この曲の考察かいてるブログ多いけどなんか違う気がするわ。
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太陽の歌詞はこちら
※おことわり※
わかってると思うけど個人の意見だから。解釈違いはあろうよ。
◆
二度と朝には出会わない 窓のない部屋で 動物が一匹
いきなり「は?」って感じの歌詞なんだけど説明していく。
この曲には一人の主人公がいて、その主人公がここでは「動物」。
場所は「窓のない部屋」。
「二度と朝には出会わない」のは「部屋」ではなくて「動物」であろう。
この「窓のない部屋」は主人公の心内環境を表現している。
主人公が己のことを「動物」と言っているのは、つまり、
『今まで人間の集団の中にいたが、周りの人間と自分が違うと感じた』
から。あるいは『俺は人間をやめるぞ!(石仮面グサー)』っていう心持ちを表している。
ドアノブが壊れかけていて 触れたら最後 取れてしまいそうだ
心内環境である「窓のない部屋」にはドアがあり、こわれそうなドアノブが付属している。多少のきっかけでもう他人と心を通わせることができなくなってしまうような状態。心が開けなくなるから。
「触れたら最後 取れてしまいそうだ」って言葉が「もうギリ」感を醸し出してて良いかんじ。
このくらい寒い方がいい 本当の震えに気付かないで済む
こういう表現を見たときに「逆に気付いたらどうなるか」っていうのをもっと考えて感情移入したほうがいいと思うんだけど、お前どう?(迫真)
「本当の震え」っていうのは「誰一人として味方がいない」&「味方になろうと思ってくれる人がいない」という事実に気づいてしまうことによる震え。
歌詞で言及しているってことは、もう実はその「震え」に気付いてしまっている。気付いているのに「気付かないで済む」というのは面白い。
心で感じていて、頭で考える前に遮っているような状態だろう。
「寒い」理由は、窓が無くて太陽の光が入らないからとかだろう。
不愉快も不自由も無い その逆も初めから無い
心の感度計が死んじゃってるような状態。実際には不愉快で不自由だと思われる。けど、もうどうでもいい。
例えば笑ってみろよ こっちもひたすら笑えるさ
次で説明する。
空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた
1番のサビが超重要。全体を把握するための骨子がすべてサビの歌詞に詰まっていると思う。
「空のライトが照らしてくれた」の時制に注目。過去形である。現在形にも読むことができるが、ここを勘違いすると全部崩れていく。
空のライトが照らしてくれたのは、過去の話である。(大こ二)
つまり窓のない部屋に入る前の話をしている。
「空のライト」は「太陽」で、「太陽」は…なんだろうね。なんかの比喩だろうか。社会とか?どちらかというと「照らされていること」のほうが重要だと思う。
「空のライトが照らしてくれた」の一節により、「窓のない部屋」に入る前の話をしているということが明確にわかる。なぜなら、窓のない部屋にいる人間を照らすことはできないから。
「僕には少し眩しすぎた」はそのままの意味だろうか。よくわからん。ただ「周りの人にとっては眩しすぎではない」という意味を含んでいることはわかる。
そして誰もが口を揃えて「影しか見えない」と言った
これな。
「僕の影」の対比は「影じゃない僕の形」(後の歌詞で出てくる)である。
「僕」は「影じゃない僕の形」を評価してほしかったんだけど、誰もが口を揃えて「影しか見えない」と言った。
現実に置き換えると
僕は「よかれと思って何らかの行動を起こした」が「その行動が招いた、良くない結果」が注目された。
のだ。
その後、何も知らない人たちに責められ、嘲笑され、同情された。
∴僕は「窓のない部屋」に入ることになった。
また、何らかの理由あるいは美学のために釈明することができない状態にある。
なぜなら、笑われたときに「こっちもひたすら笑えるさ」と言っているから。
単純な「人間不信の曲」ではないだろ!!??
と言いたい。
「例えば笑ってみろよ こっちもひたすら笑えるさ」というのは
①嘲笑されたことに対して反論できない状態であること
②怒る元気もない状態
③笑っている相手に対して「何も知らねーくせに」と嘲笑っている状態
を表している。
二度と朝には出会わない 窓のない部屋で心臓がひとつ
「動物」が「心臓」になった。
んー。難しいけど、より「静的」になったと感じる。「心臓」は動物としての機能の根幹のイメージだから、「ただ生きているだけ。あとは何もない。」というようなニュアンスが生まれたような。
目を閉じていても開いてみても 広がるのは 真っ黒な世界
想像してほしいんだけど
あなたは、カーテン(遮光のやーつ)を閉め切った部屋で寝ています。外は昼(太陽が出ている)です。
寝ているので目は閉じていますね?
