あの…すみません。あれ終わりました?あのチョコを送るとかチョコを食うとかいう…あるいはチョコを食って笑うとかいう…

あぁ。よかった。終わっていた。

実は、2月12日から外界の情報を一切断っていたんです。バレンタインデーが嫌すぎて。時間という概念の無い部屋を作ってそこに引きこもっていました。24時間ずっと薄暗い、畳敷きの電波暗室を作ったんです。そこでずっと涙を流しながら座禅を組んでいました。

もう三日たったかなと思って出てきましたら、一ヶ月経っていたようですね。びっくりしました。

さて、バレンタインデーを越したことですし、座禅を組んでいた間に悟ったことを共有します。

※趣旨

はい。じゃあいくぜ。

愛も恋もどっちも「love」という英単語で表現されるわけなんだが、全くもって性質の違うものだろうと思う。似てすらいない。

だから、自分なりの解釈を書き残しておこ!

そういう記事です。俺なりの解釈であるから、お前の思ってる恋や愛とは違う。

◆くっそザックリとした違い

恋の嬉しさは、相手も自分に恋をしてくれること。

愛の嬉しさは、相手が笑ってくれること。

◆前提

「恋」「愛」「絆」「恋愛」「好き(好きあい(両想い))」「愛情」をそれぞれ異なるものとする。

◆恋と愛がごっちゃ

「恋愛」という言葉もあって、何やら一緒くたに恋と愛が扱われている。

恋と愛は類語の関係にないが、「愛」という聞こえのいい言葉がお前らに乱用された結果として意味がブレッブレにぶれ、いまや恋の意味合いを多分に含むようになっていっている。んだと思う。英語でどっちもLOVEなのもいかん。

恋という言葉がちょっと軽い感じした時とか、恋で説明できなくなった時にボキャブラリーが無いものだから愛という言葉に逃げようとする。

恋と愛が混在した状態で運用されることが多いのも問題だ。いや問題じゃないけど。「恋を感じたドキドキの嬉しさ」「愛を感じたジンワリの嬉しさ」がどっちも嬉しさであるんで、感じ分けて無ければ選別も難しい。

◆恋の構成要素

性と承認。あるいは、性も承認も達成されていない現状。

「自分の遺伝子を後世に残したい」というのと「自分が”好き”している相手に承認して欲しい」という欲求。承認して欲しいものは人柄とか外見とか声とか、その他いろいろ全部なんでもかんでも。

相手を取り込みたいだとか、逆に、相手に所属したいという欲望。

上記を理由として、恋愛至上主義で生きつづけると自己が肥大するか消失して破滅する。トリシュナー

じゃあ恋しちゃいけないのかっつって、子供に禁欲を強いたりすると当然ながら摂理に反するものだから人格がゆがむ。子供に限らず、これが達成されないと結構に辛い目に逢う。とくに人生の後のほうで後悔したりする。年取ると疲れて本能に素直になるってのもある。だから恋(とその結果)が必要。子供を持たなかった後悔もやはり先に立つものではない。後悔あとにたつ。

◆恋の全てを神聖視すること

「恋は素晴らしいものだよ」という言説があるんだが、ちょっと変。

恋に含まれる性も承認も快楽をもたらすものだ。恋は麻薬を含んでいると言ってもいい。

恋を喧伝する姿勢には大きく二種類あって、以下のように分類される。

  • 恋ってドキドキしていいよね
  • 恋って尊いものだよね

上はいい。正しい。でも下のはちょっと同意しかねる。種を保存するために必要な要素が恋の性。恋をすると気持ちいいのは、「恋をしても気持ちよくない」と交尾へのポテンシャルが失われて、その種が滅ぶからだ。人間が、っていうか生物が生き延びているのは恋が気持ちいいように遺伝子に組み込まれているから。恋が気持ちよくなかったんだとしたら、人類滅んでます。恋は気持ちいい。気持ちいいものは、ひとまず暫定的に良いものとされる。

