以下のコメントがあった。
背筋に抜けるような気付きを得た。
そう。いや、シンクが低いというか蛇口が低い。あわあわを濯ぐ時がめちゃくちゃ大変。濯ぎの体勢をとったままスポンジでゴシゴシ皿を洗ってることに気づいて「あ、いまは背筋伸ばしていいじゃん」と気づいてシャンとして、でも濯ぐときは腰まげて…
体全体が凝ってきて「…んほあ゛っ」って感じに体勢を数分ごとに変えなければならない。これについて何も疑問に思わずに過ごしていた。それにショックを受けている。
キッチンの狭さが原因かと薄ぼんやり思っていたんだけど、それも違う。シンクの低さが問題なのかも。
◆学び
何をそんなに重要に思ったのかって、つまり俺は「皿洗いが嫌い」ではないのかもしれないのだ。居酒屋バイトの皿洗いも、長時間だったからその手荒れでやられてた。ゴム手袋してても汗でやられてた。が、家でするくらいの量ではノーダメだ。
ノーダメなのに俺は手荒れの辛さも加味しつつ皿洗いが嫌いだと自負していたし、そう宣言してきた。
かつて誰かが何かを嫌いだと宣言していたとき、俺はそれを信用してこなかった。「理解が足りないのでは」「工夫が足りないのでは」「視点を増やせばいいのでは」と常に疑っている。疑うようにしている。好ける可能性を提示したいと思っている。
だけどそもそも、何かを「嫌いだ」と言いたがる人間はロクなもんじゃねぇ。そういうのに何かを提案してもそれを聞きたがらない。嫌いたがっている人間に、嫌うことをアイデンティティにして安心している人間に、好きの仕方を考えられない人間に対して改善を見込むことは難しい。難しいので取り敢えず俺は何も言わない。ほんとにマズいときだけ口を出す。
ひとの嫌いを疑っておきながら、俺は「皿洗いが嫌い」とすっかり思い込んでしまっていた。今思えば明確に腰が辛かったんだが、思い込みに頼って現状把握を怠った。恥を知れクズ。
◆対処
キッチンについては、いま住まっておる借家のリフォームとかはできない。引っ越すんだとしても、キッチンの高さはいかんともしがたいことが多いんじゃないか。
というので、今まで通り食器のいらん物を中心に食うとか、食器にラップを被せてそのうえで食うとか。手鍋に作って鍋から食うとか。
最終的には洗わない方向に倒すのがやっぱり楽。
食洗器は要らんだろ。実家にあってそれは便利だけど、一人暮らしに必要とは思わん。
◆結
嫌いなサムシングについて、その嫌悪の理由を再度精査すべきだと思います。どんなにしょうもない事柄であったとしても。
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