長くは書かない。書きたくない。
◆ガンダムのジークアクス
映画を鑑賞した縁により、アニメのほうも毎週視聴している。映画の感想は前に書いた。
現在放送されているのが11話とかで、あと最終話を残している。そのうえで全部無視してひっくるめて言えば、大人の視聴に堪えない動画コンテンツです。
▼やりたいこと
何がしたいか分からんアニメというものが世には存在しているが、ジークアクスは何がしたいのか分かる。どういうシーンを見せたいのかが分かるんだけど、それに対して「見せたい世界設定/世界観」「見せたいキャラクター」「見せたい絵面」が存在していて、それを余さず雑多に詰め込んだがゆえにバカのゴミになっている。全部が表面的でハンパ。その見せたいものについてもそれぞれ直情的で単純で雑味がひどくてフェチズムが浅くて高校生でも思いつく程度。無理に捻れと言ってるわけでもないんだけど、既に捻ってるし滑ってるし。責任問題です。
この文章を書いている俺は何を持ってしもアニメ業界になんの関係もないサラリーマンであるけれど、ワンクール、12話で表現するべき内容なんてものはきっとアニメを作成する会社の中で会議があってそこで議論されて洗練された上で実装されてお茶の間に届けられるものと考えます。
だけんども、アニメの筋の強度がジークアクスは弱いわ。一人で考えてもこうならないでしょ。筋通しましょうや…
▼筋
ちょっとだけバズった言葉として「筋」を引用したけど、事実として筋が通ってないと視聴者は共感できかねます。到達地点、マイルストーンとしてアニメのワンシーンが存在しているのはわかるんだけど、そこに到るまでの必然性、すなわち筋が通ってないと冷めるわ。
加えて言えば、ニュータイプという概念を筋説明する上での無制限な万能にしてしまうと、それは見てる側からしてワクワクもハラハラも奪ってしまう。作ってる人にだけ気持ちいいみたいな同人オナホールでしかない。真面目に作劇する気あるんですか。
時系列を認識できない視聴者層も当然いて、それらはアニメもドラマも自分の人生も点で捉えて点の感想を語るでしょう。でもそれ当たり前じゃねぇからな(極楽加藤)。大抵の人間は線でアニメを視聴してます。線で物事を理解してます。だから点が光ってたって線の整合性が合わないと筋についていけなくなるのはクソを見るより明らか。ジークアクスは線を守ってないあるいは、心情、事象、世界、人間を語ることをサボってるから観られなくなる。共感できなくなる。
キャラクターそれぞれ操り人形。言うセリフも食べるものもキャラクターの実在性に寄与しない。誰も自分の気持ちで動いていない。都合で動いている。それってオッサンが可愛い女子高生のフィギュアで人形劇やってるみたいっていうか、そのものよ。見ていられないっすわ。
筋書きのパズルを解いて組んで整然と12話に収めようとして収まらず、もう一度ほぐして組むなり砕いて固めるなりうんうん悩んでそぎ落としてカタにハメろやカス。物語を練る気も繰る気も感じられないし、人間心理のパズルを解いて奇跡を語るつもりもない。画が綺麗なだけでキャラクターの表情すら描き間違えている。任意のキャラクターが何を知っていて何を考えているのかを考慮しないままノリでしてほしい表情を描いて頬染めたりさせてるんで見てる側からして違和感になる。
▼ガンダム
ジークアクスに意思があるんだかないんだか、それもよくわからない。無いと思って見てるけど。ガンダムが言っているって言葉もよくわからん。説明されない気がしている。
ガンダムでやる意味ないです。同人を公式として放送して栄光に泥を塗っただけでは。商業的にもなんか中途半端じゃねぇかな。あるいは判断として、まったくガンダムらしからぬ刷新したガンダムにしてやったほうがまだガンダムだったんじゃないの(意味不明)。
