今日、会社で新規事業のアイデアを数人に聞いて頂いた。それについて思うところがあったんで、反省みたいなものを書く。

伝わらないアイデアについての話だから、お前にも伝わらないだろう。そこまで具体的な内容にも触れない。だから読んでも面白いものではないかも。

◆内容

「Webサービス作りたいわ」っていうハナシ。

ちょっとだけ特殊なWebサービスで、以下の性質をもつ。

  • 任意の1つの課題を解決するWebサービスではなく、「ある課題を解決するサービスを作る」という課題を解決するサービスであった。
  • 「ある企業」が運営するのではなく、企業や個人が自由に参加して、協力のうちに構築されるプラットフォームであった。

◆個人的な思いのレベル

サービスの概要、構成を考えてるうちに「なんでこれ無いんだ?」って思ったレベル。無いと不便だし、ツラい。

◆説明の結果

多分五割も伝わってなかったんじゃないかと思う。そんな気がした。わからんけど。もっと伝わってたのかもしれん。

◆説明感

俺が作りたいものについて、(相手は違うけど)かれこれ4,5回話してるんですよ。でも誰からも納得した感じを得られていない。なにこれ。

説明の方法を随時バージョンアップさせているんだけど、伝わらない。でも今までの中では一番伝わったと思う。

ネックだと改めて感じたのは、「なんでもできる」こと。逆に、なんでもできなければ成立しない。不定形である。つまり、参加者が集まり、話し合って、そのプラットフォーム自体を一定のルールで自由に構築することができるのだ。

そして「なんでもできます!すごいでしょ!」という説明の仕方はしなかった。「こういうものを作ります」という説明さえできれば「それって何でもできるじゃん」という理解につながると思ったからだ。繋がらなかったみたいだけど。

そして当然、「なんでもできる」ものは「なにができるの?」という話になる。

「理屈編」「実装編」でパワポを作って説明したんです。つまり「何をしたいか」と「どういうルールを制定すればよいか」「例えば何が出来るか」の話だ。

◆理解感

部分的に理解されたが、やはり全ては理解されなかった。

ちょっと戸惑ったのが、一度説明したことについて質問、指摘があったということだ。

「結局なにが目的なのか」とか「どうマネタイズするのか」とか「どう人を集めるのか」とか、全部ざっくりと説明がなされていたりする。スライド戻して再度同じ説明をすると「あぁ…」って感じになる。

不安に思って「回答として合っていますか?」という確認をすると「うん…」みたいな。納得したようなしてないような感じではあるが、理解しようとしてくれていた。

そういうやり取りを進めた結果、おそらく一定の理解を得た。

サービスに対する疑問質問には概ね淀みなく答えることが出来た。これは当然で、数年考え続けた結果だったからだ。

最終的に議論は「理解が出来ない」ということと「これをどう説明するのか」「どう開始するのか」についての話に収束していた。

◆懺悔

そもそも、説明しきれていない。

「新しいサービス」を破綻なく構築するために、「新しい概念」が必要になったりしている。構成要素も多い。また、相互に関係しあっているから、要素の存在理由まで全部さらうことは到底無理。

「超考えた結果がこれらなんです」ってことを、どう伝える?「めっちゃ考えました」の成果も人によるものだし、どれほど練ったのかを相手に伝えることは難しい。全部脳内で起きた事だから。

しかも、参加者が構築するプラットフォームであるから、言ってしまえば俺の説明したことも可塑なのだ。都度変更が発生しうる。

◆失敗

「これはSNSです」という話をしてしまった。これは、正しいんだが愚かしい説明であった。

SNSと言ってしまうと、誰しも「今あるSNS」を想像してしまうだろう。そうじゃなくて、俺の話している「SNS」は「Social Networking Service」だった。

既存のSNSとは全く異なるモノであるのに「Social Networking ServiceだからSNSって説明すりゃいいだろ」と、甘えたのだ。

だから「マストドンとは違うの?」とか「2ちゃんねるみたいなイメージ?」という、いらぬ誤解を発生させてしまった。

◆説明力

話はうってかわって。

例えばね?「俺は半導体を光らせたい。お前は?」って聞かれたとする。その時に「光らせたい!」と思うか?

