別に書くことねぇけど

◆議題

今決める。

「性善説」というテーマから書き始める。なぜならさっき考えてたから。

◆性善説・性悪説

人間が先天的に「善」であるか「悪」であるか

という話だ。多分。Wikipediaみてみよう。

Wikipedia:性善説

性善説(せいぜんせつ)とは、人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。以下、中国における「性善説」について解説する。

Wikipedia:性悪説

性悪説(せいあくせつ)とは、紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が、孟子の性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。
ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=罪(犯罪あるいは悪事)」という意味では無い(「弱い存在」である人間が、犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。また、偽とは、「人の為す行い」という程度の意味であり、「偽=嘘あるいは偽物」という意味ではない(後述のように、後天的な努力や習得によって初めて獲得する性格のものと捉えている)。

あー。うん。解り辛い。

以下の説明が分かりやすかった

要するに、「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説です。
– 性善説と性悪説のよくある誤解

◆新機軸

性アホ説を提案したい。人間は先天的にアホである。

これはどういうことか。
性悪説に近いのだが、そうじゃなくて、つまり人間って放っておくと「何も考えてない」んだと思う。

知らないことに関してアホな対応をし、関係する人を悲しませる。けど、自らのアホな行為により悲しむ人の存在と感情を知っていたら順当な対応をするだろう。

つまり「知る能力が低い人間」「知ることができない人間」は狼藉を働きがちだ。
悪とアホは近いところにいる。

ちょっと話を飛躍させよう。

◆悪夢

この世界には恒常的に悪夢が渦巻いている。
怒りとか憎悪とか暴力とかレイプとか殺しとか虐待とかパワハラとか痴漢とか詐欺とかイジメとか戦争とか、酷い。

あなたはその渦中にはいないかもしれないが、テレビでもネットでも良く目にするでしょう。ありふれた日常の一部だ。

思うんだけど、これは狂ってるよね?
何故にいがみ合わなければならないのか。
でも皆あまり「狂ってる」とも思っていないような気がする。俺だけが一人で無駄に心配しているような感覚に陥る。こわ。
戦争のニュースとか見ると、誰も死なないでくれと思う。けど「そう思うよね?」と聞いても誰も思ってない。どゆこと。

おそらく俺は、辛い思いをしている人間に変に感情移入をする傾向があり、いろいろな事件を観測する度に悲しいと思わざると得なくなっているのだと思う。「なんでだよ(泣)」と思う。さほど表には出さないが。

そして!心配し続けた結果!!俺はそれら悪夢について、大部分に共通する事項があるという事に気づいた!!イェイイェイ!

つまりその、何が共通しているかっていうと、多くの悪夢は人間が起こしているという事だ。単純。

三毛別羆事件とか日本航空123便墜落事故とかもあるけど、ちょっとそれは置いておいていただきたい。
ちなみにいうと、勘違いで起こる悪夢もあるね。だけど、この記事で触れるのは世間に大量に発生しているありふれたタイプの悪夢です。だからそのように読み進めてくれ。

暴力はどこから来るだろうか。貧困はどこから来るだろうか。逆に暴力を思いとどまらせるものは、富を分け与えようという気持ちはどこから来るんだろうか。

人間が悪夢を引き起こしてるって事に異論は無かろう。そして、人間を動かしているのは心だ。つまり脳なんだけど「心」っていう便利な言葉があるから便利に使わさせていただく。

◆悪夢はどこから

悪夢を起こす系の人間と起こさない系の人間がいるのを俺は知っている。だから、起こす系の人間が存在している原因を突き止めればいいんじゃないのか。そうだろ?
そして、悪夢を起こす人間に共通することは「精神(人格)障害者である」ということだ。

はい。一応断っておくが
× 「悪夢を起こす人たち」⊆「精神障害者たち」
○ 「悪夢を起こす人たち」⊂「精神障害者たち」
だぞ。わかってるとは思うけど。
「悪夢を起こす人たち」から任意の要素を抽出した時、その要素は必ず精神障害者であるってだけだ。精神障害も幅が広い。また、精神障害はスペクトラムであり、1か0かで決まるものではない。

さらに付け加えると精神障害者を差別する意図はないし、もし「あるだろ」思ったんだとしたら貴様は文章をちゃんと読んでない。

まず、反論はあるだろうか?
精神障害者じゃない人間が人を殴ったりできるだろうか?また、誰かの命令により殴らざるを得ないんだとしたら、その「誰か」は精神障害者と言える。虐待もレイプもイジメも悪夢の根源には必ず精神障害者がいる。精神障害を持たない人間であっても異常な環境に置かれた時は容易に精神障害を引き起こし得る。精神は環境と密接に関わっている。

さらに補足すると、悪夢を引き起こしている(あるいは過去に引き起こした)人を責めている訳でもない。それというのも、「悪夢を引き起こす人」は「悪人」ではない可能性がある。精神の障害により否応もなく悪夢を引き起こしてしまうのが問題だ。また、この記事に於ける俺の興味は「悪夢を取り除きたい」という事に絞られる。話を進展させるために表現が鋭くなる可能性があるが、冷静にいこう。

