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BUMP OF CHICKEN「morning glow」の歌詞の意味を考察した

「morning glow好き」ってひとあんまりいないけど、素敵でわかりにくい曲だと思うで。

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morning glowの歌詞はこちらから

※おことわり※

毎度のことだけど、あくまで俺の解釈であるから、お前が違うと思うならそうなんだろう。お前ん中ではな
思うところがあったらコメントしてね。

あんなに夢中で追いかけたのが 嘘みたいだけど本当の今

主人公は何かに対して夢中で取り組んでいた。
のちの歌詞を読めばわかるが、その「夢中で追いかけた」ものに対する熱がなくなってしまった。
熱がなくなったというか「これをやっても俺は幸せになれない」という事実に気づいてしまったような感じか。
それが嘘みたいに思える。が現実として今がある。

大切にしてきたけど 実はただ そう思い込んでいただけ

主人公は「自分を変えよう」として、頑張った。けど、方向性が違った。

似たような感情になるときを例に挙げると、例えば趣味で何かを初めて、それに入れ込み、「これが俺の一番大切なものなんだ」と思い込んでしまった。
「ネトゲに全力をかけているニート」がいたとして、ふと「俺何やってんだ?」と我に返ってしまった状態だったり
「すごい無駄に頑張るバイトリーダー」がいたとして、ふと「俺何やってんだ?」と思うような状態だったり

とにかくあることに熱くなって何かに取り組んでしまった。
主人公にとって「あること」は「今の自分を変えるためのなにか」であった。

いまこの記事を読んでる人も探せばあるんじゃないだろうか。例えばソシャゲーとか、エロサイトの巡回とか。アムウェイとか創価学会とか。

なんかマルチ商法とか宗教から抜け出す曲に思えてきてヤバい。

あまりにもはっきり 解ってしまったね もう要らなくなってしまったね

そのままの意味。
「夢中で追いかけた」モノが、自分の人生とか、自分の幸せに関係ないってことに気づいてしまった。
「あれ?なんか違うかな?」とかじゃなくて、「あ、違うわ」って感じに、あまりにもはっきり解ってしまった。

まるで自分が自分でいる事を 諦めたような気がする

自分が何よりも大切にしていたものが、取るに足らないものだったっていうことに気づいた結果。
「気付いた後の自分」は「気付く前の自分」と全く違う。自分でいる事を諦めたような気がする。

気がするだけで 何度考えても 複雑なようで単純な答え

もう「要らない」ってことには気づいてしまったんだけど、心はザワザワしている。「マジで?」って思ってる。
でも、単純に「要らない」ってだけ。何度考えても「要らない」ってだけ。でも何度も考えている。

古くなった未来を 見つめていたんだよ

「古くなった未来」と言うのはつまり、今は「新しい未来」があるということ。
「夢中で追いかけた」モノがあったときの未来は、もう古くなってしまった。

それさえ過去になっていくんだよ

「それ」は古くなった未来を見つめている今。
なんでそんなことを言っているかっていうと・・・
なんといえば良いのか・・・
つまり
「今」見ている「古くなった未来」が要らないものだっていうことを話している。

「古くなった未来を 見つめていたんだよ それさえ過去になっていくんだよ」と言う歌詞は、なんとなく他人事で、感情が乗っていないよね?
「過去になっていく」っていう言葉の逆は「過去にさせない」になるから、逆算的に「過去になっていく」は「捨てる」に似たような意味になる。
つまり、「古くなった未来を見つめている今」が過去になっていく→その中に含まれている「古くなった未来」も過去になっていく。
と言うこと。

その「古くなった未来」を失うことに関して、思ったよりも感情が動かないことにちょっとだけショックを受けているような様が見て取れる。

言葉では説明できるけど、細かいニュアンス、というか、言葉の持つ雰囲気が掴めないと読み切れない。

沢山手放して 完全に自由だ

「夢中で追いかけたもの」をするにあたり、沢山の事をしてきた。
具体的に言えば、時間を割いたり、金を使ったり。
で、追いかけることが不要になったため、そういったコストが全くかからなくなった。
完全に自由だ。自由自在だ。

