エスカレーター歩かずに乗る条例案 埼玉県議会で可決魚拓

別にいいんだけど、原因はそこじゃあないんでないかい。

エスカレーターの横に階段がないから歩いて上るんじゃないの?少なくとも俺はそうだ。だから、「エスカレーターで歩くの禁止条例」を作る前に「エスカレーターの横に階段を併設する条例」を作るべきなのでは?そのあとで「歩くの禁止条例」を作ろうよ。

◆半分考えて出た結論

のことを半ケツという。結論に辿り着いたと思っても、それが半周しただけの結論だったりすることがある。

「麻薬使ったら犯罪」「麻薬売ったら/運んだら死刑」みたいなのも、それはそれでいいんだけど対処療法的だ。原因療法をするべきだろが。

原因がどこにあるかと問えば、そりゃ物質的な貧困と精神的な貧困の合わせ技に他ならない。その両方が解消されれば危ないクスリも世間に出回らないし、出回ったとしてそれを必要とする人もそうそういない。既に満たされているから。自分を大切に思うから。

だからアメリカとかが軍備に金をかけてメヒコの麻薬カルテルをぶっ潰したとしても問題は解決しない。貧困のせいでドラッグビジネスに関わらざるを得ねぇ人が居るし、心が満たされなくて薬物に頼る人がいるから。

イスラミックステートと殺し合ってテロを無くせるはずもない。ビンラディンを殺してもテロは無くならない。怒りながら銃で撃つだけで、テロの機序を理解しようとしないから。否応もなくテロリストになってしまった人について考えないから。そりゃあ解決するわけない。

なんか当たり前のことを言っているようではあるが。

テロ対策、ドラッグ戦争に賭けた金に対して効果が出ていない。その金で幸せを作ればよかったのに。

◆金

戦争で金を稼げるという話があるし、金を稼ぎまくれば幸せと言う話もある。それもまた半ケツであり、幸せはそこにはない。快楽があるのみ。

例えば、多すぎる金を稼げば貧困を発生させてしまう。貧すれば鈍するわけで、貧困は異常な人間を醸成する。異常な人間が社会に不幸を起こし、その不幸は連鎖して自分に降りかかる。予測できるものではない。

かたや、稼いだ金を世界の為に使えば社会は加速する。みんなが助け合って生きてさえいれば、2021年に治らなかった病気も治っていたかもしれない。テクノロジーの発達により、そもそも金に価値のない世界だったかも知れない。

だけど、大抵は富を世の中の為に使おうとしない。人より恵まれていたとしても、より多くを欲しがる。果てが無い。

人を蹴落としながら金を稼ぎ名誉を勝ち取ったとして、それでもあなたにとって大切な人は自動車に轢かれて死ぬ。自動車の事故防止機能について研究する人はいたんだけど、あなたが富を独り占めしたせいで間に合わなかったよね。だからあなたの大切な人は白血病で死ぬ。心臓病で死ぬ。バスが事故って死ぬ。放火されて死ぬ。刺されて死ぬ。くも膜下出血で死ぬ。

問題の表面だけ見てもしょうがない。ボールを追いかけるだけじゃサッカーは勝てないし、猫を追うより魚を除けないと魚はピンチなままだ。悪いことが起こった時、それをただ「悪い」「猫が悪い」というのは正しくない場合が多い。何かを悪いというのは、とっても難しい。僕には簡単じゃないことだよ。(TUMINNGN

だから何か物申したいときはこうやってクソブログに駄文を書きちらすわけです。

◆全ケツはどこに

半ケツは嫌だ。まるだしてるケツがいい。ケツを丸出すためには、最終的には飛び込まないといけない。現場を見なければ、立ち会わなければいけない。テロは会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!

悪いことが発生している現場に行けば、絶対に困っている人がそこにいる。その困っているひとの傍に寄っていって、話を聞いてあげなければ。一緒に問題を解決してあげなければ。撃って殺してもまた新しいテロリストが湧いてくるだけだ。

食うや食わずの末に世界を憎むのはしょうがない。そして、その結果として銃をとる人間がいるし、麻薬原料植物を育てる人間がいる。その人間を殺しても飢えは解決しない。また、親の愛を得られずに歪み、他者との関わり方を見失い、同級生を虐めて殺す人間がいる。それを吊るし上げて責めてもイジメは無くならない。

