自然にやっているコミュニケーション技術と、意識的に実行しているものとを纏めて言語化してインターネット上に晒す。それによってコミュニケーションに困っているどこかの美少女が検索流入する。記述を介して美少女と俺が精神的に接合するので、その接続で美少女を汚染することができる。それを目的としてブログをしたためる。
うん。
コミュニケーションがうまくいかねぇ人がいるので、どこへんで差があったのかってことを整理したくなった。「コミュ困らない因子」を求めて探訪しようじゃん。
◆コミュニケーション失敗の定義
- コミュニティが悪くなること
- コミュニティが良くならないこと
だろな。「自分が人気者になれない事」「自分が虐められる事」「誰かが虐められる事」「喧嘩になる事」は根本的な問題ではない。
◆何をすりゃいいのか
▼現状のコミュニケーションがヤバい人
- 自分の言動を再確認する。
- 物を知る。
とはいえ全て無意識でやっていることだろうし、確認してもどうにもならん。
▼ヤバくない人
- 自分や自分以外の関係のもつれをほどく。
- 他者の視点を広げ、寛容さを芽生えさせる。
じゃあ見ていく。
◆すなお
ひとに素直に懐ければいいと思う。よくわかんないけど。
うん、いや、ちゃんと言語化します。
懐く人はかわいい。ホモガキやらメスガキに懐かれるのはかわいいし、先輩になつかれても後輩になつかれてもかわいい。ババアに懐かれるのもかわいい。オッサンに懐かれたとしてもかわいい。同世代の異性に懐かれる状況はちょっとなんかわかんないけどヒく…という人もいるかもしれんけど、それは取り敢えずどうでもいい。
素直さ、無邪気さを持っている人は、関わることに不安が発生しない。そういう俺もかなりの無邪気民だった(過去形)。無邪気すぎて人に懐きすぎて楽しすぎて変な状況になったことがあるくらいの無邪気だった。
素直であれば、ひとが共感してくれるようになる。変なことをしたときも「変なことをしました」と自白するだけで良く、言い訳とかせずに済む。ふつう許されないことでも何か許されていた気がする。し、俺からしてみても無邪気で素直なやつが変なことをしていても許す。
そして、許されてない人がいるのも知っている。日頃なにかを隠し持っていそうな人は当然ながら疑いの目を向けられるわけで、純然たるミスですら許されなくなる。「素直な人許されがち現象」と名付けたい。
◆予測可能性、テンポの維持
印象としてはコレが一番重要だと思う。不意の動作をしないこと。見た目でいま感情がどうであるかが分かること。発言や動作に一貫性があること。
動きを予想できる人であれば好きやすい。予想できない人を好きするのは、それより難易度高い。
愛想よくするとか別にどうでもよくて、感情の出力を一定にするべきと思う。怒ることがいけないんじゃなくて、前触れなく怒るのがキツい。前触れ無く泣くのがキツい。前触れ無く笑うのがキツい。
すげぇ面白いことに遭遇したんだとしても、爆笑する必要ない。「ふっふっふ」「わろすわろす」くらいでしておいた方がいい。急に感情が振れる人はなんか怖い。
◆報告
機嫌が悪いんならその原因について世間話すりゃいい。
「花粉症がどうこう」「すごい眠い」「おなかが痛い」「爪が割れてる」みたいな。家庭の問題について話されても困る人が多いが。
どういう契機で報告すりゃいいんだと思うかもしれんが、そもそも挨拶を元気よくしろ。おはようございますとか、お疲れさまでしたとか。それだけでだいぶハードルさがる。大丈夫な感じになる。俺からも挨拶したろ!って思う。
関係が浅いのであれば、突拍子もない世間話でも取り敢えず話はしてくれる。「こいつ世間話してくる人なんだな」で済む。けど、既に世間話をしない関係性になってしまっているなら違和感が生じるかもな。
▼ほどほどに
ほどほどな会話量と言うものがある。それなりの関係性で10分も話すな。2分も話したらもう切り上げるタイミングを図れ。
◆正直に話す
全部言う。言いづらいことから言う。
前にも書いたからいちいち書き直さないけど。
言わないことによる弊害がデカい。相手を尊敬できるのであれば、言わなければならないことは言ってやらねばならない。
思いのたけ全てを正直に言ってしまっていい人がいる。よしなにしてくれる人がいる。無論、正直さに耐えられない人もいる。根源的には、「正直に心情や欲望を話してはいけない」というのは間違い。情緒が安定しまくっている人に対しては全部正直に話すのが吉。嘘をついたんなら「嘘をついた」「見栄を張った」と秒で白状しろ。薄暗い嘘でも1秒で白状すれば共感してもらえたりする。
