※思っただけの話。

◆よわいもの

自分より弱いもののほうが好きです。

草とか猫とか犬とか。そういうものを可愛がりたいと思う。弱っているひとも好きだ。手をかけてやりたくなる。

というのを無意識的に思っていたのだが、これは何か、一種の「思い上がり」なのではないかと思った。

「うまくこなせる自分」がいて、草とかが自分を頼って育つことが心地よい?という感じ?

と思えど、対人間では違っている。ちょっかい出したら後は「あとは自分の力でなんとかすんだよバカヤロウ」ってほっぽりだしつつ、気になって見守る感じのアレだ。依存はさせたくない。でも頼られたさはあるように思う。

末っ子だからだろうか。

というか、犬でも別に歯向かってくれていいなと思う。あんまりこうずっとベタベタしてしまうのも違うし、服従されるのも違うし、でもモフモフしたい。

犬って言ってんのも、ペットショップで買うんじゃなくて動物愛護センターとかで死にそうになってたり人間不信になっているようなヤツのことだ。そういう面倒くさい状態のをモフモフにしたい。マイナススタートをプラスに持っていきたい。

つまり、コマが回っている状態にしたい。コマが倒れていたら、それを起こして回してあげたい。コマからしてみたら余計なお世話かもしれんが。

コマが回ったんなら邪魔にならんようにそっと離れて、次の倒れているコマを回したい。

だから、俺は倒れているコマが好きなんです。

いやでも「このコマ倒れるんじゃないだろうか」って、こっそりおせっかいを差し込むのも好きだ。

さっき「思い上がり」っていったけど、逆に無力感を感じることのほうが多いな。「なんでこの人がこんな大変な思いしているのに俺は助けられないんだっけ」みたいな。思い上がりたいんだろうな。最強になりたい。最強の覆面レスラーになりたい。

◆つよいもの

自分より強いもののほうが好きです。

強いってのはつまり…

まぁいいや。強さが好き。

いやちょっとまて。弱さも好きだ。強くあろうとするのも好きだ。

あぁ。好きなものだらけだ。

でも強さを勘違いしているのは嫌だ。強くなりたがるのも嫌だ。

強い人は、使命をもって戦っているから好きだ。

使命を持たずに、どうやってか強くなろうとするのは嫌だ。使わない力を貯めこもうとするのが嫌だ。人を従えようとするのがいやだ。従う人も嫌だ。それら全ては強さと関係しない。曲がったときに折れてしまう。

◆マイナス

弱いものが嫌いだったり強いものが嫌いだったりする人がいるな。

というかもう「存在を許さない」くらいの勢いの時もある。

ある種の弱さではあるが、しかし弱さも強さも許されなくなったらもう世界は停止して崩壊するよなぁと思う。

弱いものが嫌いな人は、それを見捨てる。あるいは強くしようとする。いずれ弱いものが強くなるか、それか力を得ると、怯える。へりくだる。

力を得ただけなら大変だ。力があっても弱いままだから、自分を虐げたものに仕返しをしたくなってしまう。

弱さを認めて貰えなかった人は、弱さを隠そうとする。嘘をつき始める。自分を壊して逃れようとする。壊し損ねると力を得たりもする。

でもいずれにせよ幸福が関与する余地はない。なぜなら、人は強くなるために生まれたわけじゃないから。だから無理強いには意味が無い。

強いものが嫌いな人もいる。

「90点」の何かを「0点」にしようとする。「0点」を事実にしようと、現実を塗り替えようとする。あるいは、自分の所有物を脅かす何かから武器(となり得るもの)を奪おうとする。

逆に強いものから支配されることを望み、ひたすら強いものに不平を言い続けようとする。強いものを憎む状態を保持しようとする。

そして、弱いものが好きな人がいる。自分の正当性を主張して操ろうとしたり、相手を支配しようとする。自分の存在意義を弱いものに見出そうとする。自分の力を(頻繁に)確認したがる。自分の弱さ、罪を、より弱いもので消化しようとする。

強いものが好きな人もいる。強いものにぶら下がろうとする。強いものの下にできる城下町に住み、そのコミュニティに参加しようとする。城下町で地位を確立しようとする。自分の社会的意義を高めようとする。特殊な高揚感に浸って物事を忘れようとする。

大変だ。

◆結論

そして誰しも「弱いものが好きで弱いものが嫌いで強いものが好きで強いものが嫌い」なのだろう。

じゃあもう俺は雲のようになりたい。

いやなにそれ。なんの話だっけ。

まぁいっか。以上だ。