目を開きます。カーテンを閉め切っているので暗いですね?
目を閉じます。暗いですね?
外は昼です。
っていう感じ。想像できた?
そのときの感情を表現している。
つまり「あーなんかもう消えそう」って感じ。
「どうあがいても絶望」的な意味の比喩である可能性もあるとは思う。
例えば泣いてみろよ こっちはそれすら笑えるさ
これも想像してほしいんだけど
自分(主人公)の状況を何もわかってない人が、表面的な状況を見て同情して、泣いていたとしたら
かなり滑稽に見えるよね?「何をもって泣いてんだコイツ」みたいな。
君がライトで照らしてくれた 暖かくて寒気がした
これも想像してほしいんだけど。っていうか歌詞が人間の感情の機微に即しすぎててエロい。
話それたけど、真冬に「寒い寒い」いいながら帰宅したときに、急にあったかい部屋入ると「ゾクッ」ってなるよね。それの感情版。『不快』ってのも少しはあるのかもわからんが、それだけじゃなくて、えーと、ギャップで「ぬおっ」ってなったんだと思う。「ゾクッ」ともしたんだと思う。ちょっと一瞬嬉しくもあったんだと思う。
時制はまた過去になっていると言える。なぜなら、窓のない部屋にいる人間を照らす方法はないから。
突如登場した「君」は、「ライトで照らしてくれた」。つまり…なんだろう。信じようとしてくれている。かな。ちょっと違うんだけど。
光の向こうの君の姿が 僕には見えないと知った
「本心から自分を信じてくれているのかどうか、わからないよ。」と言った意味。
あとの歌詞で出てくるんだけど、「僕」は信じてもらうことをあまり求めていない。信じなくてもいいから自分に寄り添って感情を分かち合ってほしいと思っている。
それを踏まえて、「君」がどのレベルで「信じて」くれているかがわからない。と言っている。
「僕には見えないと知った」って表現がすごいね。「君を信じられない」んじゃなくて「君を信じていいのか、判断する術がない」っていう、不安と孤独とすがりたい気持ちが入り混じった表現。
加えて言うと、現実にライトで照らされたとして、自分をライトで照らしている人の様子なんてわからないよね?
かくれんぼしてた 日が暮れてった みつからないまま 暗くなっちゃった
これも…想像しろ。気持ちを。
想像した?
かくれんぼは「みつかったら負け」の遊びであるが、同時に見つけてもらうことを期待してもいるだろ。見つかんなかったら移動したりするだろ?
この曲の「僕」は何らかの理由で釈明できない状態にある。つまり真実を隠している。それをかくれんぼに当てはめているんだな。
で、誰もその「真実」を見つけることができない。見つからないまま暗くなっちゃったと。
「暗くなっちゃった」っていうのは単にかくれんぼの終わり、つまり「騒動の終息」を表している。
皆帰ってった ルララルララ かくれんぼしてた ずっと待ってた
ここで僕の本心がやっと出る。泣ける。曲調を少しはずした部分で出てくるのもすごく良い。いままでスレたようなことを言っていたんだけど、もっと奥の純粋な気持ちでは、ただ「自分を見つけてくれるひと」を待っていた。
「かくれんぼをする子供のような気持ちで、ずっと待ってた。」と読んでいいと思う。
例えば信じてくれよ こっちはなおさら疑うさ
「僕」を信じる材料なんて無いんだと思う。だとしたら「信じる」と言われたときには疑うしかないでしょう?
「想像しろ」と何回言えばいいのかわからんが、想像しろ。
弱ってる人間を詐欺にかける人もいるし、脈絡なく急に「信じるよ」って言われてもそりゃ疑うでしょ?
それより触ってくれよ 影すら溶けていく世界で 影じゃない僕の形を
「影すら溶けていく世界」は、「太陽の下であるか」「窓のない部屋」であるか。
これは「窓のない部屋」であると言える。なぜなら主人公は動く気ないから。かくれんぼでずっと待っている状態だから。次の歌詞でも「窓のない部屋に来て欲しかった」と言っている。
「信じるよりも、影じゃない僕の形を触ってくれよ」というのは…難しいな。えーと、周りの人は「僕の影しか見えない」状態にある。真実がバレる理由は何一つないんだろう。とすれば、「影しか見えていない」人が「信じる」対象は「影」と言うことになる。
よね?