相手を疑うんなら「疑わしいから疑う」と言う。馴れ馴れしいと思ったんなら「馴れ馴れしい」と言う。その話興味ないと思ったんなら「言われてもわからんわ」と言う。言わないと、まーーーーこじれる。自分がこじれる。相手がこじれる。気持ちが淀む。笑顔が無くなる。
妬ましいと思ったんなら妬ましいと言え。嫌だと思ったんなら嫌だと言え。ただ、相手は「嫌われた?」って勘違いするわけだから「お前を嫌ってない」というニュアンスが無いと怒るし傷つく。気をつけるべき。どちらにせよ言外のコミュニケーションは燃費が悪いし誤解ばっか。
という言説を真に受けても良いんだけど、人を選べよ。そのへんの女に急に「ブラジャーを嗅がせてください」と言っても駄目だ。ブラジャーを嗅ぎたい気持ちは、一旦閉じ込めろ。感情で物事を決定しない女に対してブラジャーを嗅がせてくださいと言え。
翻って、人が正直に話してくれた時はそれをまずヨシヨシすること。どんな言われ方したとしてもな。感情を押し殺した振る舞いを「いいね👍😉」してしまうと、次の関係がこじれる。
◆隙あり
完璧な人が存在するわけも無いんだが、「完璧であろうとする人」はいて、わりかし面倒。
環境によるが、「すんません面倒すぎてやってませんでした」「ダルすぎるので別の方法でやります」とか言ってしまっていい環境もある。俺は言う。
「悪く言われないように」っつって隙を消す努力を、するべき環境としなくてもいい環境がある。嫌われるんじゃないかって心配している人は、好くのが難しい。パズルのようになっている。
うんち環境では隙を見せてはならんだろう。刺される。良い環境では隙も許される。なんかミスした人に対して感情のまま責めてもしゃあない。相手に完璧を求めるんであれば、自分も完璧でならなければならない。それはどっちも無理で。
◆ものを知ること
何でも知っていれば色んな話題で人と会話できる。知らんことについても、適切な興味を持つことが出来るので会話が継続できる。
人の気持ちや病気について知っていれば、ヤベー人が居ても「アレね。発作ね。」ぐらいのもんで人を憎まずに済む。「はは、こやつ荒ぶりおるわ」「怯えていただけなんだよね…(ナウシカ)」くらいの感想で終わる。あるいは逆に、自分の感情について知っていれば嫌な気持ちを俯瞰的に見られる。
感情、脳、障害について、まだ知らないことが多すぎる。誰も彼も俺も。悲しい誤解がそこらじゅうで発生している。
あと、コミュニケーションは概ね言葉でなされるわけだから、言葉を知っていないと会話がズレたりする。適さない語彙を使ってしまったりする。言いたいことがあるのに言い淀んでしまったりする。相手が会話を待ってくれる人であればいいが、待ってくれない人のほうが多くて。
物事を知って脳内に入れておけば引き出しを開けて取り出して会話に使える。知らないことは引き出しに入ってないから会話に使えない。コミュニケーションが滞る。
◆ふたことコミュニケーション
わりと重要テク。
一言で突き放す感じが出ちゃうなら、もう一言足して「離れてないよ」「関わってるよ」ってする。
「頼んだことまだやってない?」って質問したとして、相手が「やってないです」とか言ったときは、「うんうん。おっけおっけ。じゃあ…」みたいな感じでサラッと話を継続させろ。問題があったとしても流せ。言い訳が聞きたいわけじゃないだろ。
◆お前のせい
人生には、自分で変えられることと、自分では変えられないことがある。そいで、変えられる範囲ってのは異常に広い。試せることって、気が遠くなるほど多い。コミュニケーションで言えば自分次第でかなり色々な関係を構築できる。
何が言いたいのかって、お前のその「失敗したコミュニケーション」は、nowコケたわけではなくて大体3手前にコケている。
みんな大好きテトリスで例えるなら、Oミノ(黄色のハコ)が来たタイミングで平たい場所が無くて置く場所なくて「運が悪い」「ツモが悪い」「Oミノが悪い」とかほざいているのが現状。テトリス巧い人であれば、そういう「Oミノ置けない場」にそもそもしない。Oミノが来ても困らないように事前に手を打ってる。意識的か無意識的かわからんが。
Oミノが置きづらいんなら置いてからリカバればいいんだが、リカバるほうが難しい。
出来ることがあったタイミングに呆け散らして何もせず、出来ることが無くなってからビタンビタン跳ね回る。きぃきぃ喚く。駄目になったときに漏らす「自分のせい」も現実を直視してない。自虐に終始し、逃げ方向の理由付けをする。
やめな?