イジメが生まれた経緯を知らないままにイジメを憎めば、半ケツ出して意味のないことを仕出かしてしまうだろう。

◆合理的

そこら辺の人が言ってる「合理的」っていうのは、わりと浅い。現時点から進む方向の合理性だけ見ていて、一歩下がった視点の合理性を考えない。

理が巡る範囲が狭い。全体像をみようよ。「自分のために行動しよう」みたいなスローガンあるけど、思慮の浅い人がそれを間に受けたら危険だ。他者を害した因果として自分の首を絞めることにもなりかねん。個人の間の損得勘定だけでなく、派閥でもそうだ。日本に嘗て存在していた良い会社は派閥の論理により目的を見失い、落ちぶれていったよな。敵の派閥を攻撃することも、あるいは自分の派閥の利潤のみを追い求めることも、なんの問題も解決してはくれないのだ。

そういう意味でトランプ政権の掲げる「合理的な」政策には反対だったんだけど、でも世論ってクソ馬鹿だから政策自体を「断絶」に置くのは間違ってない。敵を断絶すれば問題が解決すると思っている人は多い。とはいえ、世論はクソほど馬鹿だから断絶の次は融和を打ち出さないと落選するでしょう。

◆根源の話をしてもしゃあない時だってある

前に、ウンコバケツチャレンジっていうのが流行ったじゃん?ALSの患者を”哀れに”思ったパリピがバケツに溜めた糞尿を被って「ひゃーwくせぇーw」とか笑いながら現金を寄付しつつ「俺は友達の多い善人です」って主張してみせたのち5日くらいで苦しんでいる人の事を忘却するしALSの話題を聞いて思い出しても儘ならぬ病に対して特になんの義憤も感じないやつ。

怒りすぎて眠くなるほどバカバカしいというか、人の病を言わば利用してSNS映えを狙うという下劣が許せん。あの活動に心から賛同して参加したひとの心根はただただ浅ましく、悲しい運動だ。根源的な人間愛がないんだという事実をまざまざと見せつけられ、苦しい。その事実は知りたくなかった。

複数の面から鑑みて嫌な活動ではあるが、それに対して怒るってのもまた違う。なぜなら、繰り返しになるけど世論って俺のおちんちんくらい単純だから。世の中の人間の教養レベルは低く、切実さから遠くにあって、他者の困難を自分事として捉えて悲しむ能力に欠けている。

半ケツ出した馬鹿が跳梁跋扈するこの俗世で正しさを叫んでどうなる?どうにもならんぞ。誰も耳を傾けてはくれんぞ。正しさで物事を解決できるんならとっくの昔にこの世は楽園になってる。低能ばかりの世界では、時に正しくない活動こそ正しいんです。ありとあらゆる不幸について当事者になるまで他人事だと余裕ぶっこいて安全圏から茶化す鬼畜ばっかだったからアイスバケツチャレンジは大流行した。勝手に増殖する馬鹿の群れから搾取された莫大な金銭が研究費として集まり、難病の研究が進んだ。

それはある意味で価値だ。こんなもんであっても「現時点での勝利」と呼びたい。恒久的な勝利(誰も敗北しない勝利)は遠く、その輪郭すら見えない。だから今は。

少なくとも今は、あいつらを煽てて騙して財産を奪えばいいんだ。その金で不幸と戦えるってんなら上々だ。悲しいことだけどそれは紛うことなき勝利なんだよ。

問題の根本について語っても、理解してもらえないんなら意味がない。愚直に進むんではなく、迂回ルートを探れ。迂回ルートをとったことについて「正しくない」って批判されたんだとしてもな。誰に何と言われようが信念を曲げてはならない。俺たちは困って泣いている誰かを助けるために生きているんだ。

◆逆もある

「こんなダサい仕事やって意味あるの?」っていうのも違う。その仕事によって、ある個人と世の中に何が起こるのかを、深く想像しなければいけない。とはいえブルシットジョブもあるにはあるわけだから、金のための仕事になっていやしないかってことは考えるべきだ。

まずは自分のいる場所で自分のやっていることを理解し、頑張っていればいいんだと思う。

◆結

何か方針を決定したいんだったら、まずは沢山考えてくれ。そもそも、意識的に物事を選択してくれ。現場を見に行って、そこにいる人の信頼を得て、彼らの声を偏見無く聴いてください。手っ取り早く終わらせようとするな。

「やめろ」と言うのは簡単だ。でも「やめろ」と言って煽り運転がなくなりましたかね?なくならないでしょう?「厳罰化が不要」って主張したいわけではなくて、今はそれが必要。でも今後あおり運転で死ぬ人を減らしたいんであれば、為すべき活動をよく考えろよ。交通安全運動しても意味ないに決まってるだろ。「やべぇ家庭」に対するサポートが必要なんだよ。

まずはとにかくエスカレーターの横に階段を併設してくりゃれ。そっちを上がりますので。