ウェザーリポートもいろんな解釈あるよなぁ
BUMP得意の物語形式の曲であるが、特に短編アニメーションのような曲。
情景描写を素直に受け取り、場面を想像しながら聴くのがよいのではなかろうか。
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※おことわり※
想像で補っている部分がかなり多い。「自然に考えればそうなる」による妄想を使いまくっている。一つの解釈としてとらえてくれ。
前提条件を整理してからのほうがわかりやすいと思うからそうする。
各説明については歌詞をさらう中で触れていく。
<場面>
学校から一緒に下校する二人。おそらく小学生。
雨が降っていたが、曲の歌いだしの時点で雨は上がって、空は晴れている。
<登場人物>
・主人公
小学生だと思う。
「あなた」の友人であり、いつも一緒に下校している。
日中、「あなた」がある人物に傷つけられた場面を目撃した。
そのことについて「あなた」を励ましたいと思っているが、きっかけがない。
また、そのことについて触れることで「あなた」の心の痛みを知ってしまうことを恐れている。
「あなた」がどんな心情であるのかを測りかねている。「あなた」はどうしてもらいたいんだろう、どうしてあげるのが正解なんだろうと思っている。
・あなた
主人公の友人である。
常日頃明るい子で、辛さを表に出さない人間である。
日中辛いことがあり、泣きそう。呼吸しただけで泣きそうだし、歩くだけで泣きそう。
だが、泣くことにより主人公を困らせたくないと思っており、我慢している。(無意識的に?)
・傘
ビニール傘等の透明な傘ではない。
下校直後は雨が降っていたため、主人公と「あなた」は(下校しながら)相合傘をし、色ふみ遊びをしていた。曲の開始時点で雨は上がっているが、「また明日じゃあね」するまで、主人公と「あなた」は相合傘をしていた。
傘の柄を離したら負けの「色ふみ」遊びをしていた?
雨上がり差したまんま 傘がひとつ 決まり通り色を踏んで 濡らした紐靴
雨が上がってるのに傘をさしている。なぜだろうか。
靴が濡れるのもお構いなく、色ふみ遊びに興じている。
マンホールはセーフね 帰り道で いつも通り傘の中 笑顔がふたつ
色ふみをしているのは二人で、何かの帰り道であることがわかる。
色ふみしてるんだから二人が小学生であり、下校途中であることが推測できる。推測だけど。
「傘が一つ」で「傘の中笑顔が二つ」であるため、相合傘をしていることがわかる。
つまり、相合傘をしながら色ふみをしている。
この色ふみのルールとして、マンホールはセーフである。つまり、「色関係なく踏んで大丈夫」とか「両足で踏んでも大丈夫」とかかな。
マンホールは安全地帯である(大こ二)
何も言えないのは 何も言わないから あんな事があったのに笑うから
「あんなこと」があったことに言及される。
「あんなこと」は笑えない話であり、「あなた」はそれでも笑っている。
「あなた」が「あんなこと」についておくびにも出さないから、主人公も何も言えないでいる。
主人公は「あんなこと」があった「あなた」を気にかけている。
あなたのその呼吸が あなたの心はどうであれ 確かに続く今日を 悲しい程愛しく思う
「あなたの心はどうであれ」で、主人公が「あなた」の感情を測りかねていることがわかる。
もしくは、「あなたに辛いことがあったとしても」と言う風に読むこともできる。
「あなたの呼吸が確かに続く今日を悲しいほど愛おしく思う」はつまり
「あなた」が生きている日常、「あなた」と一緒にいられることを嬉しく思っているということ。
「あなた」の呼吸≒命について言及しているけど、「あなた」に命の危険は無かったと思う。自殺とかもないと思う。