恋は「尊い精神活動」ではない。恋は自然。水が低きに流れるのと同じ。

少女漫画で恋が主題になるのは、生物のさがとして恋が気持ちいいから。それはオッサン漫画で酒と肴が出てきてうまそうなのと同じ。

そして、それが行き過ぎると単に気持ちいいってだけなのに崇められてしまう。アルコールもマジックマッシュルームも神性と紐づけられてきた。

気持ちイイことってなんとなく後ろめたいから、それをする理由とか合意とか集団決定が必要になってくる。「いい…よね?」「うん…いいと思うけどなー個人的には」「えー?そう?うん…まぁいいんじゃない?」「だよね!いいよね」「あー…いいよね」「いい!」みたいな。

お前らもさんざん見てきたように、恋は取り扱いを間違えると社会のみんなにボコられる危険物質でもある。だけど集団決定は大分前に完了していて、それがなされた環境で生まれたワイたちは当然ながら恋をいいもの、神聖なものと思っています。

そもそも「恋が時に悪い結果をもたらす」というのは社会のせいだったりする。「二股」とか「不純異性交遊」とかいうけど、人間も動物ですから、繁殖するのに良いも悪いも本来ない。社会秩序を守ろうとして生殖相手の人数やら年齢に縛りをかけ、その結果として社会を縮小させているのは滑稽だ。規模が小さくなるだけならまだしも、社会の多様性を損なっている。

話が逸れたけども。

※不倫は性行為が問題なわけではなくて、他者を裏切るという性根が問題。あるいは、関係をちゃんと切ることができていないという姿勢が問題。だから不倫するのは「真摯じゃない人」であるという認識は揺るがない。

◆性を達成すること

恋に含まれる性はどのように達成されるか。

交際して性行為して子をなし、つがいとして子孫を養育する。

承認が混入すると様相が変わってくるが、性だけで言えばとりあえずそんな感じ。

知らず知らずのうちに俺らは恋する方向に操られていて、つまり女性の化粧とか煽情的な服、香水、宝飾などがそれで、男でいえばあの止めどないムラムラのこと。本能的、生物学的にそうせざるを得なくなっている。女性は誘引し、男性は誘引される。

◆承認を達成すること

相手から承認を欲しがってしまう「焦がれ」を達成すればいい。承認が達成されると安心したり熱が冷めたりする。手に届く範囲にあるものがどうでもよくなるアレ。

「存在の肯定」が承認。恋で言えば、他人から存在を承認してもらうこと。他人を承認してあげたくなること。

ペットを飼うと婚期が遅れるという噂が実しやかに囁かれているのは、犬という「他の生き物」が自分を承認してくれるからってのもあるんだと思う。知らねぇけど。

◆破局

恋で関係を運用すると、例えば「相手が性的に魅力的では無くなった時」「より性的に魅力的な誰かが現れた時」「自分が相手を承認しかねる時」「相手が自分を承認してくれなくなった時」「より自分を承認してくれそうな誰かが現れた時」に破局する。

あとは気分で破局する。

◆恋の終わった先

恋の先に愛があるわけではない。地続きじゃない。それぞれ独立してある。

じゃあ恋のドキドキ供給量が減って途絶したら二人は別れるしかないのか。

そうじゃなくて、「絆」「情」というものが発生する。したでしょ?

これらもおしなべて良いものっては言いきれねぇんだけど、相手の知能が低い場合、絆すだけで関係を継続することが出来る。愛なんて手間のかかるものは不要だ。だから「愛する能力に欠けている」「愛される能力に欠けている」という自覚症状のある患者さんは恋というボーナスタイムのあいだで絆を構成する必要があると。

逆の視点からしてみれば、クズが繋ごうとしてくる木綱から逃げなければいけない場面もあろうよ。絆はお前と人を繋ぐもので、繋ぐ以上、お前を束縛するものだ。

◆愛を達成すること

愛の達成には「愛される」と「愛する」の二つの基準がある。

両想いが望まれる恋と違って、愛されることだけを基本的にみんな望んでいる。でも愛されるだけで満たされるなんてことは当然ながら有り得ん。自分が相手を愛して初めて満足されるものだ。それは「相手から愛されていて自分が相手を愛していない」状態を想像すれば容易に分かる。

