ふと思っただけの事を話す。
つまり、オチのない話をする。

例えば、あることで悲しんでいる集団がいたとして、その人たちを見るとなにやら胸がキュっとして、下手をすれば泣きそうな気持ちになる。テレビで「故人を送る会」の映像が流れることがあるが、ちゃんとみていると泣きそうになる。

で、その逆、つまり怒っている集団がいたとして、その中に紛れ込むと、冷める。怒る理由も、その心情も分かるんだけど、冷める。
「怒ってんなーこいつら」と思う。自分が当事者だったとしても、そう感じる。気持ちは分かるのに。

飛行機事故で沢山の人が死んだニュースを見ると、いたたまれなくなる。
死体を見ているわけじゃない。「死にたくなかったろうに」と感じてしまう。
生き残った人がいた時は「良かった」と思うと同時に「悲しいだろう」と感じる。悲しい気持ちになる。自分の事じゃないのに。

でも暴行殺人で逃げ回っていた指名手配犯が捕まったニュースで、犯人が「捕まってホッとした」とかいうコメントをすると、心情は理解できるんだが「ぶち殺すぞ」と思う。なにもホッとしない。

インタビューで自分に酔ったコメントをしている人を見ると、難しい横文字の言葉を使うその人の心情は分かるけどやはり共感は働かない。
いや、その人の将来を思って恥ずかしくなる。

包丁で軽く指切った人見ると「いてて」と感じるし、助けなければいけないと思うけど、歩きスマホで階段踏み外して転げ落ちた人見ても「まぁそれはそうだよね」と思う。できることなら関わりたくない。はやくおうち帰りたいし。

なにか「共感スイッチ」的なものがあって、対象物に共感するかしないかが選択されているのではないかと思った。無意識的に選択されている。
どういう仕組みで、どういうルールなんだろうか。

と思った。