趣味って程ではないが、俺はよく道路を歩く。
この記事を読んでいるあなたも、きっと道路や通路をよく往来しているだろう。しかし例えば「道路を歩くのが得意ですか?」と訊かれた時、「得意です」と即答できるだろうか。できなかろう。「え?いや、あの、すいません」としか答えられないだろう。

あなたは普段、何を考えながら道路を歩いているだろうか。

「通行に一家言ある」なんて人間はなかなかいない。が、俺には二家言~三家言あるので、意識高い系歩行者としてお前らに物を申す。

◆衝突

衝突してはいけない。なぜなら、衝突された方は「衝突された」と思うわけだし、衝突した方も方で「衝突してしまった」と感じるからだ。どちらも「衝突した方」であるケースも多発するわけだが、ジサマだのバサマだのにぶつかりでもしたら、その衝撃により横転した老人の骨組織は破断するし、最悪そのまま寝たきりになる。あなたも負けじと骨折して寝たきりにならない限り賠償金を支払うことになる。
誰も幸せにならないんだから衝突してはいけない。衝突からラブ・ストーリーは突然に発生するものかもしれないが、大抵はろくでもない事になるのだから避けるべきで、故にこれから衝突を避ける方法について記述する。

▼前を見る

「何を当然のことを。殺すぞ。」と思われたかも知れないが、巷では前を見ずに通行する不届きものも見受けられる。

・動作

横を見ながら歩けば即ち正面を見ることはできず、衝突も免れないワケであるから、正面を見て歩かなければならない。逆に道路を横断する際は左右を見なければこれまた衝突することと相成る。「右を見て左を見て右を見て横断」はあながち間違ってはいない。やればわかる。
また、俯きながらよちよち歩いているひと。なんか不健康そうに見えるし、背筋を伸ばして歩こう。インナーマッスルを鍛えればいいらしいぞ。どうせ世間に歩かされるんなら健康的に歩けばよかろう。

歩きスマホなんてのは当然ダメだ。もっての外だ。
と言いたいが、たまに俺もする。ごめん。でも常に前を注視しているし、当然ながら不要な際はスマホを見ていない。
つまり、地図アプリを見続けながらだとか、スマホでアニメを見ながらだとかの歩きスマホが問題だ。スマホでアニメドラマ映画を見ながら通行できるほどの脳の処理能力を持っていれば問題はないのだが、脳の処理能力が高い人はそもそも歩きスマホしようなんて思わない。

歩きスマホでアニメを見ながら歩いている男性が阿佐ヶ谷駅の階段から転げ落ちたのを目撃した時は「そうか」と思った。同情とか共感とかしづらいからやめよう。彼が歩きスマホをしていなかったら即座に駆け寄ってその安否を気遣うなりしただろう。

「道路を歩いているときもスマホを見たい」っていう人は、名前の付く病気であるから、病院に行ってみるのも面白いかもしれない。

・心がけ

「視線を前に向ける」という話をしたが、それだけじゃあ足りない。
「前がどうなっていて、数秒後にどうなるのか」を予想せねばなるまい。詳しくは後に書く。

▼急停止

歩いているのを急に立ち止まって振り返ってはいけない。急に立ち止まって振り返ると、後続の人と接吻することになる。接吻すると口内の細菌が伝染し歯周病になる。歯周病を放置すると心臓やら脳に割と重大な病が生じる故、急に立ち止まって振り返ってはいけない。

Uターンをしたいときは前方に歩きながら振り向き、真後ろに人がいないことを確認してからにするべきである。
とにかく「後ろに人がいるかもしれない」という想定は常にしておいて損はない。

あと、エスカレータあるいは階段を降りて立ち止まる人間。お前はどうなってるんだ?どういう世界を見ているんだ?

▼ラインの変更

前を歩いている人間を追い越す際、前を見たまま追い越すのは危険だ。
後ろから自転車や、素早いおじさんが迫っている可能性がある。やはり後ろを確認してから追い越すのがよかろう。