「完全に自由だ」のところで転拍子するのがすごいすこ

いくつのさよならと出会っても 初めましてとは別れないよ

①「さよなら」をしたとしても、その「さよなら」したものと「初めまして」したこととは別れないよ。
②「さよなら」が沢山あるけど、概念上の「初めまして」とは別れないよ≒必然的に新しい初めましてがあるよ。
の二つが考えられるな。

次の歌詞がヒントになるかもと思ったけど、次の歌詞も二通りの解釈があって、どっちとも取れてしまう。つらい。
この解釈では、②で行こうと思う。
(最初は①だと思った。そっちの方がBUMPっぽいし。でもめちゃくちゃ考えた結果、②になった。)

②である根拠について、えーーーーーと。次の歌詞に言及してしまうんだけど
「あなたを変えようとしたあなた」が「夢中で取り組んでいたあなた」(狭い意味)であるか、もっと広い意味での「あなたを変えようとしたあなた」であるかが肝になる。
この曲では「あなたを変えようとしたあなた」が計三回出てくる。
Ⅰ「あなたを変えようとしたあなたを きっと覚えているから」
Ⅱ「あなたを変えようとしたあなたは ずっと前から変わらない」
Ⅲ「あなたを変えようとしたあなたは まだ誰にも出会っていない」

Ⅰはこの次の歌詞ね。

解釈が②であることについて
論拠A.Ⅱは広い意味であり、Ⅲは狭い意味であるから、Ⅲでギャップを見せるために、Ⅰは広い意味でないといけない。広い意味での「あなたを変えようとしたあなた」をきっと覚えているから、つまり「あなたを変えようとし続けている」から次の「初めまして」が常にあり続ける。という解釈になる。
論拠B.「さよなら」が複数であるのに「初めまして」が単体であるから。いくつの「さよなら」をぶつけられたとしても、「初めまして」が壊れることはないよ というようなニュアンスで理解ができる。むしろ「いくつのさよなら」が複数形であるため、「初めまして」の間に直接的相関が無いように読める。
論拠C.①の解釈である場合、歌詞は「あなたが(例えば)さよならと出会っても 初めましてとは別れないよ」になる気がする。それを回避して「いくつの」にしたと考えた場合、②の解釈になる。
論拠D.この曲の最後らへんに「いくつのさよならと出会っても 初めましてとは別れないよ」が再登場する。そこでは、その次の歌詞から鑑みるに②の解釈が確実になる。まぁこの歌詞と最後の歌詞が別の意味だって捉えてもいいけど。

反論A.Iの「あなたを変えようとしたあなた」が広い意味である根拠が足りてない。
→そうっすね。ごめんなさい。
反論B.「初めましてと別れる」はそのまま捉えるべき。その場合、解釈は①が正解になる。
→「初めまして」を概念として捉えればよい。「いくつのさよなら」は個々のさよならについて言及しているが、「初めまして」が単体であるので、違和は無い。

論拠Bと論拠Cはかなり有力だと思う。「あなたを変えようとしたあなた」がいるから、「さよなら」と何回出会っても次の「初めまして」がある感じ。「初めまして」と常に一緒にいて、別れない。
他の言葉があるのに「いくつの」にしたってことは、やっぱり②の解釈になるんだと思う。

その論議は置いておく。

「さよなら」と「別れる」が互いに同じ意味で、
「出会う」と「初めまして」が互いに同じ意味であることに注目していただきたい。
「さよならと出会う」が「別れる」の意味になる。
そして「初めましてと別れる」は「『出会うということ』と『さよなら』する」という意味になる。

例えば「-1を足す」と「+1を引く」は同じ意味になる。
だけど「さよならと出会う」と「初めましてと別れる」は違うことなんだよって言っている。

すげぇ歌詞だ。

あなたを変えようとしたあなたを きっと覚えているから

「あなたを変えようとしたあなた」登場。
「あなたを変える」というのは、今の自分よりもっと良いものに成るという意味。

「あなたを変えようとしたあなた」は「自分を変えようとした意志」。
「自分を変えようとした意志」を覚えているから、常にあたらしい「初めまして」と出会うことができるんだよ。
と言っている。

