題材が良識疑われるタイプのHENTAIものなので擁護意見が少なめ。だから持ち前の逆張り精神でいらんことを話す。
◆QAコーナー
Q:書店の漫画コーナー、つまり子供の目に触れる場所に置いていいですか?
A:置いてよいです。なぜなら、置いちゃダメじゃないからです。置いちゃダメではない(二重否定)すべてについて、書店の漫画コーナーには置くことができます。
Q:置くべきですか?
A:知るかよ。置きたいなら置けばいいし、置きたくないなら置かなければいい。ただし、なにかしらのクレームはお客様から頂戴する可能性が高いでしょう。まぁ何を置いてもクレームがくる可能性はあるだろうけど。不快に感じたお客様はもう店には来てくれなくなるかもしれないし、かたやあるお客様はそのPOPを見てもっと店に来るかもしれない。
Q:置いた書店を批判していいですか?
A:批判してよいです。なぜなら意見を表明する権利があなたにあるからです。同じく、批判したあなたを批判する権利が万人にあります。
Q:置いた書店を批判するべきですか?
A:批判するべきとまでは言えないです。なぜなら、書店に置いていいもの全てを置く権利が書店にはあるからです。
Q:ところであなたはどう思いましたか?
A:ひっぱってあぁなったら笑ってしまいそう。バカバカしくて予想外で面白いが、下品だし嫌がる人がいるというのも理解できる。ごちうさリプトン事件はごちうさについて知らん俺でもドン引きしたけど、これはそういうキャラクターなんだろうからドン引きまではいかない。エロっていうか下ネタな感じなので興奮も別にしない。例えば女エルフじゃなくて美少年とか筋骨隆々の男がイキ顔で放尿してても同じ反応になりそう。笑う。子供が遊んでたら「うーわぁ」と思うけど、それ以上は別に何も思わない。なぜなら何も起こらないから。
◆キモいのでエロいので
キモいことエロいことを理由に、置いていいものを置かせないということは出来ない。それを許したらなんでもありになっちゃうから。置いてはいけないものとは、置いてはいけないと法律や条例で決まっているものだけ。
キモいとかエロいみたいな感想は「不快である」という感想に集約される。そういった不快に感じられるものについて、法的な裏付けなしにゾーニングを強要することはできますかね?黒人の肌の色が不快だったら使う蛇口を白人と分けますか。女装する男性や男装する女性が不快と見做される日が来たらどうなりますか。
ゾーニングしろという要請が不快に思われた場合、「ゾーニングしろ」をゾーニングせねばならんのではねぇか?表現を抑えることには慎重にならねば。Twitterで感情を表明するのはいいんだけど、真に受けたような行動をしている輩が多くて不穏だ。
◆子供の教育に悪い
子供の教育に良くないみたいなことをおっしゃる方もいらっしゃいますけども、根拠が希薄すぎて反論すら浮かばない。エルフがションベンをぶっぱなすPOPを見せて教育に影響を及ぼせるんなら、学校なんて要らないわ。誰の人生がどう悪化するというの。これで歪むほどの可塑性なら他のことで既に人生変わってる。
教育に悪いかどうか調査をするんだとして、何百人かの子供を集めて書店であのPOPを見せて触らせたり、あるいは見せなかったりしてそれぞれ追跡調査して性犯罪率でも測るか?
俺はそれを馬鹿馬鹿しいことだと断じます。
何か変わるわけはないのよ。逆にこういう些末なことが子供に多大な影響を及ぼすとか考えている親が心配になる。子どもの感性や人生を親がどこまでコントロール可能だと思って接してるんだろう。性的なものが見えない清浄な世界で育てられた子供がコミュニケーション不全に育って強姦事件や通り魔事件を起こしてなかったか?
◆線引き
ゾーニングさせることも可能ではあって、つまりラインを明確化すればいい。何がOKで何がNGなのかを、NGにするべき根拠をもってして規定すれば、時間はかかるだろうけどゾーニングは達成されるでしょう。例えば丸出しの性器は
- 徒に性欲を興奮又は刺激せしめ
- 普通人の正常な性的羞恥心を害し
- 善良な性的道義観念に反する
として公然と陳列できないのだから。
決まりがあれば守ることを強制できる。そうでなくても、まずゾーニングとか規制を要請する人々がラインを提示すればそこから議論ができる。逆に言えば、根拠を提示できなかったりラインをひかないならクレーマーでしかなく、お気持ち表明と揶揄されてしまうのは仕方がない。
「こんなもの掲示していいと思ってるの?」はクレーマー。「これこれこういう理由でこれを掲示することは法に反している」は社会人。例えばボーイズラブの出版社が成人向けにすればいいものを一般向けとしてBL本を出版しまくって東京都の条例により不健全図書扱いされていたでしょう。正しいフローを踏めばゾーニングできるんです。
小便小僧とエルフ先生の間には、何かしらのラインがあるはずだ。そのラインを見つけ出すことからゾーニングは始まるはず。
◆「女性を人として考えてない」
TSUTAYAでバイトしてたとき男がお漏らしするBL本とか少なくとも4種類以上は扱ってたよ。男性の排泄も女性からエロだと思われてるよ。男性アイドルの尿を浴びたいとか唾を飲みたいとか言ってた女性ファンもいたよ。というのはいいとしても。
憤るのは結構だが、自他境界が曖昧なのは危ない。三段階くらいあるはずの境界を全部を溶かして飛躍した被害者意識に浸っている。いや、そもそも自他境界が曖昧だから憤っているのかもしれんな。不快に思うのまでは分かるけど憤るのは理解し難いかも。ただ、男って公衆トイレでペニス丸出しで小便してるから尿とか見られることについて寛容すぎるのかもな。
いや寛容すぎるってなんだ。寛容がフラットなのではなかったか。女の小便も立ってできるようにすれば余計な気を張らなくてもいい世界になんのかな。
あと、引用することによってより多くの人の目に触れることになってるのはダメなんじゃないの。彼女らの理解としてゾーニングされるべきものを拡散してんだから、自分が加害者になっちゃってない?
