最近なんか俺ってブログ書きすぎ。多感な年頃かよ。
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生きてきて「これ俺にとって重要です」と思った単語を挙げておく。
思うことがあったら随時ストックしていこう。
◆幸福
人生の目標。それも「自分の幸福」が何よりも重要だった。自分の幸福を最大化するために何もかもやらないといけない。じゃないと、何も残らなくなるどころか、辛くて独りの人生になる。
「他人の幸福をすべて後回しにするべき」という結論が非常にお気に入りだ。自分の幸福だけを一生懸命考えたとき、どうやっても「他人を幸福にする必要がある」という結果にしか行き着かない。これは非常にうまく世界が作られているなと思った。
神が世界を設計したとして「これはいい実装したわ」と思ったんだろうな。大見当違いだよ。みんな殺しあってるぜ!
幸福全振りで生きていかないといけない。つまり、「過ぎたるお金」とかっていうのは割とどうでもいいし、人気とか名誉とかもどうでもいい。それらの「ふろく」にかまけているとクソ人生になるし、悪くすると大量の他人が不幸になったりする。
一番幸福が充足される場所に行かなければならない。長期的な視点で。
◆長期的視点
そう。重要。わかってるなさすが。
短い時間の幸福を考えるとやられる。つまりエスカレーターを使うとやられる。階段を使う。なぜか。骨密度があがるからです。なぜ骨密度を(以下略
人間は非常に短期的視点に囚われやすい。「エスカレーター使っていいんだっけ?」とか思ったことないだろ。でも、50年後に「畜生!なんで転んだだけで骨折れるんだ!」とか「畜生!なんで5年前に歯を磨かなかったくらいで虫歯になったんだ!」とか「畜生!なんで働いてたのにクビになったんだ!」とか「なんで貧乏なんだ!」とか「なんで信じてたのに裏切られたんだ!」とか容易に文句垂れるでしょう。楽するほうを選んだのは自分なのに。そういう全てを疑ってくれ。
◆切実
切実かどうかが重要で、善悪とかってそんなに重要じゃないと思った。善いことでも悪いことでも、切実なら半ばしょうがない部分がある。
切実じゃないのってつまり「インスタ映え」とか「転売」とかの事だ。
切実じゃない行為があったとしたら、それはつまりやらなくていいことなんだよ。何にもならない行為。
「切実」は泣ける。どうでもいいことでも切実なら泣ける。切実すぎて震えることがある。
どうやったら切実じゃなくなるかというと、目的を見失えばいい。他の事に気を取られればいい。で、「目的っていろいろあんじゃん」って話になるんだけど、俺の至高の目的は幸福になること。至高の目的があると超便利。なぜならそこから全ての理論を逆算することが出来るから。
「どうすればいいんだっけ?」にぶちあたったとき、「しあわせになるためだから…こうなって…こうか」とブレない思考をすることができる。ただマズいのは思考が及ばない部分がどうしても発生すること。思考が及ばないと他人の幸福を毀損することになる。
他人にとっての他人は自分だから、つまり自分の幸せを毀損されても文句を言えなくなってしまう。でもみんな幸せを消されることは嫌だから、それで戦争になってしまう。
逆に、自分をある程度削ってでも人を幸せにする行為は最高だ。幸福を与え続けることができれば一生負けない。他人がどうなろうと自分であり続けることが出来る。他人を正確に幸福にできていないと、いつの日か負ける。
幸福から始めれば全部を切実にできて無敵。
◆誠意
切実と近いな。誠の意(こころ)。
虚偽と一線を画すし、言い逃れの余地がない。
クロネコヤマトが「賃金未払いあったわ。すまんな。」と発表したとする。これは誠意のあるなしで言うと「ある」になる。
わかるだろ?それを「クソだな」と叩くのはちょっと違う。「クソだったな」と叩くのが正しい。
ある行為を見た時に、その逆を想わないといけない。黙っていればバレなかったことを正直に話す。これは誠意だ。バレそうになったから、あるいはバレる未来が確定した段階で正直に話すのはクズ。つまり相手を尊重しているかどうかにかかっている。企業視点で言うと顧客を尊重しているかどうか。
「とりあえず…取り繕いましょう」みたいな判断は通してはいけない。負の連鎖にしかならない。が、誠意の逆に思いを馳せる人間が少ないもんで、正直者が馬鹿を見る羽目になったりする。馬鹿が多い集合に対してなら騙していいよ。「正直」というものを評価できない低能が多かったら騙すのが吉。