んで、信じるっていうのは構造的に、「影の僕を信じるか」「影の僕を信じないか」にしかならなくて、
「触る」というのはもう「触る」以外なくて、一線引いた場所からは触ることなんてできなくて、純粋な…えー…「信じる」とかよりももう一歩進んだ…そのー…説明できない。
例えば、お前が実刑を食らったとする。何年後かに出所したとする。その時にお前の友達が会いに来てくれたら、それはここで言う「触る」に準ずるような行為なんじゃないだろうか。
つまり「自分の行動の真意」について信じてもらうことは、もうどうでもいい。今は自分という人格を信じて欲しいといった感じ。いや、信じるじゃないな。
「何をしたからこういう評価」とかじゃなく、自分は一人の人間であって、それを・・・承認してほしい。誰かに。
「自分という人間」の価値を感じたい。「人間は生きてるだけで価値があるはずなんだけど、何故か今は自分に価値があるのかが疑わしい。自分と自分以外の人間が違うように思える。」って感じ。
「あなたは悪いものではない」「あなたがいてくれるだけで私には価値がある」と、態度で示してほしい。誰でもいいから。
だけど、ライトで照らしてもらっても君の姿は僕には見えない。
どうすりゃいいんだよ!詰みか!
って感じ。泣ける。
これ伝わってんの?
君のライトを壊してしまった 窓のない部屋に来て欲しかった
時系列が難しいなー。おそらく部屋に入った後。
「ライトを壊す」っていうのは「近づいてきた『君』を突き放す」と言った意味か。
「窓のない部屋に来て欲しかった」のは触れてほしかったから。「触れてほしい」というのはさっきの話のそれだ。
Q:なんで窓のない部屋に来て欲しかったのにライトを壊してしまったの?
A:「ライトで照らす」ことと「窓のない部屋にくる」ことの因果関係が「僕」にはわからなかった。つまり「僕」からしてみれば「なんで部屋に来てほしいだけなのにライトで照らすの?」という心持ちだろう。
「ライトで照らす」っていうのは現実に置き換えると「話しかける」とかそんな感じだろう。「僕」が求めているのは「共感」「同調」「人格の承認」であり、そこに言葉は不要で、むしろ邪魔くさくて面倒。嫌だ。
「壊してしまった」だから多少申し訳なく思ってもいるんだろう。でも…しょうがないじゃん!
「君」からしてみても、話しかける以外の方法はないよ。難しいんだよこれは。
「ライトを壊される」のも覚悟で挑んだんだろう。
なんなんだよこの歌詞。泣くぞ?
それが過ちだと すぐに理解した 僕を探しに来てくれてた
「かくれんぼ」のくだりとつながっている。「僕」は見つけてもらうことを待っていた。普通、正しい手順として「ライトで照らす&探す」「見つける」「触れる」になるんだろう。「僕」はただ「触れて」欲しかった。「ライトで照らす&探す」の段階で「僕」はライトを壊してしまった。壊してしまった後に、探してくれていることに気づいた。
「過ち」は普通「気付く」ものなのに、歌詞では「理解した」になっている。これは、「君がライトで照らす理由」について言及しているから。
光の向こうの君の姿が 永遠に見えなくなってしまった
突き放してしまったんだからもうライトで照らしてはくれない。
「永遠」にっていうのが強い言葉で、もう本当に「永遠に見えなくなる」ような状態になったんだろう。
救いのある解釈をするならば「窓のない部屋にいる限り、永遠に見えなくなってしまった」って感じかな。
うん。こっちのほうがいいな。こっちで。
アニメを見ているような感じで、場面を想像して読んでくれ。
主人公はライトを壊してしまった。結果、窓のない部屋に取り残されてしまった。そして、びっくりした。「永遠に見えなくなってしまった」と思った。
事実として「永遠に見えなくなってしまった」のではなく、「窓のない部屋」から出るつもりのない主人公の視点からして永遠に見えなくなってしまった。
それが見たかったんだと気付いた
「光の向こうの君の姿」は「僕を探しに来てくれていた」。
その、君の姿を見たかったんだと気付いた。
気付く前まではただ「触れてほしかった」だけ。いまは「見たかったんだと気付いた」。
もう、探しに来てくれている姿をみるだけでもいい。泣ける。
窓のない部屋から出たく思ったのかな。どうかな。
かくれんぼしてた 日が暮れてった 見つからないまま ずっと待ってた
メインメロディー(?)の裏に流れる歌。
