ブログとかね。

どっちかっていうと今は本を読んだ方がいいんだけど、文章を書いてしまう。一種の逃避だな。

思えば、学校でもそんな感じだった。中学校まではクソヌルゲーだったからボーっとしてても何とかなったし、高校は数学の時間爆睡してたり別の事考えてたりしてた。おかげでセンター試験の数ⅡBは三十何点だったな。「模試&センター特効」のパッシブスキル持ちだったから他の教科で何とかなったが、数学はダメだった。つまり数学こそ一番やらなきゃいけない教科だったんだろう。

勉強しなければいけない場面で、勉強することができない。しかし、そういう状況に置かれている場合、他の勉強ごとなら何でも楽しんで出来ただろう。しかも性質の悪いことに、逃避で制作したものはクォリティが結構高い。というか細部まで集中して取り組める。

皿洗いも苦手だ。皿を洗わないといけない。皿が溜まっていくのが面倒だし、皿はオメー何を洗ってもらうの待ってるんだ。自分の体くらい自分で洗え。皿死ね。

あと、テキストデータフォーマットを考えてたんだけど、なんかそれも放置してしまっている。

最後、シメの部分に取り掛かれない病気も併発しているようだ。どうしたものやら。あとちょっとなんだけども。

自分でやれるか分からない事は、やりたい。やれねぇ事を「やれます」って言ってやるのも好きだ。だけど「こなせるな」と思った時点で興味が薄れる。完結できない。底が見えたし、どうでもよくなって犬とか撫でたい。

色々対処法を考えたんだけど、どれもどれだな。このまま何も成し遂げることが出来ないのかもしれない。明確な解消法としては、他に優先して終わらせなければならないタスクを抱えることだ。そこから逃避する形でなにか活動を片付けなければならない。自分を騙さないといけない。

あるいは、全て終わらないものだと諦めるか。でも諦めるってほど取り組んでもいねぇし、やってたことは楽しいからやっていただけなんだよね。なぜか終わらせることが出来ない。なんなんだろ。

大学とかほっぽってバイトをしてしまう人間がいる気持ちもなんか分かる。しなきゃいけないことって燃えないんだよね。だから「人生をどうしよう」って思って例えばマンガ書いたり小説書いたりっていうのも、追われた時点で不能になってしまうような気がする。

でもMinecraftやらFactorioなんてゲームは無限にこだわって遊べる。なぜなら優先事項で言やゲームは極めて低いからだ。こいつらの優先事項が高まるようなことがあったら、やらなくなるだろう。ブログもその類なのかもね。

そういう人間です。どうよ?

取り敢えず今は本読まなきゃ&皿を洗わなきゃいけないから、テキストデータフォーマットでも考えるわ。ふひひ。