つまり、主人公は「あんなこと」が起きた「あなた」に深く感情移入し、悲しい気持ちになった。感情移入すると人は対象を愛おしく思う(逆に、愛おしく思うとより感情移入するようにもなる)。
以上から「『あなたの呼吸が確かに続く今日』を愛おしく思った結果として悲しくなる」という図式になる。
と言う風に、言葉で破綻なく説明することができるんですけど、100%説明できたかと言うとそんなことはない。
やっぱり歌詞全体を理解し、登場人物に対して感情移入するしかない。
説明できてるけどぜんぜん説明できてないなと感じるわ。
いつもより沈黙が 耳元で騒ぐ 次に出る言葉で 賭けをしている様な
「あんなこと」があって、「あなた」は何も言わないから、沈黙が怖い。何となく気まずい。
「賭けをしているような」と言うのは、単純に言うと「次の言葉をどうしようか迷っている」と言う意味。
加えて、「賭け」だから勝ち負けがある。主人公は、変なことを言って「あなた」を傷つけてしまうことを恐れている。主人公は「あなた」の気持ちを知ることはできないが、「あなた」は何も話さない。自分から仕掛けるか、相手の出方を待つかについても迷っている。
賭けみたいだぁ・・・(直喩)
夕焼けに差したまんま 傘がひとつ
俺が「短編アニメーションっぽいな」と感じた表現の一つ。
この曲は情景が極めて重要な曲だと思う。歌詞内で提示された情景を積み重ねて次の情景を想像していくとより感傷的になっていくような。
ここの歌詞は、直接的に感情を表現しているわけでは無い。だけど、例えばアニメーションのように「夕焼けに差したまんま 傘が一つ」のカットがあれば、雰囲気作りに非常に有効だと思う。
見慣れた横顔 初めて見た様な
普段からみなれている「あなた」の横顔がなんだか違って見える。
「あなた」の表情が違うわけでは無く、「あんなこと」があっても笑っているあなたを見て、今までたくさん見てきた「あなたの笑顔」に対して遡って意味付けされたような状態。
主人公は、「見慣れた笑顔の裏には今日みたいなことがあったんではなかろうか」と感じている。
傷付いたその時を 近くで見ていた この目の前でだって 笑おうとするから
主人公は「あなた」が「傷ついたその時」にその場で見ていた。また「あなた」は主人公が「自分が傷ついたその時」を見ていたことを知っているはずである。そして主人公はその事案に対して直接的に関わっていないことがわかる。
例えば主人公が「傷ついたその時」を近くで見ていなかった場合、「あなた」が主人公に対して感情を隠す理由は何となくわかる。だって話しても主人公が困るだけなのだから(本当のところはそうではないのかもしれないが)。
だが、主人公も「傷ついたその時」を知っているのだから、そのことに触れないで笑っているのは非常にいじらしい。という表現なんじゃないの?
そして、「傷ついたその時」、主人公はちょっと頑張れば「あなた」を守ることが出来た。が、何らかの理由で期を逃してしまった。「あなた」は確かに困窮していたはずだが、味方になれなかった。でも「あなた」は主人公を責めることはしない。
って感じかな。心がザワザワする。
「この目の前でだって笑おうとするから」の「から」は「初めて見たような」にかかっているようにも感じられるし、繋がる言葉を探さなくてもいいような気もする。
繋がらない言葉を言葉にすると「この目の前でだって笑おうとするから」「いま僕はこんな気持ちになっているんだ」というような具合か。
あなたの その笑顔が 誰かの心を許すなら
「誰か」の登場。
「あんなこと」において「あなた」が「傷ついた」原因になった人物であろう。
「アイツ」でなく「誰か」という言葉を使っている意味は、歌詞の純粋さを保つためであろう。
何を言っているのかと言うと、たとえば「誰か」を「アイツ」にしてしまうと「アイツ」について触れないといけなくなってしまう。結果として登場人物が三人になってしまう。