歌詞がちょっと変わってるのに気づいているだろうか。
さっきは「ずっと待ってた」を最後に持ってくるために「暗くなっちゃった」を差し込んでいた。
皆帰ってった ルララルララ かくれんぼしてた 君を待ってた
「ずっと待ってた」が「君を待ってた」になっている。「君」が「僕を探しに来てくれてた」ことに気づいたから、「君を待ってた」。
もう一度 朝と出会えるのなら 窓のない部屋に 人間が一人
「出会えるのなら」なんなんだろう。「この部屋から出よう」だろうか。
人間一人一人を太陽に例えているのであれば、「朝と出会える」は「君に会える」の意味にもなるかもしれない。
その場合「空のライト」は人間社会を表現しているんだろうか。
「動物」から「心臓」を経て「人間」になった。意味としては人間に復帰しようとかそういう感じだろう。
ドアノブが壊れかけていて 取れたら最後 もう出られはしない
「出られはしない」と言っている。つまり、「出る」という意識が芽生えている。
出れたら最後 もう戻れはしない
「現実と例え」の妙が素晴らしいな。
「ドアノブが壊れかけた窓のない部屋」という比喩表現がこれ以上なく合致している。「出れたら最後 もう戻れはしない」で改めてそう思った。
なんで「もう戻れはしない」のかと言うと、なんというか、心のスイッチ的な話なんじゃないだろか。「一度頑張ると決めたんだから」みたいな。「もう戻れねえよ」みたいな。「そんなに勇敢な選択だ」みたいな。
あとは歌詞に希望を持たせる意味合いだと思う。
「取れたら最後 もう出られはしない」→「出れたら」に繋げるのは超絶カッコいいし、「出るんだな」と思わせてくれる。
結論
いい曲
ルーティン
こん茶。俺も考察してみた。君ほど達観してないけど。コメントは苦手なのでこういう形で。ちなみに、君の考察を教えてくれたのは、BUMP OF CHICKENを生きる糧にしている本当のファン。そんな愛らしい彼女が君の考察に感銘を受けています。
太陽
二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 動物が一匹
ドアノブが壊れかけていて 触れたら最後 取れてしまいそうだ
このくらい寒い方がいい 本当の震えに気付かないで済む
不愉快も不自由も無い その逆も初めから無い
例えば笑ってみろよ こっちもひたすら笑えるさ
空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた
そして誰もが口を揃えて 「影しか見えない」と言った
二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 心臓がひとつ
目を閉じていても開いてみても 広がるのは 真っ黒な世界
例えば泣いてみろよ こっちはそれすら笑えるさ
君がライトで照らしてくれた 暖かくて 寒気がした
光の向こうの君の姿が 僕には見えないと知った
かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま 暗くなっちゃった
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた ずっと待ってた
例えば信じてくれよ こっちはなおさら疑うさ
それより触ってくれよ 影すら溶けていく世界で
影じゃない僕の形を
君のライトを壊してしまった 窓の無い部屋に来て欲しかった
それが過ちだと すぐに理解した
僕を探しに来てくれてた 光の向こうの君の姿が
永遠に見えなくなってしまった
それが見たかったんだと気付いた
かくれんぼしてた 日が暮れてった 見つからないまま ずっと待ってた
皆帰ってった ルララルララ かくれんぼしてた 君を待ってた
もう一度 朝と出会えるのなら 窓のない部屋に 人間が一人
ドアノブが壊れかけていて
取れたら最後 もう出られはしない
出れたら最後 もう戻れはしない
太陽というタイトルを聞くと、さも大袈裟・壮大なものを連想しがちだが、この曲のタイトルとなった太陽は、願いに近い、それもあまりにも静かで儚い一縷の光のようなものを想起させている。
曲を聴いて全体をイメージするとおのずと見えてくる景色がある。それは語り手である「僕」の内側から発する光の景色だ。
『二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 動物が一匹
