激烈に正直に話してほしい。世間のゴミどもよ、一切の回り道をせずに話してほしいんだ。俺に対してなら何であれな。どんなに身勝手な思考であっても、失礼であっても、感情含めてそのままぶつけて頂いたら納得する自信がある。

俺を操作したいんなら洗いざらいブチまけていただこう。なぜならそれが一番手っ取り早いからだ。

気持ちを隠して、真意を誤魔化して話されるのがいやなんだよ。「誰かやってくれねぇかなぁ(チラッ」とか、誘導しようとすんな。俺の少ない善意を利用すんな。

◆正直さの評価

でも世間には正直さを評価できない人が多いから、身勝手さを出していくのは無理。「私は身勝手な人間ではないですよ」「私は清潔な人間ですよ」と誤魔化さないとみんな怒る。

記者会見とか。稚拙な理由を付け加えて話さないといけなくなる。

チュートリアル徳井のあのアレみたいな事件が起きたとして、例えば

「なんか払わなくて良くなったらいいなぁと思って」

とか言われたら俺も「そうかぁ…うん…でも、ならねぇと思うぞ?」としか言えないわ。怒れない。ド正直に話してほしい。思いを誤魔化されると「そう思ってねぇだろ?」みたいな気持ちが生まれる。

しかしまぁ正直に話しても世間にバッシング食らうから、そもそもがつみです

◆正直に話す能力

正直に話すのもなかなか難しいもので、自分の感情を客観視する能力が必要となる。

正直に話すことを、簡単だと思ってるでしょ?やればできると思ってるでしょ?んなこたないよ。それなりにテクが必要だよね。

「真意を誤魔化して話すのがいや」と言ったが、真意をあけすけに話すためには自分の真意を知っていなければならない。自分の思いに気づかないままに他人に何かを求めようとすると、それはクソ野郎になる。さらに謎の自己嫌悪が発生する。

オート自己正当化機能を脳に備えている人もいるね。

例えば「何となく嫌だ」という気持ちに気づいていないと、変に理由をこねくり回して他人を説得しようとすることになる。俺はそれをされるのが嫌だ。ガバ理論でつつかれるより「なんか気に食わねぇからこうしろ」と言われた方がよっぽど説得力がある。「気に食わねぇのか。それはどのへんが?…わかんねぇのか。じゃあしょうがねぇな。わかったら教えろ。」こうできる。切実なやりとりだ。

だから、正直に話せる機会があったら、どう言うのが一番正直かを考えたらいいと思う。情報量が足りないと「正直さ」まで到達できないかもね。ただの傲慢と受け取られかねない。

簡単な例だと「しょうゆとって」じゃなくて「俺は座っているから立つのが怠い。だからしょうゆとって。」みたいな。正直さもそうなんだけど、生々しい切実さによる説得力が必要となってきますわな。切実であれば問題をそれ以上分解できなくなる。切実さで上回らないと太刀打ちできない。

正直にぶつけるときは、筋が通ってないといけない。脈絡と経緯と感情を相手に説明せねばなるまい。

◆正直に話せないデメリット

議論が平行線をたどるよ。自分の要求を通すために権力を振るわねばならなくなる。感情のはなしであっても感情をだせないから、しても無駄な議論をしなければならなくなる。

◆過去の色々とか

興味深くほじくるけど、別に何でもねぇわ。何でもいいわ。だってそんな俺の人生にガッツリ絡む気ないだろ。俺もねぇよ。たまに会うくらいだろ。じゃあ詰まるところどうでもいいよ。言って楽になるなら聞かせてよ。

でも自分から暴露しておいて後で「ほじくんなよ」ってされると何かガッカリするからやめて。じゃあ暴露しないで。おっぴろげられたら何にせよ突っ込んで丹念にゴシゴシとほじくりたくなるのが男の子じゃないですか。おっぴろげるだけおっぴろげて一人でイ(言)ってスッキリされちゃうのは、なんかおあずけ感あるよ。切なくて逆に興奮するよ。

何のはなし?