この歌詞の主題は主人公と「あなた」の間にあることについてだ。「アイツ」という言葉が混ざってしまうと、主題が揺らいでしまう。
あえて「誰か」とすることにより、「アイツ」への憎しみよりも「あなた」の悲しみに関心があるということを表現している。
俺が勝手にそういう解釈をしただけなんだけど、すげーセンスだ。
せめて傘の内側は あなたを許して どうか見せて欲しい
「誰か」を許せるなら「あなた」自身のことも許してほしい。と言っている。
「傘の内側」は物理的な話と心情的な話の二つについて言及していて、つまり主人公は、物理的にそばにいて、心理的にも近い距離にいる僕に感情を打ち明けてほしいと感じている。
んだけど、本来傘は一人で使うものだよね。
「あなた」が一人で傘の内側にいる時は、感情は隠されていないと思う。でも、いま主人公は一緒に傘の中に入っているのだから「ついでに見せてはくれませんか」と言うような感じのニュアンスもあると思う。
「あなたを許して どうか見せてほしい」の解釈の方法が二種類ある
①「どうか」「あなたを許して」「みせてほしい」
②「あなたを許して」「どうか」(感情を)「見せてほしい」
だね。
俺は②だと思う。
まず、国語のルール的に「許して見せてほしい」はおかしい。この場合の「みせて」は補助動詞であるから、ひらがなで「みせて」と表記しなければならない。
あと、「許して、どうか見せてほしい」はおかしい。歌詞っていうのは往々にして言葉の順序を入れ替えることがあるが、それにしても「どうか」をここには挟まないだろう。
また、「許してみせてほしい」っていうのは、不適切だ。なんというか、上から目線だ。主人公は「あなた」と感情を分かち合いたいのだからそんな物言いにならない。勝手に「自分を許す」というハードルを「あなた」に対して設けて、「越えてみせろ」と言わんばかりだ。
②は少し根拠にもとるけど、破綻がないし、前後の歌詞を考えると自然。なぜなら主人公は「あなた」の感情に触れたいが「あなた」が何も言わずに笑っていることにより触れられない状態であるから。
触れないのが思いやり そういう場合もあるけど
「あんなこと」についてあなたを励ます事が、思いやりだとは限らない。
そっとしておく優しさと言うのもある。
と自己弁護しつつ、「そういう場合もあるけど」と否定でつないでいる。
我ながら卑怯な言い訳 痛みを知るのがただ怖いだけ
「あなた」の「痛みを知るのが怖い」から、そこから理由を考え、「触れないのが思いやり」と言うのを考えついたんだ。
と、自分の卑怯な言い訳について責めている。
「痛みを知るのが怖い」の意味がわかるだろうか。
「あなたを泣かせてしまうのが怖い」ではなく、「痛みを知るのが怖い」と言っている。
例えば、お前の大切な人が悲しんでいるとき何が起きるか。
心の作用により、なぜかお前も悲しくなるはずだ。
そして人間は「悲しい気持ちになる」択を自然に選ぶことはできない。
なぜなら悲しくなるから。だから俺たちは無意識のうちに悲しまない方向に向かって生きている。
主人公は「あなたの感情を知る事で自分も大きな悲しみを背負うことになる」
ということが末恐ろしい。あなたのことをとても愛おしく思っているから。
愛おしく思っていれば思っているだけ、「あなた」の痛みは自分にとって辛いものになる。
どれほど悲しくなるのか想像すらつかない。言ってしまえば心の話でしかないが、「体に傷を負う」のと同じくらいに恐ろしい。
ましてや主人公は子供だ。その自己愛と情愛の葛藤を!歌っとるんですよ!
泣いちゃうだろ!
最終下校時刻の チャイムが遠く 車屋の前の交差点で また明日 じゃあね
「最終下校時刻のチャイム」は、情景描写であるとともに「時間切れ」を表している。主人公は「あなた」を救う前に「じゃあね」してしまった!