ドアノブが壊れかけていて 触れたら最後 取れてしまいそうだ』
-「僕」は二度と朝には出会わないと言う。出会えないのではなく、出会わない。ここにはたしかな意思の力が感じられる。
-窓の無い部屋で動物が一匹。逃げ出すことも外からの情報が入ってくることもない完全な暗い個室で「僕」は僕自身を客観的に見ている。この個室とは僕自身が作り出した世界と自分との間の防壁であり隔壁だろう。
-ドアノブが壊れかけていて触れたら最後取れてしまいそうなのは、暗い個室から外に出るための唯一の出口がもう少しで機能しなくなりそうになっているが、飽くまでそれはただ、状態を示すだけのこと。「僕」にとってはどうでもいい。
ここのフレーズを言い換えればこうならないか。
(もう外には出たくない。僕は僕自身の殻に閉じこもって生きていきたい。
そしてそこにいるのは僕であり、僕ではない。僕ではないんだ。二度と外に出られなくなったって、それはそれだけのこと)
『このくらい寒い方がいい 本当の震えに気付かないで済む
不愉快も不自由も無い その逆も初めから無い』
-部屋はいっそう寒さを増してきているが、その程度の孤独ならあったほうがいい。いつか感じた本当の孤独から目を逸らすことが出来る。
-ここには不愉快や不自由といった不快感はない。ということはもちろん喜びや自由といった楽しみもない。僕は人間的な感情を失った。
ここのフレーズを言い換える。
(誰も見てくれなくても、誰にも気付かれなくても、そんなものは寒さの内には入らない。そうすることで僕が知ってしまった真の孤独が襲ってこないのなら、僕はいつまでも感情を消して望みを捨て続ける)
『例えば笑ってみろよ こっちもひたすら笑えるさ
空のライトが照らしてくれた 僕には少し眩しすぎた
そして誰もが口を揃えて 「影しか見えない」と言った』
-例えば誰か笑ってみろよ。僕はひたすら笑うだけさ。人は絶頂の悲しさの中ではただ、笑うしかない。ここでいう誰かの笑いと僕の笑いは根本的に意味合いが異なる。
-誰かが笑ってくれたことで、感情を見せたことで、この個室にひととき明かりが灯った。だけど、その明かりは僕の求める明るさではなかったから、僕は眩しいだけで目を伏せ俯くしかなかった。そしたら個室を覗いたはずの誰もが、「ここには誰もいない。変だな、たしかに影は存在しているのに」と言って去っていった。なぜなら、僕は「誰か」になんか見つけられたくないから。「誰か」も自分たちのライトではこの部屋は照らせないとあっさり去っていく。
ここのフレーズを言い換える。
(なんでもいいから、僕に感情を見せてみろよ。おかしくて笑うってのはどうだい?こっちも同じく笑い続けるだけだよ。部屋の外から明るさをたしかに感じたけれど、僕の部屋には似つかわしくない明るさだった。それじゃあこの部屋に溶け込んだ僕の姿なんか見つけられるはずがない)
『二度と朝には出会わない 窓の無い部屋で 心臓がひとつ
目を閉じていても開いてみても 広がるのは 真っ黒な世界』
-より決意を強めて、朝には出会わないと言う。だがその後で心臓があると言い、自分という人間がここにいることを主張し始める。
-目を閉じていても開いてみても広がるのは真っ黒な世界。部屋を出ることを完全に諦めていても、少しの希望を持ち、目を開いてみても、どっちにしろここは、いや僕の目に映る世界は真っ黒だ。しかし、真っ暗ではなく、真っ黒なのである。自分の様子を動物というただの説明から、心臓という人の臓器の一部、それも人が生きるために最重要の臓器で現して、たしかに人間がこの場には存在しているという内心の変化と共に、目に映るものを「黒」という色彩を持つ色、つまり現実に存在し得る何かに置き換えることで「僕」自身も気付かない程度の「外」と繋がる萌芽のような望みが伺える。真っ暗な世界では、希望の意思を感じない。
『例えば泣いてみろよ こっちはそれすら笑えるさ
君がライトで照らしてくれた 暖かくて 寒気がした
光の向こうの君の姿が 僕には見えないと知った』
-例えば泣いてみろよこっちはそれすら笑えるさ。悲しくて泣くという動作。だがそんな悲しみは僕にとっては笑い飛ばせる程度の辛さ。
-君がライトで照らしてくれた。君の明かりはうっかりしたら僕を外へ誘うものになり得た。だが、そのあまりに暖かい熱のこもった優しさは、孤独の絶望を知った僕には貰い受ける資格も権利もないものと知って、逆に凍りつくような恐怖を思い出させてしまった。
