◆まず

小説でもアニメでも映画でもゲームでもドラマでも、なんにしてもストーリーが必要になってくる場面は多い。
なんらかのストーリーを作る仕事をしたいって人も多かろう。

例えばアニメや映画やゲームを作るとき、おそらく中心にはストーリーがあって、そこを中心にしていろいろな人が絵をかいたり演出をしたりプログラミングをしたり広告を作ったりするわけだ。無論、ストーリーのない作品もあるけどね。

でね?アホが作ったっぽい作品ってあるじゃないですか。そういうのを見ると個人的に腹が立つんです。何がって

  • リソース(労力やお金)を無駄に消費していること
  • 稚拙なストーリーを称賛してしまう人間

に腹が立つ。

なんで腹が立つかというと、それは素晴らしいストーリーを見たことがあるからに他ならない。職人技としか言えないストーリーを知っていると間抜けたストーリーに対してホント超腹が立つ。フィクションでもリアルでも、緻密なストーリーっていうのは見た後にもう「生きててよかったよ」みたいな感想が出る。その反発としてアホな脚本には殺意がわく。

そういう俺はストーリーを作ったことがないから、受け手側の感想しか論ずることができない。だけど、折角ブログをやっているのだから吐き出しておこうかなと思う。

◆計算がたりていない

現実世界って、現実に起き得ないことは起きないじゃん?フィクションではそんなん関係ないけどね。でも現実世界を舞台にしているのであれば、聞き手に対してストーリーの説得力を与えるためには現実に即した表現が必要になる。逆に、本筋には関係ないけど「現実世界でのあるあるネタ」を差し込むことで没入感を増すこともできると思う。

「計算がたりていない」っていうのは、つまりシミュレートができていないってことです。
ジョジョの奇妙な冒険」っていう漫画の登場人物に「岸部露伴」という漫画家がいる。登場時は敵キャラだったのだが、この人物の異常性が表現されるにあたり、岸部露伴は客人の前で蜘蛛の腹を掻っ捌いた挙句、「味もみておこう」とかほざきながらそれを舐めた。

彼曰く

『マンガ』とは、想像や空想で描かれていると思われがちだが、実は違う!
自分の見た事や、体験した事、 感動した事を描いてこそおもしろくなるんだ!

とのこと
これは異常っちゃ異常なんだけど「そうだよね」とも思う。

例えば
「転んで膝を擦りむいたことがある」
「自転車がぶっ壊れて、真夏に田舎の田んぼのあぜ道をトボトボ歩いたことがある」
「汚い中華屋でラーメンを食ったことがある」
「ノロウィルスでぶっ倒れて点滴を打たれたことがある」
「自分の恥ずかしい失敗談を人に話したことがある」
みたいに人生では本当に色々な経験をさせられる。

蜘蛛を切って舐めるっていうのはトガりすぎてるけど、しようと思えない行動をするだとか、変な部分に興味を持つっていうのは一つの能力だ。
そして「嫌なこと」「面倒なこと」を避け続けるとやっぱ脳内シミュレータは劣化するだろうさ。面倒な飲み会を断るとかっていうのもその典型だよね。俺もあったけど「まぁ行ってみてもいいか」と思っていくと意外と面白かったりするんだよ。やっぱりつまんなかったら「やっぱつまんなかったな」と思えば良かろう。
逃げ続けると癖になるし、逆に獲得しに行き続けることも癖になるはずだ。

なんか話それたな。
つまり、「ある人」と「ない人」ではやっぱり出力される物語に明確な差が発生するはずだ。腕を失った人間には「腕を失ったリアル」があるし、耳が聞こえない人間には「耳が聞こえないリアル」がある。
真に迫る作品は、文字通りリアリティの下支え無くして成立しえない。必要なリアリティを担保していない作品は真に迫らない作品だ。そして、ストーリーを作るにあたり致命的なのは、登場人物の心のリアリティをシミュレートできていないことだ。

主人公が意味の解らん発言をし始めたり、登場人物が主人公を崇め始めたり、ある登場人物が知らないはずの情報を前提に話をしたり。それは一体全体どういう病理なのだと問えば、その結論としては「登場人物が道具になっている」という状態だ。

◆全部道具

Wikipedia:演出

演出(えんしゅつ)とは、物事を表現するときに、それを効果的に見せること。またはその役割を担当する者のこと。また、機械などの動作の装飾的な動きも演出と呼ばれる。

例えば家でクソをしながら
「ここで主人公がヒロインに駆け寄っていって、それと同時にパルスのファルシのルシがパージでコクーン
という場面を考え付いたとする。
シーン単体では壮大且つ情緒的で、他の追随を許さない珠玉の表現であり、さながら絶景でも見たかのような感覚を与えるだろう。
だからストーリーをその場面に向けて構築しなければいけない。

