「人生を成功させる」とかいう表現があるな。「成功者」なんてのもある。

「成功したい」と思っている人もいるだろう。そういうのがあるんで、俺だって成功者になってみたいなと思う。

うん。

…いや?

ピンとこない。何かにはなりたいんだけど、成功者じゃない。俺は何になりたいんだろうか。頭を整頓しよう。

◆成功するとどんなメリットがあるか

成功すると、なにやら大金が手に入るらしい。あと、すごく有名になるらしい。それに女子アナと結婚できるそうだ。

▼大金

いらねぇ。と言いたいところだが、金額による。俺が何を求めているかというと、「良い家」だ。住みよい家が欲しい。

暑くなくて寒くなくて風呂が広い。犬と猫を飼いたい。
2DKでいいけど、楽器の演奏がしたい。

とはいえ、大金は必要だろうか?世に言う成功者ほどの大金を持っていたとして、自分の為にそれほど使えるかね。

自分の為ではなくて、どっかに貯めて置ける大金なら欲しい。みんなで何か幸せなことをするための大金。でも成功者は個人で大金を持っている。それは何か不幸な状態だ。

▼知名度

すごいいらない。むしろひっそりと生きたい。テレビ出たいとか雑誌で特集組まれたいとか、どういう欲求だ。

だが、匿名でなら有名になりたい(意味不明)。しかも不名誉な感じで有名になりたい。「あいつ頭おかしい」みたいな感じで有名になりたい。罵倒されたりしてるのを見てニヤニヤ笑いたい。

と書いて気づいたんだが、おそらく成功者になりたい人は逆で、つまりはみんなに愛されたいのではなかったか。みんなに好かれたい。あるいはみんなに尊敬されたい?一目置かれる男になりたい?

となるとやはりおかしい。愛は原理的に、一方的に貰うという事が出来ない。一方的に渡すという事もできない。「好かれたい」のか。しかし沢山の人間に好かれてどうなる。手に余るのでは。きっと面倒見切れないぞ。有名になってしまえば沢山嫌われたりもするだろう。プラマイゼロだし、「嫌われ」のほうが心に響くし手放し難いわけだから「好かれ」で心を慰めるような図式になる。つまり、せっかく得た「好かれ」の価値が損なわれる。

尊敬されたいのもおかしい。尊敬の系統には二種類あって、下位が上位を尊敬するのと、対等な立場で互いに尊敬しあうものだ。「成功したい」という表現からは前者的なイメージが感じられる。

下位が上位を尊敬するとどうなるか。すなわち「あてられる」状態になる。宗教だ。そうすれば会話は通じなくなる。会話が通じない人間と関係してどうなる。そして、対等な立場で尊敬しあえる関係はインスタントに量産できない。時間をかけて醸成するものだから。

最終的に残る人間関係は、やはり対等なものに限られてゆくだろう。一方的な好かれも尊敬も暫時的なものだ。「面白がる」「利用する」くらいしか用途が無い。

発言力もいらない。責任取れないから。いちいちフォローされるのも面倒だ。自由な羽広げた感じなクソぶっかけブログをお届けできればいいです。

▼女子アナ

女子アナ?…女子アナ。

逆に「客観的不幸」な人と結婚してもいいんじゃないだろうか。逆にな。そのとき俺は成功してるんでしょう?じゃあ目の見えない人でも耳の聞こえない人でも指の無い人でも手のない人でも足の無い人でも十二分に支えることができるじゃないか。

顔も綺麗じゃなくていいじゃん。「綺麗な奥さん貰って羨ましい」ってのは、気持ちはわかる。でもやっぱり違うんじゃね?すべては人間の縁だ。どうなるかは縁によるものだから、そうなるだけ。好きな人と結婚するだけ。

だって顔で友達選ばないでしょ?足のあるなしで友達選ばないでしょ?親が病気でも人間関係切ったりしないでしょ?

なぜ人は綺麗な奥さんを貰おうとするのだろうか。羨むのだろうか。

と考えた末の結論は「女子アナは世間的評価が高い」ということだ。つまり、手に入れたいのではないか?価値が高いものを手に入れたいという物質的な欲求のこじらせ反応なのかもしれない。そして女子アナはモノじゃなくて人間だから、やっぱ違うわ。納得。

そして、俺の話も「結婚する前提」だったな。いろいろ違っているのかもしれない。でも個人的には誰かしら捕まえたり捕まったりして結婚したいな。

▼見返したい欲求

誰をだよ。誰を見返してどう思わせたいんだ。

最後は寂しい気持ちになるだけで、どうにもならんぜ。性根が曲がってんぞ。

◆「成功者」になりたいんではないよな?