11話の最後でやっと初代ガンダムとの絡みを活かし始めたけど、そういう山場を5話前にやっておくべきだったとは思いませんか?キャラを登場させるだけじゃ活かしたことにはならんのよ。オタク気取りの「ボク知ってる~このキャラはララァってゆうんだ!」的なマウントとりたがる承認欲求ニワカしか喜ばんのよ。夢小説なのよ。俺だってニワカだけど俺ですら喜ばないんだから。
と、俺みたいなものは思うけど、感性弱い人なんてありふれていますから。物語を載せられないくらい脳の容量が小さいがゆえに点ごとにしか見られない人もいますから。そういう人に「ララァだーガノタ歓喜ー」「なんかすごそうー」で刺さればいいんでねぇかい。
▼意味不明
意味不明とか説明不足をやるにしてもそれテキトーにやってるように見えて皆さんパズルを解いて引き出し開けてバランスさせてアレを作ってんだよ。「察しろ」「考えればわかるでしょ?」を繰り返すような、視聴者に甘えつづけた結果ごちゃった意味不明になってるわけじゃない。断じて。それをジークアクス作ってる人間は履き違えてる。
自分の趣味を詰め込んだ作品を作るのも結構だが、それぞれが加工されてない。泥も落としてない野菜を皿に並べんなよ食わせる気がねぇだろそれ。お前にとって花を生けた花器が見えてるのかもしれないけど、まだ粘土と釉薬と切って床に置かれた花の状態っす。お前の見えてるものを必要な情報も提示せず視聴者に想像させるのは、勝手にしろと思うけど貴重なロボットアニメ制作リソースを浪費してまでやることじゃねぇぜ。
だから、語りたいことなんてないんでしょ?日頃生きていて世の中に通底してしまっている何かを見出すことができていないから哲学なんてないんでしょ?だから外側だけの作品しか作れないし、外側だけ見て持て囃す中身のない人たちにしか評価されないんでしょ?でも自分を持て囃している人たちの属性とか共通項にも気づけなくて微笑んじゃってるんでしょ?
眺めてる画面が光ったときに笑う白痴のサルですよ。刺激とかパターンに反応してるだけ。ジークアクス以外の創作物も刺激とかパターンの集合としか認識できない人たち。咀嚼して栄養にできない人たち。
▼シビア
歴史も社会も組織も知らないし見えていないから話にエグみを出そうとしても想像力が欠落するし、だからビームで蒸発死した毒ケーキ連打マンみたいなギャグになっちゃったんじゃあなかったか。放火の顛末も雑ってかアホだし。ナンセンスすぎる。
歴史や社会や組織の持つ深度を察している誰かからして、シリアスな展開でそれらに対する畏怖を画面から感じられなかったら白ける。共感が抜け落ちる。世界の何も知らないアホならアホなりにシリアスな展開なんてやらずに毎週ガンダム祭りを開催すればよかったものを。何がしたかったん。
大人同士が話してる長尺の会話シーンでも内容が不自然かつ説明的かつ希薄で前後の連続性に乏しい。説明したというアリバイ作りをしたいだけで脚本家は何も知らないし日常会話にも何も感じてないんだなと察する。
神話がないし、宗教観とか哲学がないし、学と応用がないし、原体験がない。俯瞰できてもない。感謝もしてない。そんなシャバガキの記号ツギハギで表現されたアニメなんてものは…。比べるのも失礼だけど、がんこちゃんとかおじゃる丸とか、あの辺よりも大分と低俗だよ。あれらは社会の仕組みとか人間の仕組みを知ってる人間が作っている。クレヨン王国もニャンダーかめんもそう。大人が集まって作ってんだから当たり前のことだけどな。今言った子供向けの作品群とかガンバの冒険のほうがジークアクスより世界がシビアだ。ニャンダーかめんはサンライズだったかそういえば。それがにゃんだという話だけど。
あ、おしりたんていはジークアクスよりつまらないよ。よかったな。おしりたんていもジークアクスもどっちもままごとだ。
◆結
おもしろいふりが巧いだけでおもしろくない作品。最終話たのしみです。見終わったらこの記事に追記する。
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