ずっと一緒だと思っていた人とは ずっと別々だったと知る

「夢中で追いかけた」ことについて、一緒に取り組んでくれる人がいたらしい。自分自身の事ではないだろう。
自分自身であったとしたら、何を言いたいのかわからん。別々じゃないし。

その「ずっと一緒だと思っていた人」と「気付く前の自分」は、一緒にやってきていた。
でも、主人公にとっては、その大切なものが「もう要らなくなってしまった」。
そのことについて「ずっと一緒だと思っていた人」に話したんだと思う。
話した結果として、二人の思いは違っていた。ずっと別々だったと知る。

じゃね?自然に考えたら。

仲良しだった そうでもなかった 万感の思いで手を振る

ずっと一緒にやってきたから、仲良しだったのかもしれない。
でも、「一緒にやってきた」ってだけで、そうでもなかったのかもなぁ。個人的な付き合いもなかったし。
って感じだろうか。

で、仲良しじゃないから、もう一緒にいる理由もない。
色々思うところもあるし、名残惜しい気持ちもあるんだけど、手を振る。つまり別れる。

忘れられたって 忘れなきゃいい それすら忘れちゃうだろうけど

たとえ相手が新たな相方をみつけて自分のことを忘れてしまったとしても、自分が忘れなかったらいい。
と考えていることも忘れてしまうんだろうなぁ。
といった意味。

一番と同じような入れ子構造になってるね。狙ってやってるんだろうね。

必要な時には 思い出すんじゃないの

「思い出すんじゃないの」っていうのが「テキトー」で良い。
忘れても忘れなくてもどっちでもいいって感じが出てる。

もう興味がないんだよ。
いや、「興味があると思いたいんだけど、もう思えない」ような感じかな。

どれだけ今から離れても 無くならないから今があるよ

「今から離れる」と言うのは未来に進んでいくという意味。
離れた後の「今」はつまり「過去」のこと。
「『今』から離れてしまって無くなる」=「過去が無くなる」になる。過去が無くなると、現在も無くなってしまう。

今から幾ら離れたとしても無くならない、過去になって積み重なっていくから現在があるんだと言っている。夢中だった何かを捨ててしまうことが、過去に積み重ねた自分の価値を捨ててしまうかのように思えた。だけど、無くなるものなんて何もない。すべては未来へとつなぐことが出来る。

両方「今」だからわかりにくくなってるんだけど、しょうがない気もする。
「今から離れる」って言葉を使いたいし、「(過去が)無くならないから今があるよ」という言葉も使いたい。
そこをガッチャンコできるセンスのことが好きだったんだよ!(大告女特

あなたを変えようとしたあなたは ずっと前から変わらない

「自分を変えようとして取り組んだもの」が無くなって、今から離れてしまったとしても、「自分を変えようとした意志」自体は変わらない。
「自分を変えるんだ!」っていう思いはずっとある。

迷っていたいだけでした お別れ言わせて

「夢中で追いかけた」ものにお別れが言うかどうか迷っている。
いや、迷っていたくて迷っているだけでした!

毎度お馴染みの理由で また延長

「今月で辞める~」とか「ちょっと今は都合が・・・」みたいなお馴染みの理由で、まだ捨てられないでいる。

臆病な私に必要だったのは 小さな勇気じゃなくて 本当の恐怖 ほら朝が来る

捨てるためには勇気が必要だと思っていたけど、そうじゃない。
「要らない」ことを続けることで行きつく未来に対する恐怖があれば、捨てることができる。

「朝が来る」は「時間が進む」みたいな意味だろう。
morning glow の morning ですね。
morning glowは「朝焼け」という意味らしい。

何のためどころか 何をしているのかさえ 曖昧だったけど

こっからの歌詞本当にすき。カラオケで歌うために歌い始めの練習しまくった。

歌詞の内容としては
「何のためになるのか」曖昧なまま、夢中で何かをやってしまっていた。幸せになりたかっただけなのに、別の方向に向かってしまっていた。
さらに言えば「何をしているのか」という自覚すら曖昧だった。