違うな。そう思う。お前はどうだ。

ってか成功者ってなんだ。みんなどこに向かって歩いてんだ。

◆自分なりの成功を定義すればいい

そうだろ?世に言う成功者は目標にならないわけだから。

▼金

良い家に住めるぶん。調べたことないけど年収800万くらいありゃいいんじゃないか?それはまぁやることやってりゃ届くだろう。

▼愛され

思ったのが「自分が作ったもの」が愛される状態。これは最強だ。そしてやっぱり「自分」は社会から隠蔽されていて良いような気がする。だから俺は「愛されてるやつ」を作ればいい。

「これ自分が作ったんすよwwww」するともう台無しだ。わびさびも風情もない。

具体的に何人から愛されればいいかというと、一番小さい規模では4,5人で良いように思う。

▼認められ

これも小規模で、対等に認め合える感じの状態があればいい。そして友達いるし結構どうでもいいや。ふつう出しちゃいけないところまで全部出してるし、すでに俺という人格は承認済みだ。だから俺の作った何かが承認される状態を作れば成功だ。

▼何を作る?

他の記事でちょっと言及しているんだけど、つまり「『不幸を除去して幸福を創出するもの』を作るためのもの」だ。苦しい人を救うもの!人の苦しみが生まれる前に原因を取り除き、まるで最初から何も無かったかのように世界が回るためのもの。不遇の死と病気と不幸を未然のうちに消去するもの。を作るためのもの。

そしてそれは誰の持ち物でもない。みんなが頑張ってみんなの不幸を取り除くのだ。そこで俺が活動できればいい。それが完全な回転をしたら、それを見届けることが出来れば俺は笑って死ねる。俺は充足される。

そう。だからやっぱり「成功者」になる必要はない。

終わったこの記事。

◆その他

俺の中では終わったんだけどもう少し「成功者」の違和感について。

▼継続持続

「成功者」の成功はいつまで持続するだろうか。

成功し続けることは有り得ない。失敗する。失敗しなければ成功は無い。

いや、違うか。違うな。大企業の社長とかなら会社から無限にチャリンチャリンしてくるから、それが「成功し続ける」ことなのかもしれん。金を作り続ける仕組みで成功し続けることができるな。うわ。

何か嫌だ。資本主義つら…リスカしょ…。

資本主義社会であるから、金は分かりやすい成功だな。困る。

▼成功範囲

ある範囲で成功できる。半端やってるシステム会社で部長になって年収1200万とかいけるらしい。年収1200万は十分な成功だろう多分。その人は俺からしたらさほど優秀じゃない。人格的にも仕事の成果的にも。そんなんだから、その会社はひと辞めまくってるし俺も結構前に辞めた。

だから、成功者になりたい人は、範囲を定めて成功してみてはいかがか。小さい範囲なら成功の余地はあるはず。例えばpixivの有名絵師だったり、有名ブロガーであったり、Twitterで子分がいて発言力のあるひとになったり。

人間は欲求が満たされるとオッケーな感じになる。金とか承認が欲求に直結している人が多いから、それが満たされれば「成功者になりたい」は消えてくれる可能性が高い。

そもそもの「成功」が曖昧過ぎるから、定められないのであれば小さい範囲で成功すればいい。

書くのダレてきた。

▼成功者が何人

成功者ってのは、一人で成功しているように見受けられる。「成功者十把ひとからげ吊るし売り」みたいなのを見たことがない。一人で成功するなんて寂しい。一種の孤立だ。

だから力を合わせて成功できるものがいい。そのなかの一人になれればいい。

▼勝ち組

これも曖昧だな。誰と戦ってるんだ。誰がジャッジするんだ。

基準のない物にすがっても無限に欲しがる羽目になろう。その存在しない基準でもって他人と自分を測り、勝手に「自分は負け組」と思って落ち込む。相手の話が全部自慢話に聞こえる。

やめだ。いまから何が出来るのか、心が何がしたいのかを考えないと。何が好きなんだ。何を持っていて何を失いたくないんだ。何を学ぶべきなんだ。

「これがあれば俺」というものは、金でも名誉でも女子アナでもないだろ。

なにか正義の為に取り組み続けていれば、負け組とは誰も呼べないはずだ。呼ばれたとしてそんなん俺が許さない。勝ち負けが気になるのは、そして金や承認を集めるのは、生きてる自分がいないから。自己形成を他人に委ねているから。自分も他人も想ってないから。そして助け合いじゃなくて競争になる。周りと比べて自分がどうかってので自己を認識するしかなくなる。

羨んでいいものは他者の「在り方」。思いを継ぐことだ。継ぎたくないんなら、あるいは継ぐほどの思いが見当たらないんなら、それは勘違いだったって事。

◆結論

つかれた。書くの疲れた。

結果やっぱ成功者にはならんでいいわ。犬を飼いたいし、社会にいたずらをしたい。それです。自分が納得できる目標をもってそれをチマチマと目指そうよ。

個人と、個人からなる社会が映した像が「成功者」だ。それをどう目指す。なれないものにはなれない。現実に存在している他人にすらなれないのに。だから自分を明日どうするかでしかないんじゃねぇのか。