今までブログを書いてきて、思ったことを話す。
ブログを書き始める前の俺は、ブログを書いたことが無かった。当然だ。そして、世間ではブログを書いたことが無い人が大多数だと思うんだけど、そういう人向けに色々な話をしてみようと思う。

お前さん、自分がブログ書くことなんて無いと思ってるでしょう。そりゃー思い違いだ。人生の判断は今すぐできる。

はじめに俺の立場をハッキリさせておくと、全人類にブログを書いてほしい。なぜなら俺がそれを読みたいから。さらに立場をハッキリさせると、この文章はアルコールが結構はいった状態で書いている。それでも読みてぇんならどうぞ読んでいきなよ。

◆ブログとは

ホームですね。自宅。特にここみたいな弱小ブログは自宅感が強い。

ブログが仕事の人もいるかもしれないんだけど、俺にとってのブログは違う。技術とか、哲学とかの場所だ。つまり思ったことを吐き出すことができる場所だろう。現実だとクッサい話とかも、本人が割り切っていればブログでは可能だ。普通のブログはまずバズる要素ないし、衆目にさらされることもあんまりない。好きなようにできる。

それってよく考えるとヤバいことだよ。よく考えなくてもいいよ。これを読んでるあなたは俺がどんな場所でどんな時間にこれを書いたかなんてわからないでしょう。でもこれを読んでる。それは実はスゴイ。

発露(心の中の事柄が表にあらわれ出ること)の場があるってのがヤバい。日頃生きてるとさー。気づかぬ間に埋もれがちじゃないですか感情。そこをこう自分でキャッチして一塁にスローできるんですよブログ。すごくないですかブログ。

ブログすごいんだけど、よくありそうな勘違いとして「ブログかっこよくなきゃ」があると思う。んなこたぁないよ。ホントしょうもないこと書いていいよ。真に迫っていればなおいいけど。

それと、お気づきかどうか存じ上げないが、このブログには広告が全くない。が、このブログの運営費は月々7,000円くらいかかっている。や、うん。そう。実際そんなにかかるわけない。それは知ってる。
実際のところ、同じリソース内でWeb技術の実験とかしてるからブログだけで7,000円ではない。

しかし世間には広告を載せることにより無料で運営できるブログスペースもあるし、匿名で好き勝手文章を書ける場所もある。

だけど、まぁ、それを使う気はない。ブログを書けること自体に価値を感じるからだ。あと、Azure使ってみたいなって。また、商業のアレとは切り離されてないと気持ち悪いという個人的な趣向だ。それもそんなに拘っているわけではない。タイミングがあれば何らかのサービスに乗り換える可能性も十分ある。

はなし逸れたけど、書くこと以上に読んでもらえることは結構凄いぞ。

しかしまぁ色んなブログがあって、宜しい宜しくないもあるんだけど、基本的に誰でも好きなことを書いてくれていい。書こう。書きたくないって、そりゃそうかもしれんが、それ本当ですか?

そう問いたい。

◆推敲

文章構築の能力があがるわな。

投稿をふと自分で見直していると、「この書き方まずいな」とかわかることもあって勉強になるね。書いたことを放置してる人もいるけどね。

お仕事とかしてて、メール書いたりとかするでしょ?その辺もどうにかなってくるよ。改善される。多分ね。

◆意義

ブログに意義はあるのか。それは人による。

例えば一冊の本があったとして、その本が個人に与えられる影響はどれほどだろうか。

それは人による。それと同じくらい、ブログをやる意義は人による。さらに言うと、意義を見出せるかどうかは、その人の人生経験による。人生経験の浅い人って当然ながら何にも意義を見出せないよね。人生で色々なことを経験して初めて物事の理解ができるって場面は沢山ある。

◆アクセス数

この記事で話してることに共感できる人にとっては、アクセス数を稼ぐとか、実際問題関係ない。反対に、共感できない人もいるだろう。それもまた一つの多様性というかなんというか。

でもやっぱり、アクセス数は上がると嬉しいよ。上がると嬉しいし、「下手なこと書けねぇな?」と思う。見直しちゃう///

その一連の流れも風情があってよいものですよ。

Twitterとかからアクセスがあると、それも趣があって生きる力になるよね。

◆更新されていないブログ

気になるねぇ。生きてますかと聞きたい。他のブログに訪問した時にトップページ見に行くようになったね。それは「このひと何考えて生きてんのかな」と思うから。

ブログの更新を億劫に感じることも結構あるよ。だけどそんな重荷に思うことも無くて、マジでなんでもいいんだよ。本来。

その点Twitterはニーズに合致したと思うね。何より楽だから。ブログが面倒な人はTwitterでいい。けど、Twitterでリソース食われてんのは非常に惜しいわ。本当はもっと表現できるよ!「いいね」とか気にしないでいい世界があるよ!

◆インターネット

インターネット始まったときってホームページとか自分で作ってどうのって話だったと思うんだけど、それはそれで素晴らしいものだったと思うんです。

クオリティはどうあれ「表現の場」としてこれ以上なかった。今で言えば阿部寛のホームページとかホント神がかってると思う。「阿部寛」でググるとトップに出てくるんだけど、あえてリンクは貼らないでおく。ググるだけの価値はあると伝えるに留めよう。

今だと、ハテナとかQiitaとかFacebookとかTwitterとか、発信の場は腐るほどある。そして、なおブログを書こうとする俺たちのその生きざまを感じ取っていただきたいよね。

どうよ?

◆バズり

副作用で起きるものでしょう。バズらせようとして書くのはちょっと看過できない。

「看過できない」っていうのは「ハッカーなら」みたいなアレなんだけど伝わらないだろうし御免って感じデス☆彡

例えばその、またTwitterの話でどんだけIKKOだけど、リツイート数を稼ぐだとか、「いいね」ホスィだとかってのは、ちげぇな?無駄だな?インスタとかで、アレして結果フォロワーが増えるのは違うな?

「違う」の根本的な判断要因は、つまり姿勢がキショイ。無垢じゃない。なんかネバネバしてる。

ニコニコ動画でホモビデオを切り貼り編集して動画を投稿してるキチガイの方が健全だと思う。だって人を笑わせて楽しませること以外考えてないから。それ凄い。すき。

◆書くこと

ねぇよ。ひり出すんだよケツから。

ひり出せねぇってんならオワリだし、オワリだよ。でも、実際のところあるよ。細かい話しをしていいよ。

「牛乳買ったんだけど牛乳うまいよね」ってはなしをしていいよ。

牛乳の飲み方とか飲むタイミングとか牛乳を飲んでるときに大体どんな雰囲気が漂うかとか牛乳120円なんだけど牛乳って1㍑で120円でヨーグルトが400㌘100円とかするよねとか「みんな牛乳好きかな?」とか牛乳ってチーズになったりバターになったり凄いよね。ところで、ちびくろサンボの虎ってあれ木の周りグルグルのグルでバターと化したけどアレ実現するんだとしたらマジあれだしサンボのお母さんホットケーキ焼きすぎワロタ。

ぐらいのレベルで良いんじゃないの。

◆意義

さっきも意義って見出しがあった気がするんだけど、どうなってるんですかね。

ともかく、意義はあるよ。書いてるときに気づくことが多々ある。だからなんちゃこちゃ無いことも書いてみるが善いよ。書きなはれ。

ふと感じた違和感とか、上司への殺害願望とか、なんでもいいんですよ。あっただろう。その辺をTwitterに書いてもいいんだけども、やっぱちょっと軽薄になりがちですわ。自分を綴るのには余りにも軽量すぎる。

◆読みたくねーブログ

切実じゃないブログ。心からじゃないブログ。

次点で、楽しませようとしてないブログ。読む人の想像をしてないブログ。

書くんだから書いたものだし、公開してるんだったら読ませるものだ。だとしたら読んでもらえるだけの価値を提供できてないとこう、失礼だと思うんですよね。

相手の時間を使って貰っているわけだから、それに報いるのが男(おのこ)ってもんじゃろがい文化だと思ってます。

読ませる気ないって態度のブログは詐欺だ。じかんかえせ。クリックに使ったカロリーかえせ。ころすぞ。

そう言われるのもそうですわ。期待を裏切っちゃ駄目さ。

いや、いいけど、でもそれどうよ。自分がされたらどうよ。

◆結論

別に結論ってほどの結論は無いけど、ブログ書くって経験を人生で一度くらい踏んでみてもいいんじゃない。

続けるコツとしては、クッソどうでもいい、取り留めのないことを書いてみるってことだろうか。完璧を求めないことだな。

適当に目についたものをテーマに書き始めてみるとか。今たとえば俺の部屋で空気清浄機が稼働してるけど、それについてでも多分色々書けるよ。自覚してないだけで心は色々思っているはず。