順を追って見ていくと
・主人公は「あんなこと」があった「あなた」の力になりたいと、心の底から思っている。
・「あなた」はそのことについて触れずに笑っている。
・雨上がり、夕焼けの中歩いている。「じゃあね」するポイントが迫ってきている。
・どうしようか、どうしようかと考えを巡らせている。
・最終下校時刻のチャイムが遠くに聞こえる。
→気持ちが張り詰めている主人公は、チャイムを聞いてほーんのちょっと「ドキッ」として「あぁ。お別れの場所に来てしまった。」と思ったんじゃなかろうか。
・そして「また明日」「じゃあね」
俺だけかもしれんが、
自分が不幸な時って、自分と関係なく日常的に繰り返されるものにちょっとイラっとするよね。「なんで俺が腹壊してんのに皆普通の顔してるんじゃ!」みたいな。
遠くに聞こえるチャイムは、主人公の気持ちと関係なく決まった時間に鳴る。それがなんか、「イラっとする」じゃないけど「心に引っかかる」ものがあると思う。いつもなんの感情もなく「最終下校時刻のチャイム」を聞いているんだけどね。
そういう時に聞くチャイムって長いぞ。
「キンコンカンコン」*4だからね。そのチャイムが鳴り終えるのもなにかタイムリミット感があるよな。
国道の川を渡って やっぱり振り向いたら
(車屋がある)交差点のある国道を渡ってるんだから、それなりに道幅のある、信号のある横断歩道を渡ったんだろう。
・「川」ってなに?
①川。
②色ふみ遊びに関連して、国道を川に見立てている
これは、②かと思う。全く自信はないけど。ほかにも解釈あるかも。
①が想像つかないんだよなぁ。車屋の前の交差点で、川の上にかかる国道?
でも②だとするとちょっと説明が足りていないような気もする。よくわからんから放置で。
「やっぱり振り向いたら」の「やっぱり」は「帰ろうと思っていたけど、やっぱり何かしてあげたい!」という気持ちの「やっぱり」。
主人公は、もう、いたたまれなくなった。
「卑怯な言い訳」を続けたとしても誰も文句は言わない。だけど、もうやめた。だって絶対に悲しいはずだから。ひとりのまま悲しい気持ちになるのはもっと悲しいから絶対に駄目だ。
この決意だけでご飯三杯は泣ける。主人公の「気付かないふりしてごめんなさい」って気持ちが伝わる。謝りたい気持ちがわかる。
マンホールの上に立って 傘がくるくる
全俺が泣いたわ。
何が起きたかを整理する。
・なぜか「あなた」は立ち止まっている。
・傘がくるくる回っている。なぜか傘をさしたままである。
・マンホールの上はセーフ(安全地帯)である。
・主人公の位置から「あなた」の顔は伺い知れない。
以上の情報と、後に出てくる歌詞から、「あなた」は泣いていると言える。
①まず、なぜマンホールの上で立ち止まっているのか。
それは歩き出すことができないからである。主人公と別れたあと、そのまま歩いて帰ればいいのにそれができないのは、泣いてしまったからである。今までの色ふみ遊びで「セーフ」のイメージが付加されているマンホールの上で、立ち止まっている。
泣くほどの事じゃないなら、つまり落ち込む程度の事ならわざわざ立ち止まらん。
②なぜ傘をさしているのか
今まで泣くのを我慢していて、ついに泣いてしまった。そんなときに傘を畳むのは難しいことだと思うんだが。
③なぜ「傘がくるくる」しているのか
辛いことがあって、それについてシクシク泣いているときって、例えばクッションをギューって抱きしめたりするだろ。「あなた」もそんな感じで傘を回しているんだと思う。
泣き方は、「うぅ~(泣)」って感じの感情まるだしではなく、少し悲しそうな顔をしながら涙があふれてくるような感じだろう。で、残りの感情でもって傘を回している。
