箸の持ち方が地獄の人とか、肘ついて飯を食う人とか、両手を食卓の上に出さないとか、犬食いとか、クチャラーとかいらっしゃるじゃないっすか。

それらをやめなければならない理由について。

◆全身で飯を食う

飯は五感でもって食います。それらのうち一つが害されると、飯はまずくなります。

例えばお前さん、食卓でショートケーキを食っていますわな。その食卓におじいさんが乗ってきました。

この時点でもうショートケーキは不味いんだけど、おじいさんは鼻歌交じりにズボンを降ろしました。そして徐に脱糞しましたと。そうなればもうケーキどころではないよな。嗅覚がやられてしまうから。

じゃあね?ガラス張りの向こうで脱糞されたらどうだろうか。嗅覚は関係ないが、やはりまずいだろう。視覚がやられてしまうから。じゃあ脱糞音だけならどうだと。しかしそこまでカバーしたとしてもやはりケーキはマズくなる。

じゃあ、箸の持ち方が意味不明なひとと相対した状態で飯を食うと、飯の味はどうなるだろうか。

まずくなるんですね。もちろんまずくならない人もいる。糞尿愛好症の人は目の前で脱糞されても平然とショートケーキを食うだろう。だけど、大抵の人はうんこが嫌いだから無理。

つまり、肘を付いたり犬食いしたり箸の持ち方がおかしかったりっていうのは、他人の視覚を侵すことによって食事をまずくしているんです。

そういう「他者の食事をマズくすること」を防ぐために、各文化圏にそれぞれマナーがある。日本にもある。

「食事中に脱糞されると不快」に理由がないように、「箸の持ち方ガチャってるのが不快」にも理由をつけることはできない。感覚の問題だ。

だから「箸の持ち方悪くても別に誰にも迷惑かけてないじゃん」っていうのは筋違いなんです。「ガラス張りの向こうでウンコしてるだけだし、食事の邪魔はしてないじゃん」という理論は、通るか?通らないでしょう。

◆親の教育がどうの

箸の持ち方おかしい人に対して「コイツ育ちが悪いな」「親は何してたんだ」って感想を持つ人がいる。

そして逆に「箸の持ち方がおかしいくらいで親を侮辱する人は無理」っていう意見があるな。でも、特に侮辱しているわけじゃないよ。大丈夫。どちらも単なる事実で、疑問だ。

なぜなら箸の持ち方は教養だからだ。「普通であれば教育を受けるもの」だ。手指に障害がない限り箸を扱えて当然。だから「親は何をしてたんだ?」は正当な疑問となる。

…じゃあ、一桁の掛け算ができない壮年男性と出会ったとき、あなたは何を感じるだろうか。

「あっちょっと学習障害なのかな」

うん。そして、どうやら学習障害ではないらしい。そのときに何を感じる?「親は何をしていたんだ?」「学校に行かせてもらえなかったのか?」と、そういう思いがチラッと脳裏をよぎるのではないだろうか。

私たちは「箸の持ち方を教えてもらえなかったのか?」「肘をついて飯を食うなと親に教えてもらえなかったのか?」と思っている。

それを口に出すか出さないかはデリカシーの問題だ。だけど、「普通教わるものを教わっていない」という事実については了解していないと、指摘されたときに怒りが発生してしまう恐れがある。

そして、デリカシーのある人は箸の持ち方について口出ししない。「一桁の掛け算なんて小学生でもできる」「あなたの人生のために、一桁の掛け算を勉強するべきだ。」なんて指摘すると、傷つけてしまうかもしれないから。嫌われるのも面倒だし、大抵の人はテメーの人生なんてどうでもいいから指摘してくれない。でも「気にしてない」なんてのは嘘で、初見ではギョッとするはずだ。スルーは不能。

そして、「この人ほかの部分にも欠損があるのでは?」という思考に繋がるのはしょうがない。だって箸の持ち方おかしいんだもん。大切な仕事を任せてもいいものかと思ってしまう。一桁の掛け算ができないんだもん。

一桁の掛け算ができるからって、優れた人間とは言えない。でも一桁の掛け算ができない人間の中にいる優れた人材って、希少すぎるだろ。自分で直そうとしてこなかったわけだし。合理的な判断ができないってことに他ならない。社会に求められる教養に反発する理由とは。

箸の持ち方なんて一月ありゃ直る。直したほうが何もかも有利に運ぶ。

◆親どもへ

箸の持ち方を教えろ。義務教育を受けさせろ。

子供に対してもっと想像力を、愛をもって接しろ。真剣に子供のことを考えたんなら、箸の持ち方を矯正しなければならないってことなんざ極めて容易に理解できるだろう。考えてねぇんだよお前は子供のことを。愛してないんだよ。子供に犬食いをさせるな。悲しすぎるわ。

キラキラネームをつけるな。子供の人生を何だと思ってる。自分の所有物だとでも思ってんのか?思い上がるんじゃねぇよゴミ。人間ひとりをアニメのキャラだと、ゲームのキャラだと思ってんのか?子供が真に必要とする名前を切実な気持ちで考えて付けろ。お前がつけたい名前を付ける場面じゃない。

勘違いすんな。

◆結論

いやまぁ好きにすれば。