「ワシントンの桜の木」っていう真偽不明の逸話がある。ある日、ジョージ・ワシントンくんは庭に生えていた大切な桜の木を切ってしまった。桜の木が何者かに切られたことについて父親は怒り、「誰がやったのか」と尋ねた。ワシントンくんは怒られるとは思いつつ「僕が切りました」と正直に名乗り出た。その結果「お前の正直な心には桜千本の値打ちがある」と父親から褒められましたとサ。どっとはらい。
この寓話は、果たして誰に向けたものであろうか。子供に向けて親が話すものだと、そう考える親はうぬぼれている。これはつまり「あなたは自分の子供の誠意を正当に評価できますか?」という、子を持つ親に対する問いだったのではないか。誠意を裏切れば裏切るほど相手はあなたに対して虚偽を受け渡すようになる。だってどっちにしろ怒るんだもん。嘘ついてバレないほうにベットした方が得。短絡的に怒れば怒るほど相手は正直さを失っていく。
◆すまんなええんやでの精神
憎しみが うずまく未来が 僕らを飲み込んでも 信じ合い 許し合える心 いつでも なくさないで
許すことを強制していることばじゃない。「すまんな」が含まれていることに注目していただきたい。
謝れないやついるじゃん?そこに対して「素直に謝れないの?」って発言はずるい。いったもん勝ちの正論だから。「すまんなええんやでの精神を忘れたのか!」と言うようにしよう。
そして自分が悪いときは、「負け」とか「かっこわるい」とかじゃなくて、謝ろうよ。それも「ごめんなさい僕が間違ってました」じゃ…なんか残念だろ?正しかった側としても言われたくないわ。勝ちになっちゃうから。だから「すまんな」でいいよ。
そしたら、抑えて、自分も言い過ぎたなと。「ええんやで」と許す。実に晴れやかで気持ちがいい。
◆理論
理論は重要。説明できないことをしていた場合、素直にやめなければいけない。だけど強い理論でいてこますのも違う。理論が下手な人もいるから。
理論は武器じゃなくて道具だから、うまいこと使って全員が幸せになるように組まなければいけない。
だから、理論をぶつけるときはちょっと譲ってあげるのがコツだ。逃げ道をつくる。あるいは「考える時間をいくらでも与えよう」というポーズをとること。「いや」と否定してから瞬時に理論を突き刺すのはちょっと辛いわ。「うんうん」と聞いて、それもそうだと受け取り、「だが~とも言える」的に返せ。
わからずやに対しては心の臓に刺してからグリグリとねじれ。反論しようとしやがったら言い切る前に塩塗った理論を眼球にねじ込め。
そいで、理論になっていないものを理論として振り回してしまうのは極めて危険。相手をイライラさせてしまうから。理論が下手な人は、とにかく一旦待ってもらえ。整理してから出直せ。
◆好き
すこる。
好きなものがあることは素晴らしいことだ。ないと死にそうになったときに死ぬことになる。鬱になると何かをすこりづらくなる。だから死にそうにもなる。
鬱に詳しくないからこれ以上何も言わないでおく。
好きなものがないと、暇になった時にすることがなくなって、しょうもないことに時間を使い始める。しょうもないというか、ろくでもないことだな。だから一生懸命取り組める何かを探さないといけないんじゃないの。
ほいで、盲目的に好きになってしまうと人生を無駄にする。
「どのレベルまですこるか」をうまくコントロールしないといけない。つまり「アイドル好き!」をやりすぎると他を取りこぼすことになったりする。特定のアイドルがいなくなった時に辛い気持ちになる。殺害予告とかしちゃう。適度にすこれ。依存するな。
その点、「技術すき!」っていうのはどこまででも突き詰めていい。
◆技術
技術は沢山の人を幸せにするポテンシャルを持っている。ITでもバイオでも物質系でも。幸せっていうのはさっきも言った通り切実なもので、それを他者に提供できるという観点から技術は最高だ。
自分の使っている技術が他の人の技術の上に成り立っている時、できることならより下層の技術を追い求めた方がいい。勤務時間とかを超えて勉強できる奴は最強だ。ずるい。
技術はツめている限り無くならない。お金とか人気とか若さとか話題性はいずれ消えて無くなっていくものだけど、技術はなくならない。
技術は、幾らでも好き放題キメれる。しばらく取り組めば楽しくなる。「することねぇなぁ」の時間が消える。
医者先生とか、直接的に命を救っちゃう、悲劇を取り除いちゃうタイプの技術はヤバいな。命を救って人を幸せにして更に感謝されるなんてもう楽しすぎて夜も眠れないと思う。
◆フェアじゃない
フェア。アンフェア。