お前らまだ恋と愛をごっちゃに考えていることと思うんだけど、愛の相手はなにも異性に限った話ではない。逆に恋は異性以外にない。例外的に、誰にでも起きる遺伝情報のコピーミスがある特定の箇所で発生したりだとか、後天的な幸/不幸によって同性愛がスペクトラム的に発生する。

関係ないけど、「同性愛」って言葉、「同性恋」じゃね?と思う。

愛を貰おうとする活動は悉く失敗する。それは、社会にはそもそも愛が転がって無いからだ。愛が発生するのは、誰かが無から愛を創出して捧げているからです。愛弱者はそこんところを理解していない。愛をくれない人に自分から先んじて愛をあげることが肝要。

愛が真の意味で達成されるのは、相手が愛を受け取ってくれて食べてくれて笑ってくれた時。

◆つまるところの恋と愛の違い

恋は、最終的に相手に何かしてもらうのを望むこと。恋は、相手に変化を望むこと。

そのための努力がある。

愛は、自分を捧げること。愛は、自分の持っているものを渡すこと。愛は、自分が相手の為に変化すること。

愛で結果的に相手が変化することはありうる。愛に強く感応する人は、むしろ愛でしか変化しないなんてのもある。極端な頑固野郎だけど、そういう手合いもいるのはいる。

◆恋の依頼、愛の依頼

「性」「承認」のどっちかが動機になって、他人に恋を依頼することになる。

「つきあってください」という言葉。これに返すべき言葉は「かしこまりました、プランをお選びください。」だろうと思っている。

現代日本に生きている彼/彼女らは、生態を詳しく知らない人間とでも愛を誓って添い遂げたがる。恋という猶予を与えたがらない。「私の人格を承認して永続的にお前を独占させろ」から始めようとする。無茶苦茶だ。それは認識齟齬とか取り返しのつかなさによって悲しい恋の話を発生させる。

だから提案したいのは、恋に期間を定めること。契約すること。

例えば、車のレンタルサービスがあったとして、三か月契約して、継続するかどうかをまた三か月後に考えあぐねて決定するじゃないか。その車がとてもいいものだったら購入するだろう。

恋愛がそれと同じような仕組みだったら結構キレイに回るんだと思う。

でも「恋はロマンチックなものである」という思い込みから、無用に面倒なことになってドロドロのグズグズになって人が泣かされたり人を泣かせたりしますわね。

◆恋と愛の達成度

人生に於いて「恋」と「愛」それぞれの達成度をどの程度にするかっていう話になってくる。無論どっちも達成しないという生き方もあり。他の欲求を消化してカバーできたりするから。

何が言いたいのかって、「恋だけ達成してどうなるの」ということ。愛もあるってことを認識してないとこけるよ。認識していない人が居る。愛を知っているにしても愛を与える重要性について軽く見ている人が多い。

恋と絆だけじゃ関係は折れてしまうよ。

◆運命

運命というものがあって、赤い糸というものがあり得る。という事をあまり信じてないんだけど、ドリカム聴くと「あぁ…あるんすね(落涙)」って感じする。説得力がありすぎる。

実際は知らねぇけど、少なくとも概念としてあり得る。

一緒に居るだけで楽しい、嫌なことがあった日でも、一緒にいられたら嬉しい。すごい気がきく。優しい。笑顔がキュート。趣味が合う。守ってくれる。博識。プレゼントとかしてくれる。紳士的。服のセンスがいい。お金持ち。清潔。常識がある。

あのね。それは詐欺師です。そんなひとが都合よく顕現してお前みたいなクソカスを好きになるわけないでしょう。お前が変われ。

◆なんで日本の恋が減ったか

とにかくみんな疲れてるから。娯楽が他にあるから。異性が面倒で絆が面倒だから。恋愛しようとした男が女に訴えられるのをよく見るから。ポリアモリーでもないのに色々手を出している人間に対する嫌悪が恋愛に対する嫌悪にすりかわるから。

