「体育会系」と表現される会社があるな。

俺にとってはナシだ。お前らにとってはどうだろうか。条件によるか。

◆飲み会

飲み会は好きだ。人の話を聞くのが好きだ。だけど、意味がねぇ飲み会は嫌だ。ザコが多い会社だとまーしょうもない飲み会になる。下ネタは好きなんだけど下衆な話は聞きたくねぇわ。誰かが傷つく話に参加したくねぇわ。

飲ミニケーションは重要だな。飲めた方が有利。だけど、目的を見失っちゃあいかんでしょう。飲みの目的はまずコミュニケーションを円滑にすることだ。

だからコミュニケーションを円滑にする意味を、理論を知れ。円滑なコミュニケーションが仕事にどういう影響を及ぼすのかを知れ。得心なきまま物事に当たるのは体育会系だ。そして「飲みに意味はない」という判断も短絡的。飲みが苦手な人であっても、もっと広い視野で損得勘定をしてみろ。

駄目な飲ミニケーションは「コミュニケーションを円滑にする」という目的を見失った飲み。飲むための飲み。飲み会にも飲み会をするだけの理由が必要だ。勢いでやってはいけない。さもないと不幸になる人間が発生する。

そして普段のコミュニケーションにも気を配れ。あんまガサツなことをするな。

◆上下関係

上下関係は重要だ。だが、それは決して年次で決まるものではない。年功序列制度は淀みを生む。お互いがお互いの事情を勘案し、互いに尊敬しあって仕事をしなければならない。

◆絆

例えば、🐵とか、言葉で意思の疎通ができない動物を飼ったとする。その🐵は、ヒモで繋いで置かないと逃げてしまうだろう。

お前はヒモで繋いだ🐵に🍌をやって、飼うよな。でもヒモが切れたら🐵は逃げてしまう。例えばもっといい🍌をくれる人がいたら、🐵は逃げるな。そしてお前はキレるだろう。今まで🍌をくれてやった恩を忘れたのかと。お前は「今度は切れないヒモで繋ごう」と考える。

「絆(ほだ)される」というコトバがある。情に流されて関係を断てなくなる状態。「絆(きづな)」とは即ち柵か何かに家畜を繋いでおくための綱を表すものだ。手で持っておくのは手綱。

さて、🐵はともかく、絆で社員を繋ぎとめることは可能だろうか。🐵を逃がさないためにするべき事は、絆を太くすることだろうか。

というか、🐵はなぜ逃げるのだろうか?そもそも、🐵が逃げることが根源的な問題だったのだろうか。それについては後述する。

絆で繋ぎとめておくことが出来る人がいる。あるいは「繋ぎとめることが可能だ」と考える人がいる。それは体育会系の人だ。普通の人は絆なんて求めていなくて、つまり🍌が欲しい人が多い。それもどうかと思うけど。

◆なにゆえ体育会系になるか

目的を見失っているからです。目的を達成するために万事進めなければならんが、目的が分かっていない。だから金を稼ぐための仕事をしなければならなくなる。そして金を稼ぐための仕事は往々にして退屈だ。退屈な仕事を社員に強いなければならない。そんな仕事で社員が辞めたら困る。どうするか。絆せばいい。

いつまで絆す?

辞めるまで絆す。

そうね。

会社の成すべきことは、社会をよくすることだ。金を稼ぐことを目的にすると当然負ける。なぜなら誰も「金を稼いでください」なんてお前にお願いしてないから。お前が不要になる。

そして人が会社で成すべきことも社会をよくすること。そこを違えると仕事がつまらなくなる。あるいはつまらない仕事をすることになる。だって意味のわからねぇ事やるのってつまんないじゃん。

「金が沢山もらえるけど意味の分からない仕事」「ある程度の金がもらえて有意義な仕事」がある。そして例えばだけど人生が一度きりだったとする。そのときどちらを選ぶだろうか。

「働きたくない」って思っている人。それは、そもそも仕事を勘違いしてるんじゃないの?自分の仕事によって何が起きているかを考えたことはあるだろうか。転じて、自分の暮らしの中に誰かの仕事を感じたことはあるだろうか。