「やっぱり振り向いたら」「傘がくるくる」を見てしまった。その主人公の気持ちを思うと本当に泣ける。心が膝から崩れ落ちるようなもんだろう。
この後のG. P.に託される複雑で痛烈な感情にブルっちゃうよ…
あなたの あの笑顔が あなたの心を隠していた
「あなた」は自分に笑顔を向けることにより、悲しみにあふれた本心を隠していたんだ。
ということに主人公が気付いた。気付いたというか、わかってはいたんだけど「マンホールの上に立って傘がくるくる」で確信した。確信したし、いてもたってもいられなくなった。
あの傘の向こう側は きっとそうだ 信号は赤
あの傘の向こう側では、きっと「あなた」は泣いてしまっているんだろう。
「信号は赤」っていうのは、「あなた」の「心の信号が赤」というか、国道を渡った後だから本当に信号が赤だったんだと思う。
「あなた」からしてみたら、主人公と別れたことによりやっと感情を開放することができたのだから、「赤信号の気持ち」ではない。主人公側の立場に立っても、泣いてる「あなた」の心の事を「赤信号」とは例えないんじゃないか?なぜなら赤信号は「停止」とか「不可」とか「待ち」のイメージだから、そぐわない。「危険」とか「急げ!」のイメージを与えたいなら「信号は黄色」になる。
短編アニメーションになぞらえると「傘がくるくる」をみた主人公は脊髄反射的に「あなた」のもとに駆け寄ろうとした。が、赤信号であり、車が行き交っているため国道を渡ることができない。「あなた」はまだマンホールの上に立って傘をくるくるさせている。主人公も泣いているのかもしれない。で、感情がごちゃごちゃしたまま赤信号で立ち止まらずを得ず、次のシーンに移行していく。
いままで痛みに触れないようにと行動してしまっていた。気まずい時間から早く逃れたかった。だけど、もう、痛みを知りにいかなければならなくなった。その覚悟は一瞬にして完了したんだけど、いざって時に信号が赤になってしまったもんで駆けつけることが出来ない。もどかしい。
あなたの その呼吸が あなたを何度責めたでしょう
「呼吸があなたを責めた」っていうのは、「あなた」が「生きていることに負い目を感じている」という意味ではない。
「あなた」が泣くことをグッとこらえていたということを表現している。
「あなた」は主人公を困らせたくないから泣くのをこらえていた。息をするだけで泣いてしまいそうだったけど、こらえていた。
泣くの我慢しているときって呼吸がみだれるよね。で、息を吸っているときは良いけど、息を吐き出すときは泣きそうになるよね。それ。
「主人公を困らせたくなかった」という「あなた」の思いと、「泣くまいよ」という強さ、そしてやっぱり泣いてしまうという弱さを感じて、いっぱい出た(涙が)。
それでも続く今日を 笑う前に 抱きしめて欲しい 抱きしめに行こう
「それでも」は「息をするだけで泣いてしまいそうになるほどつらいことがあっても」からのつながり。
「笑う前に抱きしめてほしい」というのは、他人の(ここでは主人公の)ために笑うよりも先に、自分のことを大切に想ってほしい。といった意味。だけどそんなあなたを悲しい程愛おしく思う。
「あなた」が「あなた」の事を「抱きしめてほしい」と主人公は言っている。
が、その次の歌詞で思い直して「抱きしめに行こう」と言っている。
主人公は「あなた」の感情が正確にわからないがゆえに、「あなた」からのアプローチあるいは自己解決を待っていたんだけど、「傘がくるくる」をみた今となってはもうそれを待つ必要はない。むしろ「あなた」が「自分を抱きしめる」ことができていないんだから、主人公が抱きしめなければいけない。
忘れてるかもしれないけど、まだ「信号は赤」で、今までの歌詞は主人公が立ち止まったまま「あなた」の事を見ながらいろいろ考えていたものである。