◆恋が薄れることに対する苦情

絆と愛で繋がっていて、かたや恋を求め続けていると関係が骨折する。

「あの恋がとてもよかった」という薄れゆく記憶をもとに、いま現在に恋の型を求め続ける。でも相手は「愛があればいいのでは」という頓珍漢なことを言いやがるもんだから、「なんでさ!」になるでしょうね。

恋の型が書かれた書物を定期的に再読し、恋のときあったそれを供給したればいいのやも知れない。

◆恋や愛が失われること

恋は減衰する。愛は失われない。失われないっていうか、厳密に言うと愛はその時々で捧げるもの、捧げられるものだ。失ったってんなら受け取り損ねたってこと。

※もっかい言うけど俺の理解です。社会一般の理解ではない。

恋は熱で、熱だから過熱しないと冷める。

「もう私を愛してないのでしょうか?」という問いはおかしい。愛は在り続けるものじゃない。漂っているものではない。「これから私に愛をくれなくなるのでしょうか?」が正しい。正しいっつーか姿勢は間違えてる。自分から愛を捧げてない癖して先に「俺に愛を捧げろ」とか口約束を取り付けようなんて浅ましい。

「もう私に恋してないの?」は正しい。恋はその辺に漂っているものだから。「もう絆はないの?」も正しい。絆は両者の間に形成されるものだから。

一度もらった愛に関しては、大切に温めることが可能だ。「愛し返してやる」という「愛意(造語)」とでもいうような思いが発生するものだ。愛を感知する相手を愛せたのであれば、対象の絆や恋を強くする効果もある。

恋が壊れる時によくある「俺は〜をしてあげたのに」「~をしてくれなかった」という思いは「自分は人を愛する能力が無い」あるいは「愛を受け取れない人間を選んだ」という無能の自白だ。絆されて判断を誤った末に誰も幸せにならない未来に労力を割いたマヌケだという証明。

◆スキ

何かを好ましいと思う事。相手は異性とも限らんし、人とも限らない。生物とも限らない。物体とも限らない。

スキには深さがある。浅いと、自分を充足するためのスキにしかならない。

あなたのスキは…本物?」というのはそのことを言っていて、つまり「逃げ」だとか「快楽」のスキになってしまってないかという話だ。

偽のスキは「求めるだけのスキ」。そのスキで貰った物、奪った物は、いつか冷えて貰ったことを忘れる。冷えるからずっと欲しくなる。次が欲しくなる。そして、奪いすぎて貰えるものがもうなくなってしまったときに、「スキだった」ものに失望する。

(ちょっと難しいこという。)仕事がつまらないのは、仕事に関わるなにも愛してないから。「金をくれ」つまり「欲するスキ」しか思ってないから。人生がつまらないのは、自分に関わるなにも愛してないから。今あるものに感謝もしなければ目も向けずに欲しがってばかりだから。自分の感情(快楽)も労力も時間も金も捧げないから。その手になにも残ってないのは何も愛さなかったから。スキが失敗することを恐れたから。本物のスキに値しないのではと疑ったから。本物のスキを面倒くさがったから。偽のスキを本物だと無様にも勘違いしたから。

本物のスキは、そのスキの対象が無くなったとしても沢山の物を遺してくれる。いまそうやって独りぼっちのお前を焦がしている「スキだけど手に入らなかった」の気持ちは、ただの「中途半端なスキ」だ。本物のスキはお前を独りぼっちにしたりなんかしない。

本物のスキの良い部分を強調したんで、それを欲しく思ったかもしれない。しかしながら良い話だけでは済まない。本物のスキは(欲するスキと違って)安全圏から手を伸ばして得られるものではないし、自然に発生するものではないし、誰かから恵んでもらえるものでもない。本物のスキは、お前自身をお前の手によって不確実性の嵐に飛び込ませるものだ。お前の本物のスキはお前に何かを要求する。スキなだけじゃ済まされない。一長一短。

「欲するスキ」だって悪いものではない。縁を繋ぐものだ。過度に欲しがり過ぎるとヤバいよというだけ。

「欲するスキ」でやらかした例としては、FF15の板室紗織だな。「ファイナルファンタジーが好き」「ファイナルファンタジーにのめりこんでいる」んだけど、愛してはいなかった。欲しがっていただけなのに作る側に回ったもんだからそりゃ失敗する。自分を捧げる覚悟無しに身勝手なスキでファイナルファンタジーに「自分の望む変化」をさせようとしてしまった。尽くさなかった。