そして、「起こす」というのは「開始する」という意味ととらえていただきたい。

◆悪夢の悲しさ

そもそもの悪夢について話す。

「悪夢は発生していいものか」という閉ざされた質問について、俺は「やだ」という意思をここに表明する。
不幸はやだし、不幸な人がいるのが許せない。

※ただし、不幸でもないことを不幸だと感じる人もいる。それについては心理的に別にどうでもいい。あんまし興味ない。ごく簡単な手順で逃れられる不幸にしがみついている人に対しても共感がわかない。

でも、悪夢が発生することはしょうがないし…しょうがない。致し方ない。それだって掛け替えの無いその人の人生だ。
いくら悲しくても人生の記憶の一部だ。

あんまり想像力働かせてないかもしれないけど、まさに今悪夢は発生しています。死ぬほど辛い目にあっている人間が必ず世界に居ます。

お前ら悪夢への興味がうすい。
戦争が起こって人が死んでるってのに世間の人間を見てると極些末な問題を解決した気になって「世界の仕組みを変える」とかほざいてる。視野せますぎないか。今も戦争で人が死んでんねんで!

悪夢は発生しうるという前提を踏まえ、やっぱやだよ。みんな幸せが一番に決まっている。
悪夢は嫌だし、伴ってえげつないコストを発生させる。

ここで言う「コスト」は「金」「時間」もそうなんだけど、もっと広い意味でのコストだ。つまり「世界を前進させるためのコスト」の事を言っている。

◆精神障害の発生を防ぐ

これはかなりキくだろう。

毒親を見つけて子供を保護し、親子の精神ケアをするだけで半数以上の悪夢は(長期的視点に於いて)消えるんじゃなかろうか。一般的な家庭生活の過程(激ウマギャグ)で自然発生する情操教育だけで改善が見込める精神障害はとても多い。

精神障害の人が例えば「自分って普通」って思っている現実がある。軽度ならなおさら自覚しづらい。

身体疾患からの精神障害もあるけど、両方に言えることは兎に角認知度が低い。タブー的になってしまっている。自分の病気を知ってさえいれば治療できたものを、放っておいたから辛い目に遭った人は沢山いる。

生活保護でパチンコしてる人だってホームレスの人だって精神障害だ。だけど生活福祉課の人が「お前あたまおかしいよ。病院いけ。」って言っていいはずもない。タブーだから!

精神障害は悪ではなく、単なる状態なんだよ。なんで悪く捉えようとするのか。早急に見つけて治療しなければ悪夢が発生するのに、できていない。

これはまずいよね。

◆具体案

幸福を科学すれば?と思う。

実際に幸福を科学しちゃってる例の団体の人は多分精神障害なんだけど、そうじゃなくて、人間の不幸とか幸福がどこから来るのかってことを大学とかで研究すればいいんじゃないか。「精神障害の発生を放っておくと不幸も発生するよ」ってことを、権威のある誰かが学術的に世間に周知しなきゃ駄目なんじゃん?

そういう事してるとこあるのかな。

◆人生の価値と賢さ

ハンターハンターって漫画でキメラアントという知的生命体群が登場する。彼らは人間より優れているという自負があり、人間をゴミクズのように扱う。殺す。

そのキメラアントには「キメラアントの王」がいて、ソイツは超絶強くて超絶賢い。が、結果として[ネタバレなので言わないでおく]った。

このはなしの結末が凄くわかる。情動を備えた超絶賢い人間はそうならざるを得ない。例えば完璧な人間がいたとしたら、そんなに完璧には見えないだろう。親しみやすく感じられるはずだ。その「親しみやすさ」も嘘偽りではない。

なぜか。

それは、賢い人は全ての行動を「自分の幸福」のために充てるからだ。人間の価値基準に於いて、賢い人間は他人を無暗に傷つける事はし得ない。幸福は人間関係により増強されるからだ。他人が自分を幸福にしてくれるという事を知っている。

「頭がいい」と「頭の回転が速い」と「勉強できる」は違う。「頭がいい」人間は自分の幸福について絶対的にぶれない軸をもって取り組んでいる。幸せについて考えていないんだったら、いい大学を卒業したからってどうにもならない。いい企業に就職したって意味無いし、お金を持っていたってどうにもならない。

行動が「幸せになるためには?」の解になっていない行動は、すべてが意味不明な行動だ。誤解のないように補足すると、幸せになるための無為の時間もあり得るだろうし、将来の幸せのためのダラダラもそうだ。すべては経験となって未来につながる。それを踏まえ、「吐くほど無駄」な事はしてはいけない。早々に切り上げろ。

◆終わりに

なんか欲求が満足されたから、ここで記事をブッチぎる。文字書くのは楽しいね。みんなも書こう。