と。
ここまではいい。だけど、そのシーンに持っていくのが下手すぎる。
ありがちなのは

  • 登場人物が意味不明な言動をしはじめる。
  • 発生しうる単純な疑問がスルーされる。
  • シーンを導出するためだけのキャラがポンと登場し
     ⇒ 割と重要な役目を果たすが、それ以降出てこない。
     ⇒ 余る。
     ⇒ 困ったときに登場して物事を解決するが、それ以外の描写がない。
  • クライマックスの後、巻きで終わる。
  • 何の理由、背景、前振りもなく奇跡が起きる。
  • 「それ最初からやれよ」が発生する。
  • 表現したいシーン以外のことが疎かになったり、時間が余る。結果蛇足のバケモノになったり、作家の趣味がねじ込まれたりする。
  • 本筋の欠けを音楽とか映像美で誤魔化す。
  • テンプレート的に性格の悪いキャラクターが登場する。
  • 問題に対する解決法が超絶まわりくどい。
  • SFの基礎的な作法を理解しないまま、もろもろをSFで解決しようとして結果使いこなせず、矛盾を指摘される。

とかだろうか。

批判されると「これこれこういう理由があった」とか「尺の都合で」とか「一般人にも分かりやすくした」とか「表現がどうのこうの」とか言い始める。
つまり表現する能力がないだけなんだから、そんな言い訳じみたことしないでよ。悲しいよ。

つまり、必然性が欠け、ストーリーが道具だらけになる。登場人物なんかパペットだ。その登場人物は作家のコントロール下にあり、言うべきセリフを言ってするべきことをする。
結果ご都合主義のお人形遊びになる。きもちわるいと思う。

Q:世の中の創作って全部お人形遊びじゃん
A:そうなんだけど、後ろにストーリーの作者が見えると気持ち悪いよねって話。
「キャラクターが勝手に動く」っていう表現がある。そんなレベルでやればちょうどいいんじゃないの。

脚本家の頭が芳しくないと、道具まみれで筋の通らないストーリーになる。だから、脚本できる人に脚本をさせるべきではないのだろうか。餅は餅屋っていうじゃないか。一消費者として、俺は矛盾のあるストーリーを見せられるのは嫌だ。

◆ストーリーの矛盾を茶碗の欠けに例える

俺は欠けた茶碗でメシを食っている。それは、俺が「茶碗の欠けが気にならない人間」であるからだ。
でも欠けた茶碗なんて使えないと思う人間もいるだろう。
例えば欠けた茶碗だとメシがまずくなるかもしれない。そして矛盾のあるストーリーだとつまらなくなるかもしれない。

その「欠け」を無くそうと思うのが職人であり、プロなんじゃないの。「欠けた茶碗をお客様に提供することはできない」といったレベルの話だ。というか、茶碗を想像したときに欠けたものを想像する人間なんていないだろう。普通、茶碗は欠けていない。

そいで、例えば「宝石をあしらった欠けた茶碗」が若年層に絶賛されていたら、「使う人のことを考えて作られた欠けてない茶碗」を作っている職人さんはどうなるの?その人の気持ちを思うと悲しすぎない?そして誰かが「宝石をあしらった欠けた茶碗」を批判するのも止む無しといったところだろうよ。

「宝石欠茶碗」は芸術品としては価値がある。宝石自体の値打ちもさることながら、配置のセンスが素晴らしい。それは誰しもが認めることだろう。だけど、普段パン食で茶碗の良し悪しなんかわからないような人間が「宝石欠茶碗は茶碗として素晴らしい」とか言っちゃってるのを見ると「いや、欠けてるだろうが。お前ふだんジャンクフードしか食ってないくせに何言ってんの。」って言いたくなるんだ。あとは、宝石ももったいない。宝石は価値があるんだけど、なんでわざわざ欠けた茶碗に装飾したんだろうか。ちゃんとした茶碗を作れる人を呼んで作ってもらえば完璧な「宝石茶碗」になっただろ。

◆シミュレーションするべきこと

Q:矛盾があってはいけないのか
A:あってもいいよ。でも無くていいし無い方がいいよ。当たり前だよね。そして違和感が発生する矛盾は極力取り除くべき。

で、ドラえもんってSF要素を持つよね。SFはリアリティが命だ。
そして例えば野比家の間取りがコロコロと変わったとする。
だけど、誰もそれを「不整合だ」なんて指摘はしないでしょう。それは、作品の本筋に影響を及ぼさないからだ。「のび太は自宅の間取りが変わっていることに違和感を覚えないのか?」って思う?