◆アイドル

恋を集めて絆で絆したら、それを金にしてメシを食う職業。愛が無いので愛の説明をするにあたって分かりやすい教材だ。

アイドルは文字通り偶像だから、愛そうにも無理。愛した時点でアイドルはアイドルじゃなくなって個人(あるいは個人の集合)になる。

恋させたらもうあとは金を絞ればいいし、絆を強くして絞るんでもいい。

アイドルはファンから愛されない。恋される。ファンもアイドルを愛せない。恋する。アイドルはファンに絆をつける。プロとして、アイドルはファンを「ファン群」の一部分として捉えなければいけない。そこを破るともはやアイドルではない何かになる。

近くにいる人には承認してもらえねぇし自分で自分を承認できないから分かりやすく承認してくれそうな人を探しているし、性的にムラムラするのが生物の性である。だからアイドル(偶像)が必要になる。アイドルはファンにとって都合のいい虚構を提供してくれるから、ファンは勇気を貰える。

アイドルに対する労力や支払いは個人に対するものではない。アイドルに対するものだ。偶像に注力して自己を忘れ去るための儀式。プロ意識の無いファンはそこを見誤って、アイドルを個人として見るだろう。

◆「愛してる」という言葉

変と言えば変かもしれない。「愛してるなう」の意なら分かる。でも「アタイはアイツを愛してる」と心で思ってるのはおかしい。なぜなら、相手の意識とか尊厳が不在だから。相手の枠組みで物事を認識し、相手の幸福のために自己を捧げることが愛だ。自分が勝手に愛してると感じるってどうなんだろ。それは単に「すごいスキ」なんじゃなかったか。

意味は伝わるし、そこまで厳密に言葉を使う事もないんでしょうけど。

◆愛を受け取る能力

人を愛したことがないと、愛を受け取ることは難しい。

「愛をあげようとして失敗した経験」「愛じゃないものをあげてしまって後悔した経験」「受け取ってもらえるのか分からない愛を他者に与えるという勇気」「愛を渡したいという、あの動機というか祈りみたいななにか」とか。その辺を知ってないと、愛をもらってもその重さなんてわっかんない。愛を計り損ねるもんだから愛が足りないと思って欲しがる。もっと悪いと愛を貰っていることにも気づかずにわめく。これはもう…ドンマイとしか言えませんわ。

ただ、人生を目覚めさせるような愛の経験もまた有り得る。愛についての気づきを得るような、人を愛さねばならぬという天命を確信するような体験。けど普通に生きてたら難しい。気づきだから、頭がいいとか正義感が強いとか金を持ってるとかが関係無い。運と縁と注意力。

◆諭される愛

宗教家が愛を語るようなこともあるんだけど、それに付き従っている間は人を愛しきれない。なぜなら愛は自発だから。誰かに褒められたくてするものではない。誰かに愛されたくてするものでもない。誰かが見張っているからするものではない。「この人を愛しましょう」と強制されるものでもない。誰かから聞いたことをするものでもない。「こうすれば愛だよ」というテンプレートがあるわけもない。諭されて愛するものではない。単に愛したくて嵐に飛び込まざるを得なくなるのが愛だ。

その辺に転がっている知らない誰かを適当に愛するのが愛の至高だ。なんら神聖なものではないし、手の届かないところにあるものでもない。実生活でこなせること。

「愛する能力」は孤独を消し去るし個人の力を強めるものだから、絆を求める以外で宗教に関わる必要も無くなってしまう。

でも「愛っぽいこと」を模倣するのは良いと思う。しないよりも。

◆愛されるおそれ

別に愛の人はお前からの愛を求めているわけじゃないから、愛されてればいいじゃん。ビビらずに、強がらずに貰え。

「愛されてる~ダッサ~」みたいなことを言われるかもわからんが、愛を受け取り切った時の充足感に比べたら本っ当に些細なことだ。

愛はその時々の単発だから愛の人と絆を構成する必要もない。面倒なことはない。ただ、お前のもらった愛はお前にとって特別だったのかもしれないが、愛の人は愛を配って歩いているような人間だから、そこに絆(友情)や恋を期待をするな。