◆AV女優をゾーニング
放尿POPにクレームを出す人がいるのは想定できるが、「AV女優はメディアに露出するな」とか言ってるのは驚いた。教育に悪いみたいな理由になってない理由でこんなことを言えるのか。元AV女優でも駄目なんだらしい。
人間に対してゾーニングされろとかって言えちゃうのは恐ろしいことだ。文字通り「女性を人として考えてない」。少なくないアカウントがこれと同じようなことを言っている。こわい。
◆ゾーニングされてたのに
いつだったか忘れたけど、ゾーニングされてた水着撮影会も中止に追い込まれてたな。謎だった。未成年者がいたとか言われてるけど、未成年者の水着ってそんなセンシティブなものなのか?あるいはマイクロビキニとかだったんだろうか。それなら理解もできる。調べてないし調べる気もないんでわからないけど。
◆炎上商法
炎上商法としては成功だっただろう。女性の尿に興奮する変態に売れます。売れるので需要があると見做されて連載が続いたりします。
嫌なら、こんなもん触れないほうがいいんじゃないの?実害があるなら声をあげて戦えばよいが、何も起こってないんだから。
◆不快とどう向き合うべきか
子供のころ女性下着売り場がなんだか苦手だったんだけど、女性下着売り場ってゾーニングするべきっすかね?奥まった場所に、見えない場所に売り場を作らねばならない?男性にとっては少し気まずいものだって主張したら果たして彼女らはゾーニングに賛同してくれるだろうか。
化粧品売り場の匂いで吐き気がしちゃう人もいるから化粧品売り場だってゾーニングすることになる。ホラー映画が苦手なひとはホラー映画の情報すべてについて認識したくないだろうし、恋愛映画や恋愛ドラマのCMとか俳優を見て不快感に苛まれてる人もいるけど、ゾーニングします?
ある程度の不快感なんて、みんなスルーして生きてる。誰かの権利と自由を陰に陽に認め合って生きてる。眉くらい潜めていいしTwitterに書き込んでもいいだろうけども、HSPとかパーソナリティ障害を持った人の過敏さや強迫観念に付き合い続けて互いを認め合えなくなって自由を縛り合ったら社会のコストが肥大し続けまっせ。
不快な事物を認知したとき、対象が実際に不快なのか、あるいは不快に感じる自分の心が壊れているのか。それを立ち止まって考えないと困ったことになるでしょう。スマホに繋いだスピーカーから音が出ないときに何も考えずスピーカーを買い替えるわけはない。スマホが壊れていた場合、スピーカーを買い替えても何も解決しない。心を治して解決するんなら心を治さねば。
◆考察の考察
なるほどと思う部分もありつつ、遠いところの話をしている。たといエロくとも禁止できるほどのエロさがどこにあんだよと、直接的あるいは揶揄で問われているのに、それを理解できていなかったのかという気づきになった。
あと
ある社会で生産・消費される表象と、その社会との関連や相互作用が理解できない人
表象の力を理解せず、軽んじる人
これ。煙に巻くことすらできてないぞ。「その絵はあなたではない」「たかが絵じゃんw」に対するなんの反論にもなってない。鳴き声だ。
そして、胸の大きい広告モデルを燃やしてたのは何だったのか。
「胸強調広告」「性を売り物にしている」と批判され…ネットでよく見る“フリー素材モデル”が明かした誹謗中傷のトラウマ | 文春オンライン (bunshun.jp)
これの説明付かなくない?なんでこれを燃やしたか説明できる?あ、そういえば人間をゾーニングしていいっていうルールなんでしたっけ?であれば分かるわ。ホームレスとか黒人とか同性愛者とかゾーニングしていいんだろうね。部落でも作ってそこに押し込めば満足してくれるのかな。ふざけんなよ。
◆結
キモいものについてクレーマーはクレームしてくるものだ。でもクレーマーのせいで正しい批判も見出しづらくなり話の本筋も見えなくなってしまう。クレーマーの抗議に真面目に向き合ったって、クレーマーはまた次の獲物を探してうろつくだけだろう。そうなったら我々は正当な抗議にも向き合えなくなり、向き合ってもらえなくなる。
この社会で何が許されて何が許されないのかを、ある程度は意識的に捉えて物事を見るべきかも。キモいものを禁止できるかどうかの判断を個人でできるとか、思い上がりも甚だしい。
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