同様の理由から斜め横断もしてはいけない。斜めに歩く人間は、周りの人間から動作が読みづらい。なるべく直角に移動するように心がけよう。

◆通行の邪魔

何人たりとも他者の通行を阻害してはならない。

電車から人が降りる時に、人が降りて自分が乗り込むのを、電車のドアをふさぐように待っている人。お前は待てができない犬レベルに頭悪いからな。

▼往くべき道

道の中央を歩くな。何様だ。お前はそんなに偉いのか。すみっこ走れ

▼立ち止まりスマホ

だから道の真ん中でやるな。スマホは壁際に移動して触れ。

何かが通過することが分かり切っている場所で立ち止まるのはおかしい。そりゃぶつかられるでしょう。線路に立ってたら電車に轢かれる、高速道路で停車して歩いてたら轢かれる。川に立ってたら流される。人が通行している場所で立ち止まれば衝突される。当然の道理だ。

誰もぶつからなかったんだとしたら、それは避けてもらったからだ。つまり「強制的に避けさせた」ことになる。罪なき他人に負担を強いるな。

▼ごく単純な予測をしない

エレベーターあるいは混雑している電車では、降りたい人を可及的速やかに降ろさなければならない。
それを、降りない人間が扉の前で立ち止まっているのはおかしい。エレベーターでは特におかしい。なぜ「誰も降りない」方に賭けたのか。誰か降りる方に賭けた方がどう考えても勝率は高いし、リスクもほぼ皆無だ。押されたり「降ります」と言われなければ気づけないのは非常に効率が悪い。

扉の前に居る際は、降りたがっている人が居ないか確認するべき。また、降りる側も「降りるよ」というアピールをしなければいけない。ドアが開いてから動き出すのでは遅い。周りの人間の対応が遅れる。

逆に降りないのに「降りる風」の行動をするんじゃない。ややこしくなるから。

▼持続性皆無の小走りによる追い抜き

小走りで駅へ急ぐ女の人が俺を追い抜いていく。「彼女が電車に間に合いますように」と俺は神に祈るわけであるが、約7秒ほどで女性は力尽き、小走りをやめる。

そして、普通に歩いているだけであるはずの俺はすぐに彼女に追い付いてしまう。追い付いてしまったのだから歩くのおっそい彼女を追い抜かなければならない。これは不幸だ。

体力とか歩行速度とか色々あるのは判る。だけど、自信がないなら追い抜かないほうがいい。「あっこいつ歩くの速い」と思ったらそいつの後ろで呼吸を整えてから再度小走りを開始するべきだ。あるいは、「背後からの通行圧」を感じた時に小走りで逃げるべきである。難しいかもしれないが、頑張っていただきたい。

「早く歩きたい」という人は、少し大股で歩けばよい。ヒールを履いている人は、まず歩きやすい靴を履こう。あれは日常的な歩行に使う目的の靴ではなかろう。低身長や短足なんて気にしたってしょうがない。無理にヒールをはいたばっかりに色々な足の病気になるなんて馬鹿らしいじゃないか。治療に時間とお金を食われるのはあなただし、保険料は国民の保険料だ。ハイヒールを源とする病がどのくらい保険料に影響しているかは知らないが、塵も積もれば山となる。そんなんで保険料を上げられて貧民層の生活が苦しくなるなんて馬鹿げている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハイヒール#ハイヒールの利点と欠点

▼横並び

「横に並んで歩行するな」とは言わんが、するならするで迷惑が掛からないように多くの配慮をしなければならないだろう。狭い通路ではなおさら。
「横に並んで歩くことを許してもらっている」ぐらいの心持ちでないと無用な不快感を世間にばらまくことになる。快も不快も社会を循環するものであるから、己のためにも注意するべきだ。

◆テクニック:交通ルール

▼車と人

歩道や路側帯のない道路では、右側を通行しなければならない。なぜなら、車両は左側を通行するからだ。歩行者と車両がちぐはぐに歩くことで、歩行者は正面からくる車両に気づきやすくなる。

蛇足であるが、車両が関係しない歩道では歩行者も左側通行をしているように観察される。地域差とかあんのかな。

▼横断

横断するほうが弱い。横断する側は横断される側の道を往く人間の通行を阻害してはいけない。人数の差や速度などは関係なく、横断するほうが道を譲らなければならない。

丁字路に侵入するときも、侵入する側が道を譲らなければならない。また、進行方向を曲げる際も注意だ。曲がった結果誰かにぶつかったんだとしたら責任はこちらにあるし、自分が曲がることにより直進する他者の足を止めてはいけない。

◆テクニック:省エネ指向

時間でもエネルギーでも、あらゆる無駄を減らしたいと常日頃思う。そして、通行もそうあるべきだ。

通行の問題を考える時、登場人物の使用する総通行エネルギー量が低くあるべきである。ただ、交通ルールがあるときはそちらが優先される。

▼先勝ち

Aは歩道を「左側通行」している。すると、先のほうにある曲がり角からBが出てきてAの方に向けて歩いてきた。しかし、Bが「右側通行」を開始したため、どちらかが道を譲らなければならない。
この時、AとBはどうするべきだろうか?