愛はただの人間愛。絆したいとか恋したいんなら別の手を使って引きずれ。愛の人は当然だけど愛に感受性があるから、そこをつつけば堕ちる。し、愛に報いるとご満悦になる。報いるっつっても金だとかスケベで報いるとドン引きされるだろうから、そういう即物的な感じじゃなくて、なんかうまいことやれ。

なんでドン引きするのかって、お返しを求めていないからだ。金やスケベで愛の代金を支払おうと試みるのは「お前さー。マジ良い子ぶりやがって。本当は返礼品を求めてるんだろ?」という罵倒を愛の人にするようなもの。せっかくあげた愛がその場でビリビリに破かれたような気持ちになる…のは別にいいんだけど、「この人に愛をあげることはできないんだな」と思うんです。それがさみしい。

お返しいらないです。返そうとしないで。何もあなたから奪うつもりはない。ありがとうと言って笑ってくれればそれだけでいい。寝るときに思い出してニヤニヤできるから。

返したいんなら別の人に返せ。巡り巡っていつか愛の人に届くのだから。愛をあげた人が他者に愛のない行動をしているとヘコむし。

愛を貰った直後はお返ししなければと焦るかもしれないけど、落ち着け。当人に返すな。

あ、俺には是非ともスケベな感じでお願いします。俺はスケベで身勝手で年がら年中発情期な女の子が大好…ん、あっ。いやっ違います。僕はホモじゃないです。あ、あぁっ!!触んな!あああ!あ゛あ゛あ゛や゛だ゛あ゛あ゛あ゛!!

~完~

◆婚姻をどうするか

相手を愛せるのかどうか。恋だけじゃないか。絆だけじゃないか。

恋と違って絆は残り続ける。俺たちの判断を鈍らせる。愛せない人とも絆されてしまう。

幸せになりたいんであれば、スキが本物であるかどうか考えるべき。でもそんなこと言ってると繁殖してくれなくなっちゃうから大きな声では言えないよね。

◆あなたを愛します

ペッシかおのれは。

「ブッ殺す」…

そんな言葉は使う必要がねーんだ

なぜならオレやオレたちの仲間は その言葉を頭の中に思い浮かべた時には!

実際に相手を殺っちまって もうすでに終わってるからだッ!

だから使った事がねェーッ

(中略)

「ブッ殺した」なら使ってもいいッ!

プロシュート

うん。「ブッ愛した」なら使ってもいい。

◆詐欺

その辺に吊るされている愛は詐欺だから拾ってはならない。あからさまに愛してくれそうな人に近づいてはならない。愛はそんなわかりやすいことない。愛の人は一見してそうとわからない。逆に愛がないように見えるかもしれない。潜んでいる。お前の知っている「いいかんじっぽいひと」の背後を意識したか。表面しか見ていないんだよお前は。認識を改めろ。

だから、探すんじゃなしに何度も言ってるけど自分で愛を作れと言っている。貰うのもそりゃ気持ちいいんだけども、渡すのがなにより楽しいし意義のある事なんだから。

◆愛情

たとえば親から子への愛。愛情。どっちかっていうと人間性よりもホルモンバランスとか脳の化学反応が影響してくるものだ。

人間性からくる愛は人物を特定する必要が無い。逆に、愛情は人物を特定する。例えば自分の子供であるだとか、理由がある。

◆結論

疲れた。

いやもう何だこの長文。病気かよ。考え過ぎでは。バレンタインデーの翌日に間に合わせようと思ったんだけど、書くのも仕上げるのもメッチャ時間かかった。

ちょっとズタボロだからいずれ直すかもしれん。ごめん。

でも、このへんをわきまえてるとちょっと生きやすいよね。不満が減ると思うよ。大抵は自分が何かを愛せていないだけなんだから。