あるいは「ゆっくり茶番劇」騒動で思い出されたこと。青空文庫のこと。
◆イキサツ
- 「ゆっくり茶番劇」という形式をとった動画がニコニコやYouTubeに数多く投稿されていた。
- 柚葉という人物が「ゆっくり茶番劇」という言葉を商標として登録した。
- 防衛的な登録ではなく、「使うときは申請して金払ってね」とかほざき始めた。
- 炎上した。
みたいな。以下ねとらぼのまとめ。
- 人気動画ジャンル「ゆっくり茶番劇」を第三者が商標登録し年10万円のライセンス契約を求める ZUNさん「法律に詳しい方に確認します」(1/2 ページ) – ねとらぼ (itmedia.co.jp)
- 「ゆっくり茶番劇」商標取得者の代理人が謝罪 「皆様に愛されている商標であることを存じておらず」「爆破予告については直ちに通報致しました」(1/2 ページ) – ねとらぼ (itmedia.co.jp)
- 「ゆっくり茶番劇」商標取得者が「使用料の支払いは不要」 権利は保持すると主張(1/2 ページ) – ねとらぼ (itmedia.co.jp)
◆YODAN(読まんでよし)
そういえば、ねとらぼってなんか漫画家と著作権的なほにゃららを起こしてなかったっけ?と思って調べたら以下記事を見つけた。
- 漫画『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』について、編集部の見解 – ねとらぼ (itmedia.co.jp)
- 漫画『とある新人漫画家に、本当に起こったコワイ話』について、飛鳥新社に強く抗議します – ねとらぼ (itmedia.co.jp)
そんなところだろうなとは思う。複数の人間と関わってトラブル打率が高すぎる場合は、本人に問題があるのが普通だろうて。ただまぁ双方とも会話内容を残していないし何とも言えん。双方の一方的主張じゃわからん。脳内で無意識的に話を変える人もいるし。
表面的には飛鳥新社が特にヤバそうに伺える。アクションがおかしい。公式の声明を責任者の記名もなくTwitterで画像として貼っ付けるのはありえん。日本語が変だし書いてある内容が幼稚だし広告用アカウントだし。ムーブがおかしい。だから佐倉色の主張も(一部)信じられない。
なんにせよ/どちらの結論に落ちようと出版業界はやばいんだろう。志学社の代表を務める平林緑萌っていう精神ヤバい人も元気にTwitterやっとる。
話を戻す。
◆本件から連想したこと
ゆ虐が結構好きで前はよく読んでて、
みたいな話もあるけどそうじゃなくて。
なんらかの「可能なこと」があったとき、それをしていいのかという話。知らない人が大切にしている文化や想いに対してどういう態度で向き合うべきなのか。それを話したい。
◆青空文庫
昔から、すげぇやることないときは青空文庫というサービスで著作権切れの本を読んで暇をつぶしていた。あるときふと、青空文庫のサイトに「直面した課題」なるページがあることに気づいたんすね。
ふんふんと読んでたんだけど、その中にある「『ヴィヨンの妻』著作権侵害未遂に関する報告」という文章を読んで、当時中学三年生であった俺は泣いた。全くもって泣かせにきているような文章ではないんだが。
なんで泣いたかって、それは行為に血が通っていたからに他ならない。倫理観に共感できすぎて泣いたんです。下手をすれば面倒くさがって端折ってしまうような地道な手続きだが、見ず知らずの人の感覚にとてもうまく寄り添って正しい行為をした。だからその経緯だけで泣ける。
かたや血の通わない行為のほうが簡単で、短期的に見て合理的で、魅力的に思える。ゆっくり茶番劇の話もそうだし、コンサートチケットやらガンプラの転売がそう。撮り鉄が人に迷惑をかけるのもそう。
なにもかも私心でやる人が何時の時代にもいて、妙な行動力により極めて余計なことをしてくれる。
他人を手ひどく煽り散らすことが大好きな俺が言うことでもないけど、寂しい話だ。ゆっくり茶番劇の商標権を取って人生がどうなるというの。お金が手に入ってそれが何になるのって。有名になって幸せになれるのかって。何に幸福を感じて日々生きてんの?
◆行為に血の通うこと
1997年に青空文庫をインターネット上に開設した富田倫生は、IT技術者にとってはパソコン創世記(当然ながら青空文庫で読める)の著者として有名。青空のリスタートも面白い。
※富田倫生は2013年、肝細胞癌により61歳で永眠。
俺がOSS(オープンソースソフトウェア)に対して何とも言えない複雑な印象を抱いているのは、青空文庫の達成したい理念とか困難が体に刺さっているのが一因。何かを成すときに踏み外してはならん道があるということを知ってしまった。物事を正しく実行するために必要な信念の量は、俺が思っていた以上に大きかった。
繰り返しになるけど、「著作権者がわからねぇから載せちまえ」というイージーな判断も可能だったはずなんだよ。でも、何より文章を書いた故人や遺族の心情に対して想像力を強く働かせ、なおかつ大義のために自腹を切って活動をしたのは正しすぎる。信念が正しく機能している様子は泣ける。
自分の欲望のために生きる無邪気な人が多い世の中で、そんなものを見せられたら泣く。たまに善意を持ったひとがいても倫理観を持ち合わせていないことが多いし。自分が倫理観を持っているかどうか判断付いていないのに「正しいことを支持している自分は正しい」とか主張して憚らないポリコレのSNSに多いことたるや。
法律もパソコンも、意図が善意であれ私心であれ使う側の無神経でつまらない道具に成り下がる。幸福を生みたかったみんなが作ったもので不幸を生産する人間が現れてしまう。
インターネットなんて昔は誰も興味をもっていなくて、きっとスジのいいオッサンばっかり集まっていたんだろう。でも広く使われすぎて血の通っていない人間がとてもとても多くなったんだろうな。
宝を天に積んできた先人の祈りを想うと、いま余計なことをしている人たちの存在が悲しい。なぜそうなってしまうんだろう。なぜ人の気持ちや都合を想像して擦り合わせをしないんだろうか。間違っているよと言われてそれを道理と思うなら、改めねば。そうだろ。
◆結
なんのために生きてんだっつって。ほんとに。
上島竜兵が死んで、あろうことか有吉を叩きに行ったクソアホもいたし。信じられん。ある人間の振る舞いをみてその性質を見通せない輩の多いことったらない。いや、多くはないのかもしれんけど。とにかく目障りなんだよ。
じゃあもう人を見る目について今度書こうかな。「血が通っている行為の割合で判断できます」で終わる話なんだけど。
匿名
ゆ虐好きノリノリでカミングアウトするのアングラ好き拗らせてるみたいで痛々しいのでやめた方がいいですよ
匿名
うるせえ