「何をしているのか」が曖昧な人間は沢山いる。気づかぬ間に邪悪をしていることは多々ある。欲望に振り回された自分の行動の帰結が、他人に不幸を発生させていることに気づけない。小さいところだと転売厨とか歩きスマホとか。

例えば「他人に迷惑をかけて自分が幸せになる」は理解できる。幸せになってるもん。だけど、大抵の場合そんなものは幸せではない。ごく瞬間的な欲求の充足でしかない。結果「他人に迷惑をかけて自分も幸福になっていない」になる。それは意味が分からん行動だ。でも結構沢山の人がそれをやっている。

信じないくせに 誰かに言ってもらいたい 無駄なんかないよって

ここが本当にいいわ。

「夢中で追いかけた」ものに対して、膨大な時間やお金をかけてきてしまった。今更辞めるのは惜しい。と思っている。
辞めるにあたって、「無駄じゃないんだ」「無駄なことなんてないんだ」って一度考えた。でも現実として「なんて無駄なことをしたんだ」っていう、ぶつけようのない後悔の感情がぐるっぐる渦巻いている。

自分で「無駄なんかない」って思ってみたんだけど、やっぱり納得できない。悲しい。誰かに「無駄なんかないよ」って言ってもらいたい。
そんなこと言われても信じないくせに。

でも言ってもらえたらどんなに救われるだろうか!

なんでこんな歌詞かけるんだろうな。

どれだけ自分から離れても 当たり前だけど離れないよ

自分を変えようとしても、変わった後の自分も「自分」だ。
「自分」から離れても「未来の自分」も自分だから離れないよ。

あなたは変わったあなたも やっぱり嫌になったでしょう

例えば今のまま「夢中で追いかけ続けた」結果「変わったあなた」になったとして、やっぱりあなたはそれを嫌になったでしょう。
だって本来の「自分」はそんな姿を望む人間じゃなかったんだから。

前の歌詞から見ていくと、
①自分から離れても自分の芯にあるものは変わらない。
②「変わる前のあなた」が嫌だからって、望まない形で自分を変えたとしても、やっぱり「変わったあなた」の事も嫌になるでしょうね。
と言っている。

いくつのさよならと出会っても 初めましてとは別れないよ

前と同じ。
でいいのかなぁ。いいと思うんだけど。
次の歌詞とつながっているんだとしたら「次の初めましてがあるよ!」って意味になるでしょ。

あなたを変えようとしたあなたは まだ誰にも出会っていない あなたにも出会っていない

「あなたにも出会っていない」の補足が無ければ理解するのに馬鹿みたいに時間かかっただろうな。
つまり「あなた」はこれからまた次の「あなたを変えようとしたあなた」に出会うんだと言っている。
「出会っていない」から「いずれ出会う」を導出するのは容易だけど、「誰にも出会っていない」から「自分とも出会っていない」を考えつくのは難しかっただろうな。

一個目を「まだあなたに出会っていない」にしろよって言いたい香具師もいるだろうけど、「まだ誰にも出会っていない」っていうのが「未踏」「希望」「これから」を表現するのに一役買っているとは思わんかね。

思うだろう。

結論

いい曲。

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2件のコメント

  1. 匿名

    良い考察
    私はこの歌から、変わったあなたを好きになった=変化に成功したら、その先の発展性がなくなってしまうだろうというメッセージを受けとりました
    嫌になるから変わり続ける、日々の変化を肯定する藤原の人生観ですね
    最初はRAYの中でも救いようのない曲だと思っていましたが、いい曲ですね
    1番のAメロで抽象的なことを言って「?」とさせて、2番から現実的なスケールに落とし込んで理解を誘導する構造がとてもすき

  2. 匿名

    自分の世界観が変わったときに
    この歌詞のことが起こる。
    これは物語とかではなくて現実の歌。
    ド直球な歌で大好きです。

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