仕事について知らないまま仕事をしたらヤバげじゃないか。

◆理系の会社

理とは。

こと‐わり【理】

物事の筋道。条理。道理。

デジタル大辞泉 – 理

物事を進めるうえでまず理路を整然にすんのが理系だな。体育会系は体育することを目的にした集団だ。

会社、法人の関心ごととは何か。それは金を稼ぐことだ。

「金を稼ぐ」に理を見出してみる。

  • 法人格が生存するためには、金を稼がなければならない
  • 金を稼ぐためには、社会から求められなければならない
  • 社会から求められるためには、社会の役に立たなければならない

2つのステップを踏む論理だな。

体育会系が「理」を持たないとして、そこに理のステップは無く、また、「法人格が生存するため」という根源さえ失われ、金を稼ぐことが目的になるだろう。そこが理系との差だ。そして、金を稼ぐ方法についても理が働かないから、既存の方法、短絡的な手法しかとることができない。つらい。

◆人間のしょうがなさ

人間は「しょうがない性質」を生まれ持ったりする。何回言っても遅刻する奴とか、電話の応対が無理な奴とか、人の気持ちが分からないやつとか。あるいは家庭環境で後天的にしょうがない性質が備わったりもする。

それは人間だからしょうがない。だけど、「社会人として」とか「責任感がない」とかいう言説はそれを、個人の人間性を許さない。個人の幸福を許さない。体育会系の会社は「透明であること」を社員に望む。無個性に、与えられた仕事を正確にこなすこと。無個性であればあるほど体育会系の職場で活躍することができる。深層がからっぽであれば働きやすいだろう。滅私奉公というやつだ。

だから、個人がいかに辛い過去を背負っていたとしても「それでも社会人か。しっかりしろ。」となるし、いかなる病気を持っていたとしても「責任感がない」「仕事ができない」で一蹴されてしまう。

◆無理なものは理ー無ーです

多少の無理はスパイスかもしれない。無理がない人生もそれはそれで味気ないものだ。でも恒常的に無理が発生してるのはやっぱり理が足りていないんだろう。理が無いと書いて無理だ。

体育会系の会社からの仕事を、体育会系の会社が受注したとする。それはもう無理のバーゲンセールだ。その無理は残業によって消化される。

◆きゅうり

他人に理を求めるなら、自分も理性的でいなければならない。理由を考えて行動しろ。「ミスしたら怒る」じゃ体育会系だ。「なぜミスが発生したのか」「そもそもミスなのか」「怒ったらミスは消失するのか」「そもそもミスが発生したこの仕事は必要なのか」そこを考えないと体育することになる。

◆体育会系な仕事における純粋性

業務への反対意見や改善案は、業務をこなす流れに於いて不純物でしかない。仕事とは聖域。それを一社員が侵すことは許されないのだ。

理系ではそうはならなくて、つまり仕事を効率的にしたがる。仕事を省力短時間でこなせる方法を見つけたのなら、当然取り入れるだろう。次の仕事も省力でこなせるからだ。体育会系には「次の仕事をどうこなす」の概念はない。既定の方法で間違いなく仕事を終えることが全てだ。あんまり先の事を考えたら理系になってしまう。

過程も重要視しなければならない。なぜなら、社員を壊して仕事を終わらせても何にもならないからだ。悪い噂が立つのは当然だし、他の社員も「次は自分だ」と思うだろう。コミュニケーションも滞る。過労死なんて起こしたら訴訟沙汰になる。人員の確保が難しくなる。どこの馬の骨かわからん奴を起用しなければならなくなる。次の仕事がより厳しいものになる。

そして、そんな仕事は時に結果すら無意味なものになる。

理が必要だった。業務は改善される。意見はより多くの人間から取り入れたほうが良い。病気の人間は病気であることを前提に働いてもらえばいい。電話対応ができない人間に電話対応をさせるべきではない。台風なら自宅で作業すればいい。風邪なら休め。どうしても遅刻するんなら働き方を変えてやればいい。