フェアじゃないのはダメで、フェアなやり取りをしないといけない。有利な状態を無断で作ってはいけない。自分が有利な状態を作る時は「こういうことをしている」という情報を相手に開示するべき。
DPの復活を前転の無敵で回避して対空投げ技で殺害できるならその動画は公開されていなければならない。
公開されたうえで全米一位になってこそ「真の勝者」と言える。
おつりが多かったときは「おつり多いですよ」と言ってあげないとフェアじゃない。
「不平等だ」と叫ぶのはダサい。気持ちは分かるがダサい。やっていいし、俺もやるけどダサい。
◆馴れ合い
クソ。どっからが馴れ合いかって難しいところではあるんだが、まぁわかるっしょ。
悪いものは悪い。これを正直に伝えられなくなったら馴れ合いだ。
馴れ合う為の場所で馴れ合え。外部に馴れ合いを漏らすな。
◆透明性
秘匿のコストはエグい。嘘、犯罪、不都合、利益、プログラム、過去、個人情報とかを秘匿するだろう。最終的には徒労だったり爆発したりするし、疲弊する。法人だろうが個人だろうが秘匿はいろいろなところに波及して悪い影響を及ぼす。だから隠し事をなるべく減らせるように選択をしなければいけない。
「なんとなく…」の秘匿をやめろ。秘匿する理由は確定させろ。できないなら公開しろ。秘匿の理由を発見出来たら、次の段階として「逆に公開したらどうなる?」を算出しろ。
「秘匿するべき」が気のせいだったりもする。言った方がいい。言えるんなら人間関係が発生してから最速で言え。固まってきてから言うのは遅い。壊れる可能性があるなら構築する前に実行しろ。離婚原因になるようなものは最速で言わないと言えなくなる。あるいは相手を試すことになる。
言っちゃダメな事は言うな。ポリスに捕まるぞ。
ポリスに捕まって掘られるようなアレは人を選んでから、構築しきってから言え。
◆ガチ
できるだけガチること。本気になって取り組め。ガチらないと人が困ったりする。
ガチの逆は「だいたいこんなもんだろ」だ。それは誤り。つまり切実ではないもの、結果的に不要だったもの、心に響かないものになってしまう。そこに使ったリソースは幸福を生まない。いくら残業しても全て無駄に終わってしまう。誰も幸福になれない。つまり、逆の視点から見たら「ガチらない」は誰かから幸福にされる機会を手放しているようなものだ。「何のために何を」を芯としてガチれ。普通の神経してる人は芯をもっていないとガチるのは難しい。
ガチる方法を間違えている人が多い。「自分の中の最高」「自社の中の最高」でやろうとしていることが多々ある。真のガチは最大数の人間を動員して最大の時間考え抜いたものだ。一人でガチるっていう発想は有り得るんだけどなかなかにおかしい。ひとりでガチれるのは、例えばパフォーマンス、大道芸とかかな。
自分の思っているガチが正しいのか人に聞こう。ガチる理由は幸せになるため。社会を幸せにして、そこから幸せを享受するため。
◆敬意
敬意の概念を知っているひと全員に対して敬意を持たないといけない。じゃないと話が破綻する。
年上だからって年下を見下すと終わり。上位職だからって下位職を見下すと終わり。客だからって店員を見下すと終わり。親だからって子供を見下すと終わり。見下された側は心を閉じる。
相手が人間的に同列であるという前提のもと、相手を尊重し、相手の言っていることに耳を傾け、相手の事情をなるべく察しながらやり取りをしないといけない。
あえて敬意知らないふりしてぶつけるのもあり。
◆笑い
無いと困るなぁ。
そして、相手を笑わせる能力を持っているのはかなり有利。とっても有利。笑ってもらえると自分も幸せになるし凄い。
でも、センスが無いと辛いことになる。議員とかクソつまらないジョークをパなして謝罪に追い込まれてんじゃん。人を虐めるのが面白いと勘違いしちゃう人もいるじゃん。ギリギリのラインを安易に素人が攻めるのはリスクが高すぎる。
なるべくなら高校までに貪欲に笑いを取りに行き、スベリ倒しておきたい。「ここは笑いをとっていい場面だな」とか「この笑いはコスパが悪いな」という判断をできるようになっておきたい。大学以降でスベるのはやばすぎる。血だるまになる可能性がある。
うまいこと笑いの能力を高めることができたら物事を有利に進めることができる。
コントとかコメディ、漫才をみればいいよ。くりぃむANNを聴けばいいよ。エンタの神様とかバラエティ番組とかは見なくていいよ。
▼事項
- ジョークを言っていい場面かどうか
- 自分はジョークを言っていい立場か
- いままでジョークをどれくらい言ってきたか
⇒総ジョーク量が少ないとマジに取られる可能性がある