つまり、俺ってクッソ重い話でも「えーしゅごーい!どんなふうにされたの?」みたいな感じに嬉々としてドリっちゃう方だからやめといたがいいよ。あるいは「ドリらずに聞いてね。」みたいな前置きをしろ。それなら俺もドリルしまえるから。

逆に言えば俺の事もほじくり倒していいよ。聞いてくれたらケツの拭き方でも昨日のズリネタでもガイジムーブして封筒万引きしちゃってそれ家帰ってから気づいて返しに行ったら変な顔された話でもなんでも話すよ。

…いやお前には話さないよ?誰だよお前。俺の独り言を勝手に読むなよ。

◆追い込む前に正直に

相手の逃げ場がなくなってから正直に話しても、それは認められない。無意味なカミングアウトか、あるいは開き直りだ。言い分を相手が受け止めてそれをもとに判断できる状態じゃないと、正直さの価値が失われる。

切実だから何でも許されるって思うのも違う。許されるか許されないかは相手が決めることだ。

◆優しさ

正直なことが優しさだったりするが、それも相手による。正直に話していい相手かどうかの選別が必要になるよね。爆発する可能性があるわけだし。

例えば採用面接の面接官になったとして、正直に「93歳だし、歯並び悪いし、クチャクチャ音立てて食うし、口呼吸だし、引きこもりだし、睡眠時無呼吸症候群だし、笑い方が気に食わないし、人形としゃべるし、首が270度回るし、音の鳴る靴しか履かないし、夜に目が光るし、自分の影に怯えるし、砂浜に穴を掘ってそこに住んでいるから無理。」と言ったとする。

罵倒のように読めるが一切罵倒ではない。主観的/客観的事実を正直に話しただけ。「一緒に仕事がしたい人間か」を判断し、それを話しただけ。それは、改善可能な部分を改善できるだろう。だけどこの例だと根本的に無理な気がする。どうやったら首が270度まわるの。

自分のダメな部分について指摘してもらえれば次へ進みやすくなるだろう。

デブに一切の性欲が湧かない人にデブが告ったとして、「クソデブだから性欲が湧かない。つまり私の遺伝子はクソほどデブであるあなたの遺伝子を求めていない。有性生殖により次世代の個体を生産する生物としてそれは無理。生物学的に無理。」と告げることが社会通念上許されるものとする。さすれば対象の豚はその醜悪な肥満体形を修正すれば勝てるわけだ。ブサイクであることはフラれた要件に含まれない。

んで、人によっては「そこまで言うことないじゃないか」と憤慨する可能性があろう。地雷を踏んでしまう事もある。そういった人に対しては例えば「すみません。俺には彼氏がいるので。」と誤魔化した方が良い。

誤魔化してしまうと、対象のピザデブは肥満が原因でフラれたという事実に一生たどり着くことはできない。だけども、心情的には誤魔化してもらう事を求めていたりする。悲しい。

更に言えば、数学者にアプローチして

あなたは『ブサイクである、かつ、愛想が悪い』という、私にフラれる条件を満足しているから無理。

と言われたのであれば、整形せずとも「愛想が悪い」のほうを偽にすればいいわけだ。これなら勝てるぞ!

だから、「正直に話す能力」も「正直に話してもらう能力」もあるんだな。

正直に話してもらう能力があれば、知り得なかった情報を知ることが出来るかもしれない。正直に話してもらう能力が無ければ、どこにも辿り着けないかもしれない。

◆隠し続ける

言わなくていいことは言わないけど、言うべきことは言っておきたい。誠意を見せたい。結果ダメでもしょうがねぇよ。言う必要があって、決意をして、言うタイミングが来たから言ったんだろうが。切り替えていこうぜ。

◆結論

  • 自分が話そうとしている『正直な気持ち』に偽りはないか。
  • その正直が切実である理由を、漏らさず相手に伝えきることができるか。
  • 相手は、あなたの正直さに耐えうるか。
  • 相手の口は軽くないか。

こんなところか。

ガチ勢同士なら、会話の初めは箇条書きでやりとりするのが一番早いかもしれないな。色々なファクター(因子。ここでは『意思決定に必要となる要素』といった意味。)を効率よく、ダレずに伝えるんなら箇条書きが一番だ。

そして、「正直に話したこと」はなかなか評価されない。「正直に話すまでの葛藤」を計算できる人は少ない。

他の記事で書いた気がするけど、「ワシントンの桜の木」は、正直に話したワシントン以上にそれを許せる親を見習わないといかんのですよ。正直さがある程度評価される世間になって欲しいですよね。過大評価されても困るけど。