人生が暗いのは相手のせいではないということ。逆に言えば、自分の人生が全部自分の影響下にあるということ。それはこのゲロとクソに塗れた世界を照らす希望だ。
◆悪などいない
真の悪なんていないっていう。
悪だから悪いことをしてるんじゃなくて、アホだから良いことと悪いことがわからんのです。相手の気持ちがわからんのです。自分の感情がわからんのです。アイツらもどうすればいいのか迷ってて、困ってるっちゃ困ってる。
それを憎んでもどうにもならんでしょう。憎むなんて、感情に振り回されるなんて、同レベルだよ。お前が良いことと悪いことを分かってるって言うんなら、オメーがどうにか誘導しくされ。
人を変えられないと思い込むのは雑魚だ。相手を悪と決めつけるのが唯一絶対の悪だ。お前の周りにいる「やべーやつ」は、ヤベー奴であるがゆえにアホだ。おそるるに足らねぇ。見せ方次第で人の感情なんざどうでも変えられる。
ただ「頭の回るアホ」と言う手合いもいて、これは非常に難しい。トップレベルに扱いが面倒。ありとあらゆる知識を動員してしょうもない言動を仕掛けてくる。「自分の知らないことは存在しない」と思っているタイプであればなお難しい。困ってる感じにしながら対応するしか無い。
◆あいてのために
何度も言ってるけど、己の感情の為ではなく相手の幸せの為に行動しろ。どんなやつであろうと。話がこじれるのは大抵の場合、自分の利益を頭に置いた時だ。自分の利益を排すれば話が単純化するし、そんな悪いことも起きない。シビアに相手の幸福を考えろ。
「やりたくない…」って思うのは、自立できてないから。物事を為す意味を考る能力に欠け、やらされてるって認識しかできてないから。
相手の幸せを考えるってのは、相手に尽くすって意味ではない。自分が滅ぶまで相手に尽くしたとき、その相手が独りぼっちになったらどうなる?人に幸せをあげられるのは、誰でもないテメーです。だから、万事のバランスが一番いいところ(三方よし)を見つけたらそこに落とせ。
幸せを渡すってのは、相手に金や快楽を渡すって意味じゃない。相手の罪を庇ったり引き受けたりって意味ではない。相手の1年後3年後5年後の人生に思いを馳せたら、言動をアレしろ。
ただ、別にどうでもいい奴は別にどうでもいいだろう。「自分がいないと相手は幸せになれない」というのも単なる思い上がりだ。
相手のために行動できているという自負があるなら、迷いなく自分を売り込むことが出来るようになる。自信が湧く。環境を変化させる能力が高まる。自分の利益のことしか考えてないんなら、自分を売り込むことに罪悪感が生まれる。
◆言い訳して良いわけ?
自分を守るための言い訳すんな。非がある時点で謝るべきである。謝罪は敗北ではない。非について謝罪できないことこそ、自分の感情との争いに敗北することだ。非が無くても相手が悲しんだんなら謝れ。そのうえで、相手の為になるなら相手を咎めろ。
怒り、羞恥、焦がれで自分を汚すな。言い訳は人をかばうときだけ。
◆狂うな
狂ったら負け。狂ってるから負ける。狂いを自覚せねばならない。相手が狂ったのに釣られて自分も狂ってたんじゃMADWORLDです。自分だけはクールに決めろ。
物事を知っていれば状況が分かる。INTを高めれば発狂耐性、怒り耐性が付く。しょうもないことに対する感情を抑えられないんなら病院いけ。
ひとは、負の感情や欲望で狂う。変な行動し始める。負の感情で狂ってる人に対しては「相手の為に動くこと」でどうにでもなる。欲望で狂ってる人については長期的な幸福という利益について説けば落ち着く。
マウントを希望する人については、下手にでること。「私はあなたの部下です。仕事の成功のために行動します。」「私はあなたの上司であり、あなたがたの成功のために行動します。」「私はあなたのパートナーであり、あなたの幸せを願うものです」。以上。行動が伴って無ければ無理な話だけど。
◆楽しいことをはなす
そうそう会わないけど、ひとの陰口を話している集団がいたらそこに寄っていって楽しい話をする。「確かにそうだけど、でも歌はうまいよね」「元気だよね」「遅刻しないよね」みたいな。それを数回こなすと、そいつらも何故だか陰口を言わなくなってくる。
最初の動機としては、「雑魚が群れて人のあら捜ししてんじゃねぇよボケ共うるせぇんだ黙ってろ少なくとも俺の前では」という嫌がらせ根性だった。俺が陰口を言われるようになるんだろうと思っていた。けど、どうやら俺のいないところでも陰口を言わなくなっていたらしい。
任意のコミュニティに於ける陰口を減らせば、所属する人間の心理安全性が担保される。「私も陰口言われてるのでは」とか、どうでもいい心配する人が減る。