これは、思う人と思わない人がいるだろう。この質問レベルだと、意図を理解できる人はかなり限られよう。俺も「どういうこと?」と聞き返すだろう。

半導体が光るとそれは即ちLED、発光ダイオードだ。

そして、ご存じの通り白熱電球蛍光灯も光る。

以下のやり取りと似たようなことが起きたと思えよ。

俺「こうすれば半導体が光ります!」
相手「いや、白熱電球も光るよね?」

俺「温度が低いです!」
相手「蛍光灯も結構温度低いよね?」

俺「小さく作ることが出来ます!」
相手「ナツメ球も小さいよね?」

俺「省電力です!」
相手「消費電力が大きいと不都合がある?」

俺「長寿命です!」
相手「販売数が減るのでは?」

俺「チラつきが無いです!」
相手「チラつきは目じゃ見えないじゃん」

…気持ちわかる?

「違うんだ…」と言いたくなる。そういう事じゃないんだ。
俺には説明力が足りていなかった。工夫する必要があるなぁと思った。

だけど、超理解を示す人もこの世にはいるだろうなという感じはする。

あと、話は変わるけど高純度のケイ素を円柱状にしてから厚さ1㎜で輪切りにしたいと思わないか?いいアイデアだろ?

◆自省

Q:俺の案はそもそも筋の良いものであるか。

A:良いよ。良いはず。

でも所詮は自己評価だね。さらに言うと伝わってないし、伝わっても「そんなもんか」ってなる可能性もある。どうなんでしょうね。作ってみるまでわかんないね。

良い言い方をしようとすれば「先進的過ぎて伝わらない」になるのかも知れないんだけど、それも違うように感じる。俺にとっては「あって当然」だし「ないと困る」ものなのだ。ないと困るものの説明が難しいとはこれいかに。

でも、「この案について全く考えていなかった別世界の俺」がいたとして、そいつに俺が説明したら数個の質問でもってほぼ完ぺきに意図まで伝わるように思うんだよね。「こういうこともできるよね」くらいの意見は出してくれると思う。それは人生の経験によるものであろう。

◆課題感

「自殺すると誰が困るの?」という質問があった。ブレストみたいなもんだから、他意はないです。「他人の自殺は誰の抱える問題であるか」という意味だ。

これに「俺が困ります。」とカンマ0秒で即答したら、ちょっと笑いが起こった。嫌な感じではなくてね。

笑う気持ちもわからんではないが、自殺はすなわち社会の問題なんですよね。不幸の根底についてずっと考えている俺が断言するが、赤の他人の自殺は俺の問題だ。

もっと分かりやすい例でいうと、タバコは誰の問題であろうか。

「税金多く払ってるんだし、自分がガンになるだけだから好きに吸わせろ。」っていう意見があったとして、それはおかしいだろう。
医療費は嵩むし、住宅火災の最大の原因は寝タバコだし、タバコを売るために在庫スペースが圧迫されるし、「路上喫煙禁止」のマークを印刷するために莫大な金がかかるし、タバコの製造、運送、消費に多大な電力が消費されるし、吸った後の匂いが移ってモノの価値を低下させるし、青少年のホルモンは攪乱されるし、「喫煙スペース」の無駄な土地利用とか、禁煙セミナーに時間や金が消費されるし、まだあるけどマイナス要素は本当にいくらでも挙げることが出来る。

それらが総合して、ありとあらゆる方面の足をひっぱっている。現在のお前の幸福を奪っているし、不幸を作っている。が、人によって課題の課題感は違う。道徳観も違う。だから根気強く「幸不幸の導線」を説明しないと伝わらない。

◆シナプス

ある道具があったときに、「それで何が出来るか」というのをポンポン思いつく人がいるだろう。ナイフで出来ることはリンゴの皮むきだけではない。桃の皮をむくこともできるし、大根の皮をむくこともできる。頑張ればメロンの皮もむける。すごい。

また、あるルールのゲームがあったときに、「この場合はどうなるの?」とかいう質問がすぐに思いつく人もいるだろう。ルール内で突拍子もない振る舞いを可能とする人もいる。ルールを変革して新しいゲームを作る人だっていてもいい。

じゃあ、一定のルールのもとで全てが使用者の発想にゆだねられている道具があったとき、その価値はいかほどだろうか?それは、人による。発想力による。

そしてルールによるだろう。今回俺が説明を試みたのはその「ルール」であり、「可能性」だった。可能性の使用例についても話したけど。

頭のいい悪いじゃなくて、例えばジャングルで自給自足の生活をしてきた人のほうが植物の使い道についてよく知っているだろうし、ひらめくだろう。

◆俺の案は今後どうなる

手ごたえとして悪い感じじゃなかったから、より現実に落とし込んだ形にして再度発表の機会をいただこう。人が集まらなかったらどうしようって感じではあるが。

◆結論

コミュぢからとはまた違うところで、なにかコミュニケーションについて悩んでいる気がした。なんでこういうことになるんだろう。同じ人間のはずなのに。