これはBが左側通行をするべきであろう。なぜなら、先に”この”歩道を通行していたのはAであるからだ。Bは途中からその歩道に参加する側であるから、参加すると同時にAに道を譲る事が可能である。AがBに道を譲るよりも発生するコストが低い。Aが道を譲る道理はない。

▼前へ倣え

例えばあなたは左側通行をしている。あなたの前方には同じ方向に向けて右側通行をしている人間がいる。そして、あなたは前方からこちらに向けて右側通行をしてくる人間をみた。どうするべきであろうか。

これは、あなたが右側通行をするべきである。さもなければ、正面から歩いてくる人がうねうねと歩行しなければならなくなってしまう。
自分の前方を往く人がいる時は、同じラインを歩くべきである。

◆テクニック:慮り(おもんばかり)

人間の強弱を考えた時、その差が歴然であるときは強い方が道を譲るべきである。
老人、ホームレス、重い荷物を運ぶ人間、そういった人たちには快く道を譲ろう。それは当然のことだ。

否応なくぶつかりそうなときは互いに半身になり、避けるのが誠意だ。
人の列に入れない人がいる時は、一人ぐらい入れてあげるべきだ。二人入れると後ろの人から減点を食らう場合があるから気を付けよう。

相手を観察し、相手の気持ちを思いながら通行していただきたい。さもなければあなたの通行はエゴに塗れ、イバラの道を往くが如く、辛く、悲しいものになるだろう。

先に「衝突」の話をしたが、精神的な衝突もあろう。そういったときも道を譲って差し上げたほうがいい。ちゃんと前を見て歩いている人間には基本的に道を譲るポーズを見せるべきだ。

◆テクニック:予知と予備動作

この先何が起きるかを予想しなければならない。

自分の前方5メートルを見ていればいいのではなくて、自分がこれから通行する道と自分の通行に関わる人間について、未来を予想しながら歩かなければならない。

そして、周りの人間に「予知」をさせるために、自分の次の行動を周りに知らせる動作をするべきだ。
右に曲がりたいときは首を回して右を見て、それから右に曲がるべきである。その行動は車のウィンカーのような作用を周りに及ぼす。

◆テクニック:教育

子を持つ親にしかできないテクニックだが、子供に通行のマナーを教えることで世界人類の総通行力を大きく高めることが可能だ。

親がちゃんと通行のマナーを教えてあげなければならない。例えばスマホを持つ子供がいたとしたら「スマホ見ながら歩いちゃいけません」と親に教育されるだろう。
今の大人は当然そんな教育をされたわけもないので、何も考えず歩きスマホをする。大人は子供ではないため、その素行を注意してくれる人間はなかなかいない。

◆テクニック:直進

これは、その危険さゆえの裏テクニックである。真似をしてはいけないし、真似をしてトラブルが発生したとしてもその損失は補填しかねる。

これは、通行力が明らかに足りていない人間に対する一方的な自己満足による実地演習を敢行する業である。

することはつまり「直進」でしかない。
例えば歩きスマホをする人間が全く前を見ずに歩いてきたとき、直進は開始される。うまくいくと衝突によりスマホを弾き落とすことすら可能だ。相手がすんでで躱したとしても直進。衝突しても直進。それだけ。

また、狭い歩道で横並びになって歩く人間に対しても「直進」は使用可能だ。後ろからは無理があるが。

やり方は大体以下の通りだ。

  • 概ね何が起きても直進する。それ以外はしない。
  • それまでの自分の通行を曲げてはいけない。
    つまり、当たりに行ってはいけない。蹴りに行ってもいけない。
  • 通常、道の端を歩いていなければならない。
    端が意識されない広い場所、たとえばお祭りや駅構内などではその限りではない。しかし、混んでいる場所ではすべてを避けて歩くことが前提であるため、対象は絞られるだろう。
  • 階段などの危険な場所ではしてはいけない。
  • 体格やツラ構えに自信がない場合はやらない。
  • ほんのわずかに目を見開く。

以上だ。全くやる必要はないし、性格が歪んでいる感じがするから辞めるべきだ。

◆結論

ちょっとぐらい考えながら歩こう。