手遅れなひともいるかもしれんが、その場合は「あなたのいないところであなたは陰口が多い人と言われている。陰口をやめたほうがいい。」とでも言ってやれば良いんじゃないか。陰口を言う人は自分への陰口を一番恐れているのだから。
◆絆
絆はクソ。お前を縛る絆を破壊しろ。絆でもなんでも、理由を理由にして人付き合いしてはならない。相手という一人格に対して、その時々の思いやりで人付き合いしろ。縁で人付き合いをしろ。自分と関係ない人でも自分に利を齎(もたら)さない人でも自分の嫌いな人でも、袖振りあったなら思いやって行動しやがれ。
いままでお前が「あいつ嫌い」とか言って繋げてこなかった縁を、これからはちゃんと繋げ。調子良いこと言って絆してきた奴は弾き飛ばせ。蹴落とせ。縁を繋ぐ人と付き合え。
◆世話を焼く
困っている人がいたら「おーおー」っつって世話を焼いてみること。「人を助ける余裕なんてない」「自分のことでいっぱいです」っていうのは、自分のことでいっぱいだから自分のことでいっぱいなんです。過去に人との関わりをサボったから今が苦しいんです。
それこそ3手前に詰んでんだよ。
自分のことでいっぱいだと視野が狭まり、コミュニケーションが機能不全に陥る。身動きが取れなくなってくる。
世話を焼くと、わりと覚えておいてくれる。女は恩をエピソードで覚え、男は恩を感覚で覚えているように伺える。野郎はどうでもいいとして、女が恩返しを試みようとしてくるときは、その理由を聞かず、喜んで、お返しラリーをすると多分モテる。俺はそうしないのでモテない。モテない方法としては、「別にお礼はしないでいいですよぉ」と言えばいい。「別に」という表現がモテない。でも「別に」が大切なんだ。わかってくれ。お礼されるってわかってると世話を焼こうと思えなくなってくるんですよね。
誰に対してでも無尽蔵に世話を焼けばいいってわけではないし、世話の焼き方ってものもある。自分でどうにかしようとしている人については沢山世話を焼いてもいいが、やる気ねぇ人に世話を焼いてはならん。「俺いなくてもいいじゃーん」になるし、「人生なんとかなるじゃーん」になるから。
やる気ない人とは、コミュニケーションを密にすれば良い。やる気ない人を嫌がってコミュニケーションを疎にすると、奴さんはコミュニティのために働く動機を失い、もっとやる気無くす。あたりまえ。時間かかるんだけど、まず良好な人間関係を作ってやるしか無い。
◆底上げ
コミュニティに力関係があるのはよくある話で、それは義と信の側に立つべき。
…とも言えず、道理に反していようが弱い側の力になること。強者に与してはならない。それは弱い勢力に加担しろというわけではなく、弱者の幸福をまず優先すること。どっちにも付かないってのはありだけど弱い。とはいえ両方の勢力に属するのはだめ。立場は弱い方に置き、彼らの感情に共感し、安心させ、いずれ架け橋となること。
あるコミュニティに於いて、お前のコミュニケーションのみが成功するなんてことはありえん。戦場に平和なんてない。だから強い方に属して弱いものを叩いても意味ない。一時的に円滑になるかもしれんが、良くはならん。全体のコミュニケーション健全化のために行動しろ。
弱い方についた瞬間に梯子を外されてビックリすることもあるから、「弱い方についただけです」と言えるような行動にしておくこと。負け戦の前線を走れる人間は少ない。
◆期待せんこと
どんな人に対しても期待しないこと。対価を求めて行動すればスベる。何かをあげても、ふつう何も返してはくれない。何かが欲しいんなら最初っから「くれ」と言え。あげる。
勝手に期待すると、なんかあった時に裏切られたと思って怒りが湧く。逆に、何一つ期待せずに相手のための行動をしてあげるのは、何も考えなくて済むわけだから気持ちが楽。楽だし、相手がそれに答えてくれたらそれはそのまま黒字の感情として計上できる。
さらに言えば、人は変わる。昨日出来ていたことが出来なくなることもある。
◆余談:書いてないこと
- 文字コミュニケーションについて
- 人を笑かす方法について
書くとまたこれが長い話なので書かない。こんどな。
◆結
改めて文字に起こすとこんな感じだけど、こんな考えてコミュニケーションしてるわけもない。5秒も考えてられないキワキワの状況だってある。1秒で答えを出すため、芯を持つべき。脊髄反射で筋の良い行動を出力できれば向かうところ敵なし。人を悲しませずに済む。
正しいと思ったことをしろって話に過ぎない。
そんな感じ。
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