これは「理」だ。人間にはそれぞれに事情がある。それを汲んで、みんなが幸せになるように道を模索すること。それこそが道理だ。

当たり前のことなんだけどね。

◆社員の離職を防ぐために

という考え方からおかしい。なぜ人材を縛る必要があるのか。というか、社員は人間だ。下僕ではない。ゲームのキャラクターではない。道具ではない。人それぞれの人生がある。それを束縛する権利があるとでも思ってるのか。

社員は財産ではない。人間だ。人間が77億人いたとして、一人々々それぞれに自由がある。幸福になる権利がある。個人の自由と幸福を毀損することは許されない。互いに。まして法人ごときが人を財として、道具として扱っていいわけがない。

そして人間は一人では何もできない。一人じゃできないことをする為の場所が会社だ。人間同士が対等な気持ちで、協調した思いで成すべきことを成すのが仕事だ。

まずは社員を一人の人間として扱うことだ。尊重すること。社員が最高のパフォーマンスを出すために、常に戦略を打て。正しい仕事を持ってこい。正しい指示を出せ。非効率な雑務を潰せ。何に時間がかかっているのかを聞き、なるべく沢山の人間から解消のためのアイデアを募れ。何もかもを定期的に見直し、社員から要望と苦情を集めろ。

自信をもって正しい仕事ができているのならいい。正しい環境を社員に与えることができているのならいい。離職は悲しいものではなくなる。ダメージを伴うものではなくなる。

◆職探し

仕事をしたいんなら仕事ができる会社を探すのが道理だ。どこかに自分に合った会社がきっとある。体育会系が合っている人もいるし、理系が合っている人もいるだろう。

嫌な会社にいるんなら、その嫌な理由をしっかりと考えろ。「給料が少ないから」「休みが取れないから」は、仕事がつらい理由なのか?自分が本当は何を求めているのかを、再度考え直さなければいけない。

まだ自分のなすべき仕事を見つけていないから、とりあえず高給を求めてしまっただけかもしれないな。

給料いいなら嫌な仕事でもするの?休みが多いならクソな仕事でもするの?「仕事はつまらないものだ」っていうのは、つまらない仕事を40年間やってきた人たちの言葉だ。

ベルトコンベアで流れてくるシュウマイにグリーンピースを乗せる作業を、40年やるだろうか。「なにをそんな」と思ったかもしれんが、お前の今やっている仕事は本当に大丈夫か。グリーンピースを乗せる仕事ではないと言い切れるか。

◆仕事に行く意味

仕事のとらえ方には二種類ある。

  • 生きるために金が必要で、仕事をする。
  • 仕事をして人を助けると金を貰えて、生きることができる。

どっちのほうが楽しいだろうか。ワクワクするのはどっちだ。毎朝「よーし」「今日もかますぜ」っつって仕事に行くことができるのはどっちだ。

俺は、前者はとても耐えられない。どこかで折れる自信がある。いつか仕事に行けなくなる日がきっと訪れる。金をもらうためじゃない。人が助かるから仕事をするのだ。だから、人が助からない仕事をしない。

若いうちに気づけて良かったなと思う。勉強しつづけてきて良かった。選り好み出来て良かった。取り返しのつかないことになるところだった。負の連鎖に片足突っ込むところだった。

◆謝罪会見

体育会系の会社、組織は謝罪会見をすることになる。それは仕事の目的が金にならざるを得ないから。金が目的なもんで、評価基準は当然得られる利益の多少だ。そしてその汚染は個人レベルにまで及ぶ。人生が金を目的としたものにすり替わる。

また、理を整えなかった結果、業務に無理が発生するようになる。誰かが辛い目に遭う。無理から逃れるために不正が発生する。

◆結論

納得できる仕事をしたいよな。そのためには「この仕事をする意味が理解できません」っていう面倒な問いに付き合ってくれる上司、会社が必要だ。

そして何より「仕事を疑う能力」が必要だ。じゃないとモヤモヤは晴れないままに、給料を貰うための仕事をし続けることになる。

そんなことを思った。