つまり、共感の抜け落ちが発生しない矛盾や不整合は許されがちだ。「そういうものなんだ」と思えば済む話だから。ドラえもんが青くなった理由も別にどうでもいいし、あるいは「あらゆる場面でもしもボックス使えばいいじゃん」なんて批判も起こらない。(批判はありうるけど、まず原作では一話完結であるから起こりにくい。映画等の長編については、原作にもしもボックスがある事実は変えようがないんだから許せる。作家のコントロール外にあるんだもの。)

だけど例えばのび太が悪徳を露出したとして、それをドラえもんが咎めなかったんだとしたら「おかしい」って言いたくならない?
だって…ねぇ?違うじゃん。ドラえもんってそうじゃないじゃん。出木杉君がなんの躊躇もなく法を犯したりしたらおかしいじゃん。
つまり、作品によって、あってはならない間違いとあってもいい間違いがある。少なくとも俺の中では。

あるポイントについて筋を通すべきか通さなくてもいいか。この判断は「表現力」の範疇にある。不必要な設定は邪魔だし、まかり間違うと表現者の自慰行為と化す。だけど必要なリアリティや裏付けがないと作品の説得力が低下する。もっと悪いと没入感が失われる。

必要不要の判断ができないならそれは表現者としてどうなのだろうか。考証するべきかどうかの判断がつかないって、それ適当やってるって思われてもしょうがなくない?売り物であるはずの茶碗が欠けていて、それが問題かどうかすら判断できないってことだもの。
※わかっているとは思うが、プロに対して言っている。アマチュアに口出しすることはできない。

敢えて説明しないという判断も、ありよりのありだ。
僕のヒーローアカデミア」って漫画があって、その漫画では登場人物に生まれつきの特殊能力が備わってたりする。そいで、主人公の幼馴染で「汗が爆発する」というキャラがいるんだ。
単行本を読んでたらその能力の原理が説明されていたりしてたんだけど、アレやらなくていいと思う。「ふっしぎー!」でいいじゃんと思った。説明しても何の効用も成さない。考え始めたらきりがないから。だって汗が爆発したら皮膚がやばいだろうし、大丈夫な皮膚なんだとしたら厚さとか硬さとかやばそうだし、薄くて柔らかいんだとしても圧力は掛かるんだから血管とか骨とかどうなの?って。

だから、ワンピースでは一切の説明をしない。一切の説明をせずに光の速さで人間を蹴っ飛ばす。手から光を出して、それを剣にして戦ったりする。すごい。
でもFateでは「幾重にも重なる空気の層が屈折率を変えることで覆った物を透明化させ、不可視の剣へと変える。」とか説明しちゃうから「馬鹿じゃん?」ってなってしまう。科学的な話をするべきではなかった。(※Fateという作品に触れたことがないから、実際どういう描写がされていたかは知らない。ごめん。)

原理説明をしたいんだとしたら飛龍昇天破くらいがちょうどいいかと思う。「なるほどね」と思う。

◆物事の正しさ

モチーフにするものには誠意を持たないといけない。電車が登場するなら電車の整合性を確認しなければならないし、宗教が登場するなら宗教の整合性を確認しなければならない。突き詰めるなら、蜘蛛を食べる場面を描くために蜘蛛の味を確認しなければいけない。じゃないとやっぱり説得力は薄いし表現をするにあたっての素材が足りなくなる。

ハードボイルドな洋画を見ていて、主役のスパイが日本語の機密データを手に入れたとする。そのデータの文面に「肉じゃが」とか入ってたら「は?」と思うだろう。日本語が堪能なスパイも「肉じゃが」について触れない。俺たちは(肉じゃが?)と思いながらその映画を見なければならない。違和感のせいで作品の価値が削がれるっていうのはそういうことだ。