⇒傷を少なくしたいなら「すいません。ジョークをいいました。」とだけ言え。 - ジョークは判りやすいか
- 噛まないか
- その場にいる全員に聴こえる声量で言えるか
- 他人の発言の邪魔をしないか
そういう意味だとバラエティ番組とかも見たほうがいいのかもな。人数多い会議とかでジョークを飛ばすのは楽しいしみんな助かるけど結構むずいぜ。
◆プライド
プライドを持っていないといけない。「これは譲れない」という美的センス。持ってないと、良くないものを良くないまま通しちゃうことになる。変な人生になる。
悪い意味のプライド、つまり「ダサくみられたくない」「かっこよくいたい」「モテてるようにみせたい」「友達が多いようにみせたい」「お金持ちにみせたい」っていうのは虚栄心といいます。プライドと混在させないほうがいいと思うんだが。
◆心
心が人間です。だから、心が変形するようなことは避けるべき。つまり薬物やらギャンブルやら暴飲暴食やら日常的なアルコールやらタバコやら過労やらスマホ中毒やら自殺やらをやめろ。そうなりそうになったらガン逃げしろ。誰がどうなろうと逃亡しろ。
心は脳に直結してるから、例えばタバコで脳の血管が収縮すると精神が変形する。肺が汚れて酸素の取り込みが阻害されると脳に酸素を送る効率が低下して精神が変形する。
心を、特に前頭葉を育てるような気持でやろうぜ。替えが効かないわけだし。
更年期障害だとか認知症に対してもっと危機感を持て。精神が変化するというのはつまり自分が消滅することだ。
だから他人の心を変形さすな。いたわれバカヤロウ。いやもう人に限らず犬とか猫とか植物とかもいたわれ。一緒に育てる感じでやれ。
精神障害の人はちゃんとサボらずにお薬を飲め。お薬飲まなくてもいい環境を見つけられた時にだけ断薬しろ。最大限の幸福を取得できるように自分を制御しろ。
◆省エネ
無駄に電気をつかうな。無駄に水を流すな。無駄な労力を使わせるな。有意義に使え。退社すんのにパソコンつけっぱにすんな。せめて、せめてスリープしろ。
用途の為にエネルギーを使え。
◆邪悪
なんかどっかのブログで見た表現なんだけど「なるほどな」と思った。
そのブログではLINEだかのアプリが「邪悪だ」という話をしていた。つまりタイムラインが広告で埋まる状況、友人間で広告を投げさせあう状況を「LINE社は邪悪」と表現したのだ。うまいなと思った。個人的に「悪行」と呼んでいたんだが「邪悪」の方が正しい気がする。
ちょっと前だとDeNAが「WELQ」っていうキュレーションサイトを立ち上げていたな。素人に医療記事を量産させてPVを稼ぎ、検索妨害、虚偽の拡散。結果大バッシングを食らったアレだ。
JCOMが「点検」と称して家に上がり込み勧誘をするアレ。重要でも何でもない手紙(スパム)に「重要」って書いちゃうアレ。Yahooプレミアムの解約が尋常じゃなく面倒だったアレ。
この話題については一本記事が書けるんだけど、つまるところ切実じゃないんだよな。金を稼ごうとしてああなった。「何のために」を見失うとこういう「世界を後退させる行為」をすることになる。
◆真摯(しんし)
切実とか誠意とかと近いように思えるんだけど、やっぱりちょっと違っている。「真剣」ともまた少し違う。
真摯っていうのは放っておくと埋もれるものです。だからなるべく頻繁に掘り出してやらないといけない。あるいは「真摯」は道のようなもので、普通に歩いていると逸れていってしまう。
「真摯にやる」こと。真摯にやれ。さすれば失敗したときも「まぁ真摯にやってはいたわ」と味方になってくれる人もいるだろう。そういう人達だけはどうあっても裏切るな。もう少し丁寧に説明すると「真摯にやっている限り起こり得ない失敗」というものがあって、そこに陥ったら終わりだ。その時に失うのは信用だ。信頼してくれていた人たちは幻滅し、悲しい気持ちになる。どう開き直ろうと人生で最悪のクソとして燦然と光り輝く汚点となる。誠実な人から順に去り、知能が低い人しか周りに集まらなくなる。
いつの日か困り倒したとき、心から頼れるレベルの人間が周りにいないことに気づく。
眼前でまさに己の信用が失われる光景をみるかもしれない。あるいはスヨスヨ寝ているときに「アイツは信頼してはいけない」という噂が流れるかもしれない。真摯にやっている限りそんな事態にはならない。ちゃんとやっているかどうかを高い頻度で再確認しろ。どっちに進むべきかを常に制御して、時には「惰性」の流れを断ち切れ。
※以下かき途中
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