ここのフレーズを言い換える。
(今度は悲しみの感情を見せてよ 僕にとってはそんなもの悲しみの内には入らない。君の優しさは何だって言うんだ。僕に一瞬の光を見せては消えていく残酷なものでしかないじゃないか。君の見せた明るい世界に、僕の居場所はないんだよ)
『かくれんぼしてた 日が暮れてった
見つからないまま 暗くなっちゃった
皆帰ってった ルララルララ
かくれんぼしてた ずっと待ってた』
-ここは「僕」の心情の説明に移る。みんないなくなったかくれんぼで、一人、ずっと誰かが探しに来てくれるのを待っている。ここは端的に分かりやすく、聞き手に全体を通しての心情を説明すると同時に、かくれんぼという子供の遊びを出すことで、「僕」がどれだけ子供のように純粋な寂しさ、怖さを感じているかを現している。
ここは言い換える必要はない。
『例えば信じてくれよ こっちはなおさら疑うさ
それより触ってくれよ 影すら溶けていく世界で
影じゃない僕の形を
君のライトを壊してしまった 窓の無い部屋に来て欲しかった
それが過ちだと すぐに理解した
僕を探しに来てくれてた 光の向こうの君の姿が
永遠に見えなくなってしまった
それが見たかったんだと気付いた』
-例えば信じてくれよこっちはなおさら疑うさ。信じてみろよではなく、信じてくれよ、と嘆願になっている。この暗い個室の存在をもう一人で背負っているのは辛い、誰か、気付いてくれという思いが表出してきている。しかしただ信じてくれたのでは物足りない、そうじゃない、そんな目に見えない不確かなものよりも、今たしかにここにある僕の姿に触って、僕がここにいることを実感させてくれ。そうでないと僕はもう、本当に消えてしまいそうなんだ、と。
-そんな思いが強すぎて君が僕のことを探しに来てくれていたという大事なことを忘れて僕は僕の苦悩の世界に君を連れ込んでしまおうとしていた。僕が本当に見たかったのは、君が見せてくれようとした明るみの世界で生きる、僕を思う君という存在であったのに、僕が君を僕の深みにはめようとしたせいで、君という大事な存在をも失ってしまった。
ここを言い換える。
(なあ、今度は信じてみてくれよ。僕の言葉を。僕がここにいるっていう言葉を。ああでも、違うんだ。そんなことり、僕に触れてみてくれ。僕は、ここにいるよな?たしかにここにあるよな?それを僕に分からせてくれ。本当は怖いんだよ、とてつもなく、一人はいやなんだ。なあ、僕のこの途方もない孤独を君を感じてくれ。そうすることで、僕を知ってくれ。僕も生きているんだってことを。いやまて、それは間違ってる。僕は、僕が見たかったのは君のやさしさのある、君のいる世界だったんだ。でも、もう手遅れなんだろう。君は僕の闇に耐えられなかった。僕はもう、僕の知る君と出会うことは出来ない。)
『 かくれんぼしてた 日が暮れてった 見つからないまま ずっと待ってた
皆帰ってった ルララルララ かくれんぼしてた 君を待ってた』
-やはり、君のことを待っていたんだね。
『もう一度 朝と出会えるのなら 窓のない部屋に 人間が一人
ドアノブが壊れかけていて
取れたら最後 もう出られはしない
出れたら最後 もう戻れはしない 』
-もう一度朝と出会えるのなら窓の無い部屋に人間が一人。もう一度、この世界と向き合う力が沸くのなら、僕という人間は、絶望を糧に行動を起こすだろう。
-ドアノブが壊れかけていて取れたら最後もう出られはしない。おそるおそるとしか触れようのない、外への離脱。もし失敗すれば今度こそ本当にこの個室から出られはしない。
-出れたら最後もう戻れはしない。だがもし出ることに成功したなら、もうこの暗い個室に戻ることはしないだろう。
ここのフレーズを言い換える。
(もう一度この絶望的に悲しみの溢れた世界と向き合うことが出来たなら、この個室を捨てた僕という一人の人間は、きっともう自分の内部に埋没するだけの生き方はやめ、恐怖の中から逃げ出すのではなく、恐怖と向き合って生きていく)
ざっくばらんに書いてきたが、「太陽」の根底に流れているものは太陽とは対極にあるもの、圧倒的な「闇」だと思う。だからこそ、太陽という陽射しで闇を照らしたかった。どうにもならないこと、変えられない絶対的な恐怖も、それで終わりにしたのではあまりにこの世界は暗く、残酷なものになってしまう。
「太陽」は言うならば、「願い」だ。闇を知った「僕」の「願い」で僕の、皆の世界を照らすのだ。