◆閑話:音楽

「○○○」って曲があるんだけど、歌詞がマジにクソ。メロディは超いい。
そして中高生に大人気。

それは、いやだ。

その作曲者さんは「カンタレラ」とか良い曲も作っているのだけど、「○○○」はホント歌詞がしょうもない。

××もダサい歌詞を書く。革ジャン着て金髪にしてるブサイク女みたいな歌詞を書く。米津玄師はちゃんといい曲だしてるのに。
支離滅裂な、あるいは狂ったような歌詞を書くセンスが全くない。曲の世界が存在していない。聞いていてつっかかる。それっぽいってだけの中身のない歌詞だ。
平沢進でも椎名林檎でも、ボカロ界隈で言えばトーマでもピノキオPでも、うまい人は沢山いる。比較して××は下手と言える。だけどまー××は中高生に人気だ。なんか嫌だ。

今までの文章を読んでいただけたんならわかると思うんだけど、「人気だから」「活躍しているから」嫉妬して嫌いってわけではないんだ。わかってくれ。

◆閑話:ゲームシステ

ポケモンGOってあんじゃん?俺はいまだにあのゲームやってるんだけど、アレってホントに頭にくるよね。
「ゲーム開発経験のない大学生に作らせました」って感じの完成度だ。いい大人がやっていいことじゃない。しかもポケモンとかいう超ド級IPで。

あのゴミが成功したのは「ポケモンだったから」だ。あとは凡百のアイデアでしかない。普通に仕様を詰めたらもっといいアイデア出るだろお前。と、突っ込みたくもなるが、それが功を奏したともいえる。俺がいまだにこのゲームを遊んでいるのは面白すぎないからだ。楽しすぎたら多分とっくに辞めている。

あんまり深くは掘り下げないけど、ゲームデザインはゴミだしUIはゴミだし「ポケモン愛」がまったく感じられないしセンスがゴミだし「起こりえないだろ」って感じのバグが散見されるしそのバグも年単位で放置されてるしホントひで
最初は外人さんが作ったゲームだと勘違いしていたから許せていたけど、日本人が作ったっていうのを知って呆れかえったね。ゲロ吐きそうになった。日本の恥部。馬鹿がつくりましたと説明されたらそれに反論する余地がない。

株ポケは怒っていいと思う。自社のキャラクターを切り売り可能な商材あつかいされてんだぜ?「進化する幻のポケモン」っていうネタを延命に使われてNDK?
それももともと不具合ばっかのゲームだったからバグ扱いで処理されそうになってたし。

ってかイーブイにアメを25個あげたらランダムでシャワーズやらサンダースやら唯一王に進化するって…
そんな…そんな馬鹿な話ある?消費者をナメすぎだ。開発者は幼少期にポケモンをプレイしたことがないと断言できる。
ポケモンをプレイしたことがない人にはなんのこっちゃわからんと思うが、色々沢山いるポケモン一匹一匹それぞれ各々について、世界中のポケモントレーナーが何百億時間のキラキラした物語を持っている。ゲームを一日一時間しか遊べなかった幼気なガキは攻略本が3つに分解するレベルに読み込んで「イーブイはしんかのいしで進化するのか」って思ってたんだよ。イーブイがランダムに進化するっていうのは、その思い出を「公式」の名を冠して侮辱するような極めて下衆下品下劣な行為だ。ケムッソと勘違いしてんのか?フーディンカイリキーゴローニャゲンガーも「つうしんこうかん」でしか進化し得ない!ヌケニンツチニンを進化させたらいつの間にか手持ちにブチこまれててビックリさせられる1粒で2度おいしいポケモンだし、HPは1だ!ふざけんな!それだけじゃねぇぞ!他にも…

ってなもんよ。俺はそのへんをそもそも期待していないから賢い。あんまりポケモンだと思ってない。最初に乾いた笑いが出て、それっきりさ。
彼らはポケットモンスター(ちぢめて『ポケモン』)という生き物がいると思っていないんだろうね。ポケモンはデータだ。トトロはいないしラピュタも無い。

ゲームの離脱率もエグかったろう。だってつまんねぇんだもん!
開発初期段階でゲームデザイナーをクビにしてもっと真面目な体制で作ってたら「悪い意味での社会現象」も起きなかっただろうしコンテンツの成長にかなり寄与しただろう。

もったいないね。

あとー、ちょっと長くなっちゃったけど、どうしても言わせていただきたいのが、音!ありゃホント聳え立つクソ!つまりBGMとSEがクソ!漏れなくあまねく漏らされたクソ!作業者があんな音源持ってきたら突っぱねて「アホかおまえ!」って耳元で叫んでビンタした後でクビにして実家に「産むな!」って抗議の電話した後に泣きながらソイツのデスク灯油で燃やすわ。

◆閑話:キャラデザイン

星のカービィ スターアライズ」というゲームをプレイしたんだけど、敵キャラのデザインがイケてない。カービィシリーズのキャラデザインは年を追うごとにわるくなっていってる。