次の短い間奏の間に信号は青になり、主人公はあなたのもとに走っていったんだろうなぁー。という解釈。
車屋の前の交差点で ショーウィンドウに映る 相合傘ひとりぼっち それを抱きしめた
主人公は「あなた」を抱きしめた。物理的にか心情的にかはわからんが。
なんというか「相合傘ひとぼっち」を「抱きしめた」ような気がする歌詞だから、俺は心情的に抱きしめたんだと思う。
①単に「ひとりぼっち」を抱きしめたのかもしれんが、少女マンガじゃなくて現実世界なんだからいきなり抱きしめはせんだろう。ここまで慎重に積み重ねたリアリティが薄くなって話が陳腐化する。
②物理的に抱きしめられたんだとしたら、抱きしめられた方もびっくりするだろう。「うぉっこいつ抱きしめるんだ」みたいな。すでに感情は走ってしまっているんだから、抱きしめることは邪魔にしかならない。逆に抱きしめられた後に泣きだすとか、泣きたいけど泣けない人を抱きしめるんなら、それはわかる。
③すでに泣いてる人を抱きしめるって自己満足だ。抱きしめたほうが上位の立場になってしまう。同じ立場の人間同士が片方の悲しみを癒すためには、それを分かち合うしかない。抱きしめることは分かち合うことじゃない。抱きしめられた方は悲しみをぶつけるしかなくなる。相手も悲しんでくれているのかどうかわからん。なぜなら抱きしめているときは相手の顔が見えないから。顔を見ないと目を合わせることができない。
「傘を持つ手を握る」ぐらいが一番泣ける絵面かなぁ。
いや、そもそも泣かせることが目的の曲じゃないか。
「相合傘ひとぼっち」は解釈が難しいな。
①主人公がすでに「あなた」の傘に入っているため相合傘
②さっきまで主人公が一緒に入っていた傘だから相合傘
③「あなた」とショーウィンドウに映っている「あなた」で相合傘
①「ショーウィンドウに映る相合傘」「ひとりぼっちそれを抱きしめた」の区切りなら①になるんだけど、曲を聴くと「相合傘ひとりぼっち」が1セットになっていると思う。
「相合傘のひとりぼっち」なら①が1番強くなるがな。
②今は相合傘じゃないし、「相合傘ひとりぼっち」「それを抱きしめた」んだから、主人公は明確に傘の外に置いておかないといけない。
だから③だと思う。
ポエットな理解をしようとしたならば、「あなたの笑顔」と「あなたの本当の気持ち」の相合傘ってところだろうか。そして、そのどっちもが「ひとりぼっち」なんです。笑顔なんだけどひとりぼっちで、一人なんだけどバラバラで裏腹で二人ともひとりぼっちなんです。
自分で抱きしめた
前の歌詞の「それを抱きしめた」のが誰であるかについて補足している。
「それを抱きしめた」で終わってしまっていたら
①「あなた」が「あなた」を抱きしめているのを主人公が見ている
②主人公が「あなた」を抱きしめた
の二通りができる。
追加の「自分で抱きしめた」を入れることにより、主人公が抱きしめたことが明確化される。なぜなら、「(あなた自身に)抱きしめて欲しい。(僕自身が)抱きしめに行こう。」という歌詞が前にあるから。つまり「あなた」任せにしなかった と言う意味の「自分で抱きしめた」になる。
他の何かの意味にしたいなら例えば「自分を抱きしめた」になったりするだろう。
前の歌詞を「相合傘ひとりぼっち 自分で抱きしめた」にしてしまうと、主人公は抱きしめていないことになってしまいそう。「それを抱きしめた」のあとに「自分で抱きしめた」を重ねることで、そこに補足の意味が発生する。
それまでの歌詞で主人公の一人称が定まっていたら良かったんだがなぁ。多分意図的に一人称を使わなかったんだろう。
大きな問題が起きて、その解決はできていない。
でも、主人公と「あなた」が一緒にいれば、大丈夫だと思わせてくれる。明日からはきっと大丈夫だと思える。支えあって生きていくのだろうよ!
結論
いい曲
すげー泣ける。
匿名
相合い傘独りぼっちの解釈に悩んでいたのですがあなたとショーウィンドウに映るあなたが相合い傘していたんですね…盲点でした
匿名
綺麗事じゃない綺麗な歌詞
ほろよい
梅雨の合間の夕暮れにふと思い出して聞きました。改めて名曲ですね。また、筆者さんの考察は、この曲を再度じっくり聞くきっかけになりました。おおむね筆者さんの解釈と一致しているのですが、いくつか私自身の解釈も書かせてください。
「相合傘ひとりぼっち それを抱きしめた」の部分は、「抱きしめにいこう」と対応していて、相合傘に一緒に入っていながら心を開くことができず、二人でいながら結局一人ぼっちの「あなた」の心を主人公が抱きしめた。つまり、ショーウィンドウに映る自分自身をうつろな目で眺めている「あなた」に主人公が勇気を出して「大丈夫?」とか声をかけたことの比喩なのかなと思いました。
最後の「自分で抱きしめた」の部分は、主人公の「それでも続く今日を 笑う前に 抱きしめて欲しい」という気持ちと対応していて、「あなた」の心を抱きしめにいった主人公の行動がきっかけで、「あなた」が泣きながらようやく自分の本心を主人公に吐露し、自分の心を自分で抱きしめたことの比喩だと思います。
曲調も明るいし、まあハッピーエンドと捉えてよいのではないでしょうか。
また、ウェザーリポートが曲のタイトルなので、心の動きを天気にたとえ、主人公と「あなた」の心の動きを伝えようとしているのかなと思いました。
あと、「国道の川」というのは、車の流れを水の流れに例えているのだと思います。そうすると「車屋」というのは水たまりに例えられるかもしれませんね。水たまりは涙の水たまりかもしれません。(ここまで来ると深読みしすぎだなと自分でも思いますが…)
筆者さんの解釈が面白かったので、ついつい私も長々と書いてしまいました。
匿名
はじめまして。通りがかりのものです。
「イノセント」と「ウェザーリポート」の考察を読みました。非常に素晴らしい考察だと感じました。特に「あなたを許して どうか見せて欲しい」と「国道の川」に関する考察ついては、私の思い違いを見事に論破された心持ちです。
そこで、一つの意見として、この曲のラストについて私の考えを書かせてください。こういう考えはどうでしょうか、という程度のものでこの素晴らしい考察を否定する意図はありません。
『車屋の前の交差点で ショーウィンドウに映る 相合傘ひとりぼっち それを抱きしめた 自分で抱きしめた』
というラストに挿入されるAメロは『実は「主人公」と「あなた」が同一人物だった』という結末を表していると、私は考えています。BUMPの歌には『自分を、2人の完全に異なる人物として歌った歌』が多いのです。
このAメロに入った瞬間、「主人公」の存在が消えたことに気づいたはずです。「ショーウィンドウに映る」という言葉。この光景が主人公の目線で語られているのであれば、なぜ「あなた」をわざわざガラスの反射越しに見る必要があるのか。
「あなた」がショーウインドウに映るひとりぼっちの「あなた」を見て、それを「自分で抱きしめた」。これがラストのAメロです。では「主人公」はどこに行ったのか。あれほど「あなた」を案じていて、「抱きしめに行こう」と宣言した後なのに、物語から消えている。
ここまで書けば、すでに筆者さんには私の考えが通じていると思います。この物語には実は一人しかいないけれど、ふたりいるのです。だからひとりぼっちなのに相合傘なのです。短編映画的な映像美がありますよね。もし良ければご一考ください。
PS: 私が一番難しいと感じた「時空かくれんぼ」や最近の曲で一番好きな「morning glow」についても考察があるんですね!読んでみます!