過去のキャラ、すなわちデデデ大王に始まり、メタナイトだのダイナブレイドだのゴルドーだのっていうキャラクターのデザインは…うまく言えないんだけど切実なデザインになってると思う。ゴルドーなんて「針の付いた玉じゃん」って言いたいかもしれないが、俺はアレをセンスのあるデザインだと感じる。見事だとも思う。2Dゲームにおいて「当たるとダメージを受ける障害物」を考えた時に、なかなかあぁは成らないだろう。

その点、マリオは最新作でもしっかりしていた。ギャラクシーでも3Dワールドでもオデッセイでも。今までの「マリオ」に無い感じのキャラデザでも、例えばオデッセイというゲーム全体で考えた時のイメージは適合している。

ポケモンも何だかんだ言われてるけど逸脱はしてないと思うよ。大丈夫。

でもカービィは残念な感じ。デザインに思想、バックボーンがない印象を受ける。中高生ウケはしそうな感じではある。中高生並みの感性の人が考えたっぽいというのが正確か。

…むしろ先に小学生ウケを狙うべきでは?

とか何だかんだ言ったところで俺はデザインの勉強をしたことがないから、何がダメなのかを指摘しようとしても如何ともし難いのだけれど、カービィのデザインは年々劣化している。素人の目に見えるほどに。スターアライズの新ボスを今までのカービィのキャラクターに含めたくない。あんなん商品展開されても全然ほしくないもん。だせぇし。

デザインの当て勘がある人が見ていてあげないとダメなのかもしれない。世界相手のプロダクトなんだからもっとガチれよ。80点狙ってどうすんの。

◆そも

なんの話だったか。

そう。プロなら曖昧な覚悟で曖昧なもの作るなって話よ。やれないのにやれると思ってやるな。やる前にやれるか判断してやれないならやれる人にやらせろ。(早口言葉)
やりたいんならやった後にレビューしてもらえ。「やった」で終わるな。まわりの人間が意見してくれないんなら信頼が足りてないんだから生き方を見直せ。継続してきたプロジェクトの根幹部分を若手に任すな。単発で起用しろ。

ほんともうね。殺すぞ。

いや殺すぞは言い過ぎたけど、ほんと殺して埋めるぞ。

こんな時代じゃあ手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた」って、そんなの悲しすぎるし、そんな考えで人の心を動かそうってのは破廉恥だ。そこのアンタも簡単に心動かされてんじゃないわよ。感性が雑か。良いものに触れに往け!

さっきも言ったけど、なんでこんな怒ってるのかって、「真剣に作っている人がかわいそう」だからだ。雑な仕事は信念をもって仕事をしている人の邪魔だ。ゲームに携わる人間なら岩田聡ってひと知ってるでしょう?でも知ってたらポケGOみたいなものはとても作れないはずだ。

「賢くなれ」とか「聖人になれ」とか、そんなことを言ってるんじゃないんです。頭の良さじゃなくて…ただ真摯な気持ちでちゃんとやってくれ…
苦しむ必要はないから、せめて「いいものを作ろう」って思って、うんうんと悩んでくれ…

◆ストーリーの消費者は

簡単にカラダを許してはいけない。

なぜか。それはストーリー業界(造語)が劣化するからだ。まかり間違って欠けた茶碗なんぞを褒めてしまったら茶碗業界(存否不明)は劣化していくだろう。マジにやってくれてる職人は馬鹿らしくなって離れていく。当然の帰結だ。

逆に、良いものはどんどん高評価しなければいけない。インターネットの病として「低評価時だけ評価する」っていうものがある。俺もそうなんだけどね。文句はぶつけたいんだけど感動したときは評価を忘れる。悪いものをディスってる人はネットに沢山いるけど、対比して良いものを評価している人は少ない。気を付けよう。

また、良いものを評価するためには他の物を知っていなければならない。スマホ太郎というストーリーしか存在しない世界に生きてきた人は当然それを絶賛するだろうし、オトナ帝国の逆襲を正当に評価することはできない。評価しようにも語彙がない。

ストーリーに限った話ではなく、こういうクソチンカスブログ記事は断罪しなければいけないし、コンビニで買った傘が意外とクオリティ高かったんなら評価してあげなければならない。

◆結論

ガリガリと書いてきたけど、実際に作ろうとすると難しいんだろうね。

偉い人は言いました。

ほならね?

だけど言いたかったから言ったんです僕は。
お前も